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椅子に置かれた縦型の薄いコットン生地の袋には「Casa・de・Moriya」の文字が。隣にある結婚式場で打ち合わせを終えた帰りなのだろう。先に出されたお冷のグラスに口をつけると裕樹が続ける。
「さっきプランナーの人が言ってたファーストバイトってやつ、そういえばこの間同期の結婚式でもやってたよ。バカでかいスプーンでさ。新郎、食べきれてなくて大笑い」
裕樹はおもむろにスマホを取り出し検索をしているようだ。
「『ファーストバイトとは』、えっと、新婦から新郎へは『一生美味しい食べ物作るね』って意味。新郎から新婦へは『一生食べ物に困らせないよ』って意味なんだって。へえ、なるほどな」
高円寺の目には、一瞬、優実の顔がひきつったのがわかる。
「優実は料理うまいもんなー。俺も困らせないように仕事頑張らないとな。結婚式、楽しみだな。なあ?」
淹れたてのコーヒーを一口飲んでから、裕樹は満面の笑みで天井を見上げる。優実は黙ったままだ。と、スマホのバイブが鳴る。
「優実のスマホじゃないか? 仕事か?」
裏っ返したスマホの画面を見て優実が答える。
「あ、ううん。仕事じゃないみたい。今使ってるクレジットカードの有効期限が近づいてて、新しいカードを送る住所の確認で……」
「あー。まあ、タイミングよかったかもな」
「え?」優実が裕樹の方を見る。
「だって、どうせ石渡優実になるだろう?」
「……」
優実はまた俯いて、スマホの画面を机の上にペタッと下にやる。
「石渡優実。いい響き。永嶋優実が昔から定着してたからちょっと慣れないけどな」
裕樹の言葉をよそに、優実がいきなりバッと立ち上がる。
「ど、どうした?」
裕樹が驚いて顔を上げる。
「ごめん。用事思い出したから私、今日は先に帰るね」
「え、あ、そうだったのか? 大丈夫か?」
突然の優実の様子に裕樹はやや動揺している。
「ごちそうさまでした」
優実はそれだけ言うと、店を出て行ってしまった。
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