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思惑の裏
「ハインツ様って、本当策士でございますのね」
剣技会が終わり、貴賓室へとやって来たハインツにさらわれるようにして、シュバイン公爵家の馬車へと乗せられ今に至る訳だが、対面の席に座るハインツは、エリザベスの問いにも涼しい顔だ。
「えっと、どういう事でしょうか? 剣技会の勝敗のことでしたら、私は何もしておりませんよ」
「そうですわね。ルイ様との試合、結局引き分けでしたのね」
「えぇ。ルイもアイリス夫人の前で恥はかきたくなかったのでしょう」
「とても白熱した試合だったようで、会場が大騒ぎになっていましたね」
「くくく、私の思い過ごしでしょうか? なんだか、私の試合を観ていなかったように聞こえますが」
「ふふふ、えぇ。観ておりませんわ。女の友情に花を咲かせていたもので」
「ははは、それは傑作だ」
下を向き、クスクスと笑うハインツをみて、エリザベスは自身の考えが当たっていると確信する。
「アイリス様から聞きましたわ。ハインツ様の剣の腕は、ルイ様と互角だとか。そんなこと、普通知りませんでしょ。なのに、あんな軽装で出てくるものだから、焦りましたわ。私に心配でもしてもらいたかったのかしら?」
「さぁ、どうでしょうか?」
「それとも、華麗に勝って私からの賞賛を得たかったのかしら?」
「そうですね。無様に負けることだけは避けたかったですから。ルイであれば、お互いの太刀筋も、癖もわかっている。良い勝負になるかと思いまして。ただ、誤算だったのは、ルイが思いの外、強かったことでしょうか。いつの間にかお互い本気になっていました」
「そうでしたの……」
「しかし、あの勝負観ていなかったとは。とても残念です。エリザベスに、アピールするチャンスだったのに」
本当、策士でいらっしゃるわ。
アイリスはルイの対戦相手がハインツだとは知らなかった。エリザベスは、それに違和感を覚えたのだ。
ベッティー伯爵夫妻は、とても仲の良い夫婦なのだ。本来であれば夫が出る剣技会の対戦相手を知らないわけがない。
ルイは、ハインツから口止めされていたのだろう。ただ、その口止め理由が、アイリスを怒らせるためだったとしたら、ハインツの真の思惑も透けてくる。
(友人令嬢に対する不信感を払拭させるため図った策だったなんて、私が気づかなかったらどうするつもりだったのかしらね)
真の思惑に気づかなければ、ハインツは自分の利のためにルイを利用した小狡い男とのレッテルを貼られ兼ねない。
(違うわね。今の彼の笑顔を見ていると、そうなってもよかったと考えていそうだわ)
エリザベスの元に招待状が届いた時から全てが始まっていた。
ミランダとアイリスが貴賓室に居たのもそう。ハインツが胸当てだけの軽装で出て来たのもそう。
ハインツの剣の実力を知らないエリザベスを慌てさせ、ルイの対戦相手を知らなかったアイリスを怒らせ、ハインツへの反感をぶちまけさせることで、アイリスとミランダに対する不信感を払拭させようとした。
(すべて、ハインツ様の思惑通り事は進み、私たち三人は無事に女の友情を再確認できたというわけね)\
ずっと、あの夜の事を気にされていたのかしらね。
「ハインツ様、女の友情は永遠ですわ」
「ふふ……それは、よかった」
そう言って笑う、ハインツの顔は晴れやかだった。まるで、いたずらが成功した子供のような無邪気な笑み。
(そんな笑顔見たら、心が弾まないわけないじゃない)
「ハインツ様……、ありがとう」
「エリザベス、気づいて……」
目を見開き、こちらを見るハインツに溜飲を下げる。
(私だって、いつまでも手の平の上で転がされているばかりじゃないのよ)
「ふふ、何のことかしら? そんな事より、これからどこに行きますの?」
「はは、エリザベスもやりますね。では、お姫さま、シュバイン公爵邸へとお連れいたしましょう」
「えっ!? シュバイン公爵邸へ?」
てっきり、ベイカー公爵邸へと送り届けられると思っていたエリザベスは、ハインツの言葉に面食らう。
「嫌ですか? エリザベス……」
ドレスの上へと置いていた手をハインツにキュッと握られ、懇願するように細められた瞳で見つめられれば、それだけでエリザベスの時が止まる。
深く濃い黒色の瞳に囚われてしまえば、思考など簡単に停止してしまう。熱っぽい視線にさらされ、すべての事がどうでも良くなっていた。
「ねぇ……エリザベス、駄目ですか?」
早まる心臓の鼓動の音が頭の中で響く警告音をかき消し、気づいた時にはハインツの問いにコクンっと頷いていた。
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