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女の友情
私、ずっとハインツ様の手の平の上で転がされていたのね……
剣技会当日、王宮へと向かう馬車の中、エリザベスはミランダとアイリスとの会話を思い出していた。
ずっと違和感はあったのだ。
(ウィリアム様との婚約が破棄されたのに、お父さまが次の手を打たないわけないわよね)
ベイカー家は公爵家だ。たとえ、王子との婚約が破棄されようが、公爵令嬢と言うだけで利用価値はある。ベイカー公爵家と繋がりを持ちたいと考えている貴族家は山のようにあるだろう。
それなのに、領地へと静養に出されてからハインツが現れるまでの半年、婚約話の『こ』の字も出なかった。
ハインツとの婚約をエリザベスに一任した時点で、父とハインツが結託しているとは考えにくい。つまり、ベイカー公爵家に婚約話が来なかった理由は、ただ一つ。裏で、ハインツが手を回していたと考えるのが妥当だろう。
ミランダとアイリスの話では、以前に一度、婚約破棄され、公爵邸で引きこもっていたエリザベスを気分転換に剣技会へ誘う計画をしたそうだ。パートナーが近衛騎士団所属の二人は、その計画をそれぞれのパートナーへ相談したという。
しかし、その時返って来た言葉は、『エリザベス嬢を絶対に剣技会へ連れて行くな』と言うものだったと。
二人とも、その時はまさかハインツとエリザベスの婚約が決まるなど夢にも思っていなかったそうで、理由を問いただしたと言っていた。
カイルもルイも口をそろえたように『ハインツの逆鱗に触れる』と言ったそうだ。
(ハインツ様の思惑の中で、私の未来が決まっていく。そんな気がしてならないわ)
以前ハインツは、エリザベスの全てを知っていると言った。もし、それだけではなくエリザベスの周り全てを支配し、操っているのだとしたら。
心に宿った不安が、恐怖心となり広がっていく。
『貴方の初めては、全て私であって欲しいと思うのは、贅沢な願いですか?』
そう言って、キュッと握られた手の感触を今でも鮮明に覚えている。あの言葉まで、エリザベスを操るための戯言だとは思いたくない。
助けた女の子に恋をしたと言った。その子が、自分ではない違う誰かを好きだと知ってなお、あきらめられなかったとハインツは言った。
ハインツはどんな思いで、ウィリアムの手をとるエリザベスを見つめて来たのだろうか。
(まさか、ウィリアム様との婚約破棄も、ハインツ様が……)
唐突に浮かんだ言葉を消し去るため、エリザベスは頭を振る。
(ウィリアム様との関係は終わったのよ。彼から婚約破棄を告げられたあの日に、私の初恋は終わったの)
その婚約破棄に誰が関わっていようとも、今を大切にすべきではないだろうか?
脅されるように始まったハインツとの婚約関係。しかし、心の奥底では温かな芽が育とうとしている。その芽を育てるのも、枯らすのも自分次第だ。疑うことならいつだって出来る。今は、その時ではない。
心の赴くままに……
ハインツへの淡い想いを自覚しつつあるエリザベスを乗せ、剣技会が行われる王宮へと馬車は走る。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
キィィィン!!!!
剣と剣がぶつかり合う激しい音に、悲鳴とも取れる令嬢達の歓声。剣技会が行われている闘技場は異様な雰囲気に包まれていた。
「エリザベス様、いかがですか?」
「そ、そうね。確かに、これは盛り上がるわね」
王宮に着いたエリザベスは、侍従に闘技場へと案内され、ハインツが用意したと思しき貴賓席にて剣技を鑑賞することとなった。
案内された貴賓席は、他の見学席とは違い、個室仕様になっていて、エリザベス側からは周りが見えているのに、周りからはこちらが見えない造りとなっている。
(てっきり、ハインツ様と鑑賞すると思っていたけど……)
予想を裏切り、剣技会は先に到着していたミランダとアイリスとエリザベスの三人での鑑賞会となっていた。
もちろん、そのことに不満がある訳ではない。むしろ、仲の良い令嬢達と気兼ねなく剣技会を楽しめることにエリザベスは満足している。
ただ、誘っておいて顔すら見せないハインツの勝手さに少々腹が立っているだけだ。
(薄情なハインツ様の事なんて忘れて楽しまなきゃ損ね。いっその事、私好みの騎士を見つけるのもいいわよね!)
そんな事を思いつつ、前方で繰り広げられている男達の熱い戦いに、エリザベスは視線を戻す。
「そう言えば、カイル様とルイ様は剣技会には出席されませんの?」
「カイル様は、審判役に徹すると朝、言っておりましたわ。私が剣技会へ行くと言ったら、自分も出ればよかったと嘆いておりました。でも、団長は出られないのですって。もし、参加されていたらとても正気では見れそうにありませんわ、きっと」
「ルイは、副団長として、最終戦に出ることになっておりますのよ。そう言えば、今朝顔色が悪かったような。大丈夫かしら、あの人。意外と本番には強いから問題ないと思うけど」
なんで、忘れていたのよ……、二人とも愛する旦那さまがいる人妻じゃない。
さりげなく明かされる、惚気とも取れる旦那さまとのやり取りに、こちらの方が赤くなってしまいそうだ。それをうらやましいと感じている自分がいる事にも愕然としてしまう。
(私も結婚したら、お二人と同じように旦那様と……)
窓際に立つ男性が、エリザベスの声に振り向く。朝陽を背に立つ旦那さまのシルエットが徐々に見知った人へと変わり、エリザベスは思わず叫びそうになった。
慌てて、手で口を塞ぎ、なんとか醜態をさらすのだけは避けられたが。
(危ない、危ない。危うく、ハインツ様の名を絶叫するとこだったわ)
心の中にある淡い想いに気づいてから、どうやら脳内妄想は全てハインツに変換されてしまうらしい。いくら、彼の事を信じ、心の赴くまま進もうと決めたからと言って、少々暴走し過ぎではないだろうか。
(気を引き締めて行くのよ、エリザベス!!)
自分で自分に喝を入れていると、一段と大きな歓声が聴こえ、エリザベスは現実へと引き戻された。
「うそ!? えっ、あれって……まさか……」
「ハインツ様ではございませんか? エリザベス様!」
闘技場の真ん中へと出て来た騎士は、アイリスの旦那さまであるルイと、まさかのハインツだった。
しかも今までの騎士達とは違い、二人とも胸当てをつけただけの軽装だ。
副団長であるルイであれば、軽装でも怪我などしないだろう。剣の腕も、騎士団の中でも一二を争うと有名だ。しかし、ハインツは騎士ではない。ルイとハインツでは実力に差があり過ぎる。
(どうして……、軽装で戦おうだなんて、何を考えているのよ)
「あぁ、どうりでルイの顔色が悪かったのね。ハインツ様が相手では、互角か、下手したら負けるわ」
「ルイ様が、ハインツ様に負ける? アイリス様、それは有り得ませんわ! だって、ルイ様の剣の腕は、騎士団でも一二を争うとか。ハインツ様が敵う相手ではございません。すぐに、やめさせた方が……、いいえ、今すぐやめさせましょう!」
興奮して立ち上がり、今にも部屋を出て行こうとするエリザベスを二人が止める。
「エリザベス様、お待ちください。大丈夫ですから、ハインツ様の剣の腕は、ルイ様と互角。いいえ、ルイ様より上かもしれませんのよ。しかも、確実にカイル様よりは上でございますから、心配いりません」
「そうですわ。怪我をするというなら、ルイの方ね。エリザベス様が見ている剣技会で、ハインツ様が手を抜くとも考えにくいし、これではルイがかわいそうだわ。完全なる当て馬じゃない。だから、ハインツ様って嫌いよ。あの策士め」
「えっ……アイリス様?」
ハインツ様が嫌いってどういうことかしら?
「ごめんなさいね、エリザベス様。ハインツ様の事を悪く言われて良い気分はしませんよね。ただ、これだけは言わせてください。今後、あの男と本気で別れたくなったら、どんな手を使ってでも引き離して差し上げますから。たとえ、夫がハインツ様に逆らえないとしても、私はエリザベス様の味方につきます。女の友情なめんなよ!」
闘技場の真ん中で、ルイと剣を交えるハインツへと向かい、アイリスが悪態をつく。
いつ何時も冷静さを失わない彼女にあるまじき暴言を吐くアイリスと、彼女の言葉に激しく同意しているミランダの姿に、笑いが込み上げてきた。
『ハインツ様の指示で彼女達が私に近づいたのだとしても、縁を切る訳ないじゃない。女の友情を甘く見ないで頂きたい!』
以前、ハインツに向けて放った言葉と同じ事を、アイリスもミランダも思ってくれている。その事が、何よりもエリザベスは嬉しかった。
「ふふ、ふふふ……」
「「エリザベス様?」」
「アイリス様もミランダ様も、私の友人でいてくれて、本当に感謝しているの。こんなに、嬉しい日はないわ。もし、ハインツ様と離縁するときは全力で味方になってくださいね」
「えぇ、もちろん。その時は三人でコテンパンにハインツ様をやっつけましょうね」
闘技場の真ん中では、ハインツとルイによる白熱した戦いが繰り広げられていた。
剣が交わるたびに上がる歓声と黄色い悲鳴は、徐々にボルテージをあげ、観客を興奮のるつぼへと落としていく。
そんな中、貴賓室だけは、そんな興奮とは無縁な場所へと帰していた。剣を交える男達の思惑は、見事にスルーされたのであった。
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