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もっと続けばいい時間程、どうしてあっという間に過ぎ去ってしまうのだろう。
聞き慣れた、帰宅時刻を知らせるチャイムが無情に鳴り響いた。
「もうこんな時間か」
「ですね。もう……帰らないと……」
先生の「もう」と、私の「もう」はきっと意味が全然違うのだろう。
分かってはいても、勝手に寂しくなる。
「じゃあ、気をつけて帰れよ」
「分かりました」
分かってはいるのに、勝手に怒りたくなる。
私が今どんな気持ちでここにいるのか知ろうともしないで、別れを惜しんでくれない先生が非情だと思った。
なんて自分勝手なんだろう。
そんな自分を知って欲しいような、欲しくないような。
私は心の中の葛藤を知られる事が怖くて、さっさと出て行こうと素早く立ち上がり、でも引き止められるのを期待してゆっくり足を動かした。
そんな私の姿を、先生は不思議に思ってしまったのだろうか。
「池脇さん、足痺れた?」
「え?」
「足、動かしづらそうだったから。さっきまで正座だったし」
正座は嫌でも慣れている。
ちっとも痺れてなどいない。
でも、あと1分でもいいから先生と同じ空気の中にいたい。
「そうなんです。足、痺れちゃって……すみません……」
「いや、そしたら……俺の授業の準備につき合わせたってことにするからさ、治るまでここにいていいよ」
「いいんですか?」
「15分くらい大丈夫だろう」
そう言うと、先生がすっと立ち上がった。
「どこに行くんですか?」
「警備員さんに、池脇さんのこと伝えてくる。だから安心して」
それから先生は私のことなど気にせず、さっと行ってしまった。
私は「ははは」と笑いながら畳の上に転がった。
「嘘、ついちゃった……」
こんな嘘、ついたことなかった。
少なくとも家でそんなことをしたら、私は殴られていただろう。
心臓が痛くて仕方がない。
でも不思議と気分は悪くない。
「先生……行かないでほしかったな……」
誰の気配もしない扉に向かって、私は嘘をついた本当をつぶやいた。
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