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「春子?」と優しい声がする。
「あ、翔真。お疲れ様。今、まだお店?」
「いや、今日は午後休み取って、フランスに行くいろんな手続き関連の下準備を進めてた」
フランス、と聞いて翔真からの告白を思い出す。
――一度、考えてみて。僕と再び付き合うこと。そして、フランスに一緒に行くこと。
まだ、返事をできていない。
「春子は今日、どんな一日だった?」
「この間、居酒屋にいたカップルと再会して、飼ってる犬が逃げちゃって探してた」
「へえ。それで見つかったの?」
「うん」
扉の隙間から、奈美恵の残していった空のコーヒーカップを高円寺がさげているのが見える。
じっと高円寺の手元を見つめていると、
「忘れ物のようです」
と、高円寺がそう言っているのが口の動きでわかる。奈美恵が置いて行ってしまったのだろう。
「ごめん、翔真。ちょっと、後でかけなおすね」
電話を切り、高円寺から紙袋を受け取ると、中で傾いた冊子に書かれた文字が意識せずとも目に飛び込んでくる。「はじめての不妊治療」とパンフレットには書かれていた。
紙袋の取っ手をギュッと握り奈美恵が走っていった方向へ視線を這わせる。とっくに、バスは出てしまったようだ。
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