ハインツ視点

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ハインツ視点

「ハインツ様、エリザベス様のご様子は?」  エリザベスを寝室へと残し、執務室へと入ったハインツに執事が声をかける。 「あぁ、よく寝ている」 「ベイカー公爵家には、なんとお伝え致しますか?」 「今夜は、シュバイン公爵邸に滞在すると伝えてくれ」 「それでは、エリザベス様に何があったのか公爵様はお分かりになるのでは?」 「構わぬ。はなからそのつもりだ」 「左様でございますか。では、エリザベス様の件、その様にお伝え致します」  礼をし出て行く執事を見送り、ベイカー公爵の顔を思い浮かべる。  勘の良い公爵の事だ。今夜、エリザベスが帰宅しなければ、何があったかは察するだろう。  厄介な事になるな。ただ、後悔はしていない。  奪って欲しいと泣いたエリザベスの想いは、確かなモノだった。あの場で躊躇していれば、エリザベスの心を完全に手に入れる事は出来なかっただろう。  エリザベスにとってウィリアムの存在は、あまりにも大きい。邪険にされれば、される程、募る想いは執着とも呼べるものだ。  エリザベスがウィリアムを想うのと同じように、エリザベスを愛してきたハインツだからこそ、彼女の気持ちは痛いほどわかる。  エリザベスはやっと今、ウィリアムへの想いに決着をつけ、一歩を踏み出す決心をしたのだろう。  純潔を失う事によって……  しかし、想いに決着をつけたところで、ウィリアムが存在する限りエリザベスは奴の亡霊に苦しめられる。彼女の手によりウィリアムを葬り去ってこそ、本当の意味での安寧が手に入る。そのための舞台は整いつつある。  最後の大勝負をする時が来た。  執務机に置かれた報告書を手に取ったハインツは、中身を開く。そして、そこに書かれた内容を読み、ハインツの顔に黒い笑みが浮かぶ。  マレイユ伯爵とマリア男爵令嬢との関係は掴んでいる。  黒い噂の絶えないマレイユ伯爵。人身売買、違法薬物売買に違法賭博と、叩けばいくらでも埃が出てくるな。そして、マリア男爵令嬢と伯爵との爛れた関係。すべて明るみに出た時、さてウィリアムはどう動くかな?  自分の愛した女が偽りだったと知った時、目の前に立つエリザベスに縋るのだろうか。  その時になり後悔すればいい。エリザベスこそ、至上の存在だったことを。  フィナーレを想い浮かべ、ハインツの顔に自然な笑みが浮かぶ。  ただ、浮かれてばかりはいられない。  エリザベスを手に入れるため、今まで野放しにして来た第二王子派も一掃しなくてはならない。  地方貴族の鬱憤も抑えられぬ所まで来ている。  第二王子派の貴族どもの操り人形に過ぎないウィリアムの失態の数々。その皺寄せで被害を被っているのは力の弱い地方貴族だ。  しかし、切り捨てるには数が多すぎる。  シュバイン公爵家とベイカー公爵家の婚約成立が社交界に伝わった今、貴族家の勢力図は大きく変動する。中立派が王太子派へ流れるのも時間の問題だろう。  王太子派が一気に優勢となれば、第二王子派を潰す動きに繋がるのは必然だ。それを、あの欲深い側妃が許すとは考えにくい。側妃諸共、第二王子派を一掃するには、マレイユ伯爵と側妃との繋がりを示す証拠を掴まなければならない。  ハインツは寝室で眠る愛しい人を思い浮かべる。  痛みに耐え、自身を受け入れてくれたエリザベス。陽光の下、涙を流しながら感じ入る彼女は壮絶なまでに美しかった。まるで地上に落ちた天使のように。  悪魔に魅入られた哀れな天使。無垢な天使が、悪魔の手により変えられていく。純真無垢な天使が、妖艶な魅力を放ち、男を誘う女へと変貌していく。そんな錯覚を覚えるほどに、ハインツの腕の中で果てたエリザベスは美しかったのだ。  エリザベスには、辛い想いをさせるな……  ただ、二人の未来のためには通らねばならない道もある。  果たして、全てが終わった時、エリザベスは私を許してくれるのだろうか。  胸に居来した不安を打ち消すように、もう一つの報告書へとハインツは手を伸ばした。 『王家所有の教会の所在地に関しての報告』  何年もかけ調べ上げた王家の秘密こそ、公爵家同士の婚姻を結ぶ切り札となる。  あの教会に隠されている切り札を表舞台に引き出すには、エリザベスを嵌めなければならない。ある噂を流す準備はできている。  噂を耳にしたエリザベスは、どんな反応を示すのだろうか?  裏切られたと泣くのか? それとも憎悪の瞳を私に向けるのか?  彼女が嫉妬する姿はきっと美しい。その矛先が自分に向いていると考えるだけで胸の高鳴りを感じる。  トントンっと執務机の角をハインツが叩くと、スッと音もなく『影』が降りてくる。 「お呼びでしょうか?」 「レオナルド・マレイユの報告を」 「エリザベス様を陥れる計画があるようです。マリア・カシュトル男爵令嬢からの依頼のようです」  どうやらもう一つの駒が動き出すようだ。  ピンクブロンドの髪を指に絡ませ、媚売る視線を投げかけて来た女の姿が脳裏をかすめ、口角が上がる。  盤上を転がされているとも知らず、悦に浸っていたのだろう。エリザベスからウィリアムを奪ってやったと。  何も疑問に思わぬとは馬鹿な女だ。  社交界で自分が何と噂されているか知り得ていれば、アバズレ女が王族に近づく事など不可能だと分かりそうなものなのにな。  自意識過剰な者ほど扱いやすいものはないか。  今頃、怒り狂っているであろうなぁ。  さて、盤上の駒も動き出した事だ。仕上げにかかろうではないか。 「例の情報をレオナルド・マレイユに流せ」 「御意」  音もなく影が消えると、ハインツは愛しい人の元へと向かうため執務室を後にした。
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