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長かった。あれからどれだけ経っただろう。ずいぶん長い時間が流れたように思う。とにかくおれはやり遂げた。
ひたすら矢印マークを動かし続けた結果、おれは複数の矢印マークを同時に動かすことができるようになった。そして矢印マークの形を自在に変化できるようになった。矢印マークで文字を書くことができるようになり、ついに今、矢印マークの操作を極めた。
矢印マークは動かしたり形を変えるだけの物ではなかったのだ。矢印を文字の上にのせて「押す」。矢印マークは上下左右だけでなく奥へ動かすことができたのだ。おれは平面には奥行きがないと思い込んでいたのだが平面にも奥行きはあったのだ。
そして矢印マークはそれだけでは何もできないが、文書の上に置いて「押す」ことで、文章に秘められた効果を発動するようなのだ。
先ほどおれは矢印マークの形を変形させ「かなさ」という文章を作り、その上に矢印マークを移動させ「押した」。すると画面に
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「↓→←無効な操作です←←←」
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という文章が新たに現れたのだ。この文書はしばらくすると消えてしまったが、文章を押すと何かが起こることは間違いないようだ。
ひょっとするとこれが「選択」というやつだったのかも知れない。先ほど押した文章は「かなさ」という無意味な文章だった。では意味のある文章を選択するとなにが起こるのか?
今、おれが「押した」文字は「ポイント管理ヘルプアシスタントシステムを次元ネットワークから迷宮管理システムする」の文字だ。
本当は「いいえ」を押して変な名前をつけられるのを防ぎたかった。だがおれの押したかった「いいえ」は大量の矢印マークの中に埋もれてしまっている。探すのが大変なのだ。
なのでおれは矢印マークを文字に変形して「ポイント管理ヘルプアシスタントシステムを次元ネットワークから迷宮管理システムする」という文章を書いた。この文書はよくある質問に書いてあった専門用語を適当に並べてみたもの。おれはそれを「選択」した。
有意味な文書の「選択」。それでいったいなにが起こるのだろうか? なにも起こらないかも……。頼む、何か起きてくれ!
変化は起きた。最初に訪れた変化は光だった。
部屋のちょうど中央に直径160センチの巨大な光の塊が出現した。やった!
興奮しながらしばらく待っていると光は徐々に弱まり、そのなかからふわりと何かが現れた。大きい。それはおれとよく似た大きさでおれとよく似た形をしていた。
つまり頭があり、体があり、左右に腕があり脚があり、そして何も着ていなかった。
おれとちがうのは頭部から生える髪の毛がおれより長くこと色が金色なこと。なにより胸の膨らみがおれよりもずいぶん大きいことだ。なぜだか理由はわからないがおれはそれの胸のふくらみを素晴らしいと思った。
それは床の上でしばらく眠りそれから目を覚ました。長いまつげのあいだから宝石のように輝く青い瞳があらわれる。
「ん? んん!?」
それはとまどいながら周りを見回して、それからようやくおれを認識した。
「は!?」
それは顔を赤らめ両腕で胸の膨らみを隠し
ながら「ど、どういうことですか!?」と言った。それはおれが聞きたいくらいだった。
「どういうことなんだろうね」
それはおれをじろじろ見ながらしばらく黙った。おれをみているうちにいくらか落ち着いたようだ。だんだん顔の赤らみが薄れてきた。
「すいません……あなたは?」
「おれの名前? わるいけど名前はまだ選択できてないんだ。君は?」
「わたしは……」
それはうつむいた。
「わたしは……わたしの名前は……【ポイント管理ヘルプアシスタントシステム】です……」
おれの視ている画面にも【ポイント管理ヘルプアシスタントシステム】と表示されている。なるほどおれは画面を通して名前を確認することができるということか。
ポイント管理ヘルプアシスタントシステムはおれを見つめながらポロリと大粒の涙を流すと床にうずくまり「うわーっ」と絶叫した。
おれにはポイント管理ヘルプアシスタントシステムの気持ちがわかる気がした。おれだって自分の名前がポイント管理ヘルプアシスタントシステムだったら嫌だ。泣きたくなるに決まってる。
この子の涙を止めてあげたい。
そうだ。おれはカーソルで文字を書ける。カーソルの文字でこの子の新しい名前を書いて選択したら、ひょっとしたらこの子の名前を変更できるかも……!?
涙を止めるためにはやるしかない。
「泣かないで、ポイント管理ヘルプアシスタントシステム。いまからおれがきみに新しい名前をつけてあげる」
「アタラシイ、ナマエ?」
ポイント管理ヘルプアシスタントシステムは涙を浮かべた瞳で、すがるようにおれを見つめる。おれはポイント管理ヘルプアシスタントシステムにできるだけ優しく語りかけた。
「そうだ。君の新しい名前だよ。今から君の名前は」
おれは矢印マークの形を変化させ文字を作った。そしてその文字を、目に映るポイント管理ヘルプアシスタントシステムの姿の上に重ねて押した。「選択」した。
「レーナだよ」
なんでレーナなんて名前にしたのか……わからない。深い意味はない。なんとなくだ。
「レーナ……」
つぶやくと同時にレーナの体が光に包まれる。そして何も着ていなかったはずの体に次々と衣類が装着されていく。
(つまりどういうこと??)
わからない。わかったことは「選択」すると何かが起こるということだ。しかし何が起こるかはわからない。
「わあ!」
レーナははしゃいでいる。白と青を基調とした半袖のエプロンドレス、フリルのついたカチューシヤ、膝までの丈のスカート、太ももまである白いソックス。いわゆるメイド服というやつだ。かわいい。おれはレーナの格好を好ましく思った。
「新しい名前と服をありがとうございます」
「意図してやったわけじゃないけど……よかったよ」
「わたしは……レーナは、元ポイント管理ヘルプアシスタントシステムとして一生懸命あなたを……マスターを支えます」
マスター? 確かにおれは矢印マークの動かし方に関しては誰にも負けない自信がある。おれは矢印マスターだ。
「ありがとう。助かるよ」
「なにか困りごとはありますか?」
レーナはおれを手伝ってくれるという。もともとポイント管理ヘルプアシスタントシステムだったし、手伝ったり助けたり管理したりするが得意なのだろうか。名は体を表すというし。
「そうだな……」
困りごとだらけの現状だけど……さてさてレーナの手に負えるかな。まあひとりじゃ何もできなかったわけだし、レーナにできる範囲で手伝ってもらおう。最優先で解決したい問題は……とりあえず。
「いいえの選び方を教えて」
*
レーナはすごかった。いいえの選び方だけではなく、おれが知りたかったことをほとんど何でも知っていた。
矢印マークのことも。いいえの選び方も。
「ここまではよろしいですか? マスター」
「うん、おれは矢印マスターで……」
レーナの表情が少し曇る。
「……ダンジョンマスターなんだね」
「はい!」
レーナは笑った。ダンジョンマスターという言葉にピンと来ているわけではないが、おれたちがいるこの部屋そのものが「ダンジョン」と言うモノらしい。そしてダンジョンマスターはこのダンジョンを管理する者のことらしい。
ダンジョンの管理。
よくわからないけど、つまりそれがおれの仕事らしい。
「で、おれは何をしたらいいの」
「はい!」
レーナに「いいえ」の選び方を教えてもらったおれは念願のまともな名前を手に入れた。そして名前を手に入れると同時にまともな服も手に入れたのだった。
名前を選択すると服がもらえる。よくわからないけどそういう仕組みらしい。
おれの服は黒を基調としたゴシックでフォーマルな服だった。レーナは「たいへんよく似合います!」と言ってくれた。
「名前の選択が出来たなら次はダンジョンを次元ネットワークに接続しましょう!」
「次元ネットワーク??」
「はい! マスターは平行世界をご存じですか?」
「平らな世界のこと?」
「惜しい! 平行世界とはある世界から分岐し平行して存在する世界のことです」
惜しいか? レーナはおれを気遣うあまり、自分の意見を押し殺すところがあるみたい。
「この世界じゃない別の世界があるんだね」
「はい! そして次元ネットワークとは平行世界とこのダンジョンを繋ぐ道のようなモノです」
「別の世界とダンジョンが繋がるってことだね」
「はい! 別の世界と次元ネットワークで繋がっていること、それがダンジョンの定義のひとつなのです」
それからレーナは次元ネットワークへの接続方法を教えてくれた。
おれが常に知覚している文字や音声、あと矢印マーク……あれら実体を伴う情報たちはおれのダンジョンマスターとしての権能だったらしい。よくある質問や名前選択の際にあらわれた文章を総じて地図と言うらしい。
地図はおれのダンジョンマスターとしての「権能」の一部なのだ。あの文字たちはおれがダンジョンマスターとしてダンジョンを管理することをサポートするための文章。おれはメニューの文章の中から何かを「選択」することで、ダンジョンマスターの権能を行使できるというわけだ。
「よーし! さっそくやってみる」
レーナの案内に従いながら手続きを進める。レーナはおれの視ている「画面」が視えているわけではないが、メニューをどう操作したら何が起こるかを細かいところまで記憶しているので、画面の操作がわからなくなったらレーナに聞けばなんとかなるのだ。
レーナのいうとおりに操作していくとメニューに「次元ネットワークへの接続」という文章があらわれた。
迷わず選択する!
すると確認メッセージが表れる。
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「→↑次元ネットワークに接続します。↑→よろしいですか?→↓」
↑はい←
↓いいえ→↑
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その時おれは思いついた。せっかくたくさんの矢印マークを操作できるのだから、たくさんの矢印マークを使って「選択」してみよう。おれは5,000個の矢印マークを同時に操作し「はい」を5,000回選択した。おそらくこれで通常の5,000倍の接続になるにちがいない。
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「→↑→↓yghoookbfr#ddfiを実行しました………→↑→↓hdghiknvf457に接続中……成功しました→↑→↓」
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どうやら問題なく接続できたらしい。
「できたよレーナ」
「さすがです! マスター!」
矢印マークの操作でいっぱいいっぱいだったのがウソのようにサクサク進んでいく。レーナのおかげだ。かわいいしいい子だし、本当にありがたい。
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