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信じたい気持ちとは裏腹に
一枚の紙を見つめ、エリザベスは大きなため息を吐く。
(こんな手紙、さっさと捨てるべきなのよ。ハインツ様を疑う事自体間違っている)
助けた幼い少女に恋をしたとハインツは言った。あの時からずっとエリザベスを好きだったと。公爵家同士の婚姻が出来ないと知ってなお、諦める事が出来なかったと。何度も何度も愛していると言ってくれた。
それが、嘘だとは思いたくない。
ただ、心に巣くった不安が、ハインツを信じて良いのかと問いかける。
(ハインツ様を信じたい。信じたい――)
手元にある紙を破り捨てようと動かしたエリザベスの指先は紙の縁を持ったまま動かない。
「お嬢さま、失礼致します。お茶をお持ちしました」
ノックの音と共に部屋へと入って来たミリアを認め、エリザベスは慌てて持っていた紙を机の引き出しへと隠す。
「ミリア、ありがとう。そこのテーブルへ置いてくれるかしら?」
「かしこまりました」
「ねぇ、ミリア。お茶に付き合ってくれない?」
テーブルへとお茶とお菓子がセットされていくのを眺めつつ、ソファへとかけたエリザベスは、ミリアをお茶へと誘う。
「お嬢さまは昔から変わりませんね。心配事があると、真っ先に相談してくれる。それが、私にとってどれ程嬉しい事かお分かりになりますか?」
小さな頃からずっと側に居てくれるミリアの存在は、かけがえのないものだ。昔から、こうと思い込んだら梃子でも動かなかったエリザベスと根気よく付き合い、上手く軌道修正してくれる貴重な存在。
ミリアが居なければ、今のエリザベスはいない。きっと、今でもウィリアムの事を引きずって、前へ進めていなかっただろう。
「昔から心配ばかりかけてしまっているわね。いつもありがとう、ミリア」
「お嬢さまからならいくらでも迷惑被ったって良いのです。ただ、ウィリアム殿下の時のように、誰の意見にも耳を貸さないお嬢さまにだけはならないで欲しいのです」
「えぇ、もちろんよ。ウィリアム様の件で、身に染みてわかったわ。信頼できる者の意見を聞くことの大切さは」
ただ、机の中へと隠した紙の存在だけは、ミリアにも打ち明ける事は出来ない。いつ何時も冷静な判断を下せるミリアにこそ、あの紙を見せ判断を仰ぐべきだとはわかっている。そして、冷静な判断を下せるミリアは、あの紙を破り捨てるように言うだろうことも頭ではわかっているのだ。
見知らぬ男の戯言に惑わされるべきではない。頭ではわかっているのに、この紙が、心に渦巻く疑念を解消させる鍵のような気がして、捨てられない。
「お嬢様が、ハインツ様の事でお悩みになられているのはわかります。全くお会い出来ていないからこそ、不安になる気持ちもわかります。ただ、このまま不安だけを募らせて家に閉じこもっていてよろしいのですか? 確かに公爵様の妨害もありますから、ハインツ様にお会いするのは難しいかもしれません。でもハインツ様と繋がる方法ならありますよね。なぜ、私を使いませんの? 一言、ハインツ様と連絡を取りたいと言ってくれれば、いくらでも手を尽くします」
「それは……ミリアに、これ以上迷惑かけられないもの」
「今更ですよ。お嬢さまが、喜ぶならいくらでも私は動きます。時には、自分本意に行動することも大切です。ですので、私勝手に行動させてもらいました」
「これ……って……」
一通の手紙をミリアに手渡され、封を開ける。そこに記されていた一文を見て、涙が溢れていた。
『――今夜、会いましょう。エリザベス』
「ハインツ様からの招待状です。街の劇場なら、公爵様の目も誤魔化せますでしょう。王太子妃様主催のお茶会以降、ずっと元気がありませんでしたし、王太子派のご令嬢方に色々と言われたのだろうとは思っていました。だから、勝手にハインツ様と連絡を取りました。不安があるなら、直接ハインツ様に聞いてきなさい。それが一番です」
「ミリア……」
「本当に手のかかるお嬢さまです。ほらっ! 時間がありませんよ」
ミリアに手を引かれ、エリザベスは鏡の前へと座る。鏡の中には、涙に頬を濡らしたエリザベスと、泣き笑うような表情をしたミリアが映っていた。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
公爵家の裏口へとつけられた馬車へと乗りこみ一路劇場へと向かったエリザベスだったが、ミリアに着付けてもらったドレスを見下ろし、不安が募る。
(なんだか子供っぽいわ。大丈夫かしら……)
ドレスのデザインだけ見れば、紺色の生地のドレスに黒のレースが胸元を飾り、裾にむかい黒の薔薇の刺繍が広がるデザインは年相応と言えなくもない。多少レースが過多な気もするが許容範囲だろう。
しかし、問題はそこではない。ドレスの長さだ。完全にエリザベスの足首が見えてしまっている。
しかも、パニエを着て膨らみをもたせたドレスの下は、フリル満載のドロワーズを着ているものだから、はたから見たら、どこぞのビスクドールのような格好である。
(お忍びではあるし、少しの変装は必要だけど、これはやりすぎではないの)
これで、紺のドレスではなく、白のドレスでも着ていたら、完全に幼い少女のような格好である。
しかし、今さら戻るわけにもいかない。まぁ、市井で流れている噂を考えれば、これくらいの変装は必要なのかもしれない。
(ウィリアム様との婚約破棄騒動に尾ひれ、背びれまでついて、悪女になっているらしいのよね)
しかも、『可哀想な男爵令嬢と心優しい王子様の愛の物語り』という観劇が街では大流行している。意地悪公爵令嬢のモデルになった悪女は誰かと、巷で犯人探しならぬ悪女探しがブームになっているとか、いないとか。
万が一、その悪女のモデルがエリザベスだとバレた場合、ハインツにも迷惑がかかる。
(この格好だったら、誰も私だとは気づかないわよね。きっと……)
そんな事をツラツラと考えているうちに、エリザベスを乗せた馬車は劇場へと到着した。
御者の手を借り馬車を降りたエリザベスは、出迎えに出ていた支配人に案内され、ニ階の個室へと向かう。
個室は、一階の客席の上にせり出すように作られており、バルコニーから観劇を見られるようになっている。そのため、客席から覗かれる心配もなく、人の目を気にせず観劇が楽しめるのだとか。まぁ、簡単に言うと、密会にもってこいの場所らしい。
「お連れ様は、中でお待ちでございます」
「ありがとう」
礼をし、支配人がその場を去っていくのを見送り、エリザベスは扉をノックする。すると、中から扉が開き初老の男性に出迎えられた。
「エリザベス・ベイカー様でございますね。中で、ハインツ様がお待ちです」
脇へと避けた男性の指し示す方向へと視線を向ければ、先は重厚なカーテンで中を伺い知る事は出来ない。
(あのカーテンの先にハインツ様がいるのね)
高鳴る胸を抑え、一歩を踏み出す。久々の逢瀬がこんなにも心を高揚させるとは知らなかった。ウィリアムとの時とは違う胸の高鳴りを感じ、向かう足も自然と速くなる。
「ハインツ様!」
カーテンを開け、瞳に映った愛しい人の姿にエリザベスは駆け出していた。
「エリザベス、よく来てくれましたね。随分、会えず辛かった」
はしたなくも胸へと飛び込んだエリザベスの頭を優しく撫でるハインツの手に癒されていく。
幼子に対するような扱いですら、愛しい人から与えられるものであるなら、こんなにも心躍る。
「ハインツ様……、寂しかった。一人で寂しかったの」
王太子妃主催のお茶会、ハインツの地盤とは言え第二王子ウィリアムの婚約者だったエリザベスにとっては敵場も同じ。ハインツの婚約者になったからといって、味方はほぼいない。
エリザベスを蹴落とすため虎視眈々と機会を伺う令嬢や夫人達の相手は、想像以上に辛いものがあった。何度、隣にハインツが居てくれたらと願った事か。
彼に愛され、愛することを知りエリザベスは弱くなった。弱くなってしまったのだ。
(ハインツ様と会えない日々の中、こんなにも心が不安で満ちてしまったのも、きっと自分の弱さが招いたこと)
あの手紙が脳裏を過ぎり、頭を振る。
手紙を破り捨てられないのも、自分の心が弱いから。
(ハインツ様を信じるのよ、エリザベス……、信じるの……)
膨らみ続ける不安をかき消すためだけにハインツの唇に唇を重ねれば、触れ合った場所がカッと熱を持ち全身へと広がっていった。
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