襲撃

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襲撃

「エリザベスお嬢さまには、ほとほと呆れました」  シュバイン公爵家を出発した馬車を、急遽ミリアが用意したお忍び用の馬車で追いかけること数時間。今だに目の前に座る彼女の怒りは収まらないらしい。 「危機管理能力がなっていないと言いますか、ご自身の立場をわかっていないと言いますか……。どこの世界に、罠かもしれない男の用意した馬車に乗ろうとする馬鹿がいますか!」 「ご、ごめんなさい」 「レオナルド・マレイユでしたっけ。明らかに怪しい。そんな男を信用するなんて、馬鹿にも程があります。せめて、移動手段くらい信頼出来る者をお使いなさいませ!」  ベイカー公爵家をミリアと抜け出したまではよかった。  移動手段を聞かれ、レオナルドの用意した馬車が近くに停まっているはずとエリザベスが告げた時のミリアの怒りようは、身がすくむほどに恐ろしいものだった。  しかし、誰にも頼らず準備をしなければならない状況では、罠かもしれないと思っていてもレオナルドに頼るしかない。エリザベスにとっては、苦肉の手段だったのだ。 (そんなに怒らなくても……) 「でも、ベイカー公爵家の使用人を使うわけにもいかないでしょ。それこそ、お父様やミリアにバレる――」 「黙らっしゃい! いいですか、得体のしれない者の馬車に乗るなど自ら檻の中に入る獲物と同じ。飛んで火に入る夏の虫です。お嬢さまは公爵令嬢なのですよ。利用価値はいくらでもある。己のお立場をよくよくお考えください」  ミリアの言っていることは正しい。今はまだ公爵令嬢なのだ。  この件が終わった暁には、母の眠る教会へと出奔する事を考えていようとも、今はまだ公爵令嬢。自分の浅はかな行動で、これ以上ベイカー公爵家に迷惑をかけるわけにはいかない。  そんな事にも気が回らないほど、今のエリザベスは冷静ではなかった。  ハインツの浮気現場を抑え離縁を叩きつけようと考えていても、エリザベスの心に芽生えたハインツへの想いは、簡単には捨てられない。  色々な感情に振り回された半年間が、エリザベスの脳裏を駆け巡る。  始めは反感しかなかった。  ハインツの言動に振り回され、いつの間にか婚約者にさせられ、怒りしか湧かなかった。しかし、彼と接すれば接するほど、垣間見える優しさにエリザベスは絆された。  そして、人知れず続けた努力を彼に認められた時、自分の想いを自覚した。  ハインツ様が好きだと――  自分の想いまで否定はしたくない。今でも、ハインツを愛しているのだ。だからこそ、ケジメをつけねばならない。 「ミリア、ごめんなさい。もう迷惑はかけないと思うわ」  一言告げ、エリザベスは視線を窓の外へと投げる。のどかな田園風景が流れる車窓は、なんだかもの悲しげに映った。 「――お嬢さま、何をお考えで……」  その時だった。ガタンっという大きな音を鳴らし、馬車が急停車する。  その反動でエリザベスの身体が宙を舞い、ミリアの胸へと体当たりしていた。  シーンと静まり返った車内に緊張感が走る。 「賊に襲撃された! 絶対に外に出るな!!」  外からは、剣がぶつかる音と叫び声が聴こえてくる。 「お嬢さま! 絶対に外に出ないで下さい。賊の目的はエリザベス様です」  いつになく緊張した面持ちのミリアを見て、否応なしに緊張感が高まっていく。  自分の浅はかな行動のせいで大切な人を危険に晒してしまった。今さら後悔したところで遅い。 (ミリアだけでも逃さなきゃ。賊の目的が私だと言うなら……) 「ミリア、私が――」 「お嬢さま、静かに。貴方様、一人だけなら守り切れるかもしれない。いいですか、私の言う事を聞いてください。賊が外から扉を開けた瞬間がチャンスです。体当たりしますので、その隙に外へ。馬の扱いに慣れているお嬢さまなら、裸馬にも乗れますね。ベイカー公爵家の優秀な御者なら、賊に襲われた時の対処は出来ています。馬車と切り離された馬に乗りお逃げなさい」 「しかし、それではミリアが!」 「甘く見ないで頂きたい。エリザベス様の侍女となった時から覚悟は出来ています。貴方様を守るための鍛錬を欠かした事はない。今は、ご自身の身の安全だけをお考えください。わかりましたね」  隠し持っていた短剣で、デイドレスの裾を切り結んだミリアが、エリザベスを庇うように扉の前へと立つ。  短剣を構え、低い体勢を取った彼女の覚悟を感じ、押し黙る。 (今生の別れとなってしまうの!?)  ミリアに何を言っても、エリザベスを守ろうとする意思は変わらないだろう。なら、ミリアの足手まといにだけはなるまい。  そうエリザベスが覚悟を決めた瞬間だった。  扉が開かれるとミリアが短剣を片手に飛び出す。それと同時に馬車の床を蹴り地面へ降り立ったエリザベスは、馬車の前方へと身を翻し走り出した。  しかし、次の瞬間、突然目の前に現れた人影にぶつかりエリザベスは弾き飛ばされていた。 「うっ、わぁぁ! あっぶねぇって、えっえっ」  地面に叩きつけられた反動で、身体が悲鳴をあげる。ただ、そんな事に構っていられる余裕はない。  この場から逃げなければならない。ミリアが命がけで作ってくれた退路、無駄に出来ない。  目の前にいる白服の男は、何故だか慌てている。まだ、逃げられる可能性はある。  痛む身体を叱咤し立ち上がると、エリザベスは前へと駆け出した。 「……ちょ、ちょ、俺どうすんですか!?」 「いいから捕まえろ!」 「捕まえろって言ったって、あぁぁ俺、まだ死にたくない」 「逃げられたら、俺たち全員死亡だ。お前一人の命、さっさと差し出せ!」 「そんな殺生なぁぁぁ」  意味不明な言葉を叫んだ男は、いとも簡単にエリザベスを捕らえてしまう。  力の差は歴然、逃げるため必死に暴れるエリザベスの抵抗など無いに等しいかのごとく、背後から羽交締めにされた身体は、びくともしない。 「あぁぁ暴れないでください、ベイカー公爵令嬢様。傷など出来ようものなら、上官に殺されますんで、俺が」 「いいや、もう遅いぞ。すでに傷だらけだ。お前詰んだな」 「えっえっえっ、あぁぁぁ……嘘だろ、さっきぶつかった時か……、俺死んだ」 「大丈夫だ。骨だけは拾ってやる」 「あぁぁ、他人事だと思って!」  前方から現れた仲間の存在に絶望感が頭を支配し、エリザベスは何も考えられなくなる。 (捕まってしまった。ミリアが作ってくれた逃げ道を無駄にしてしまった)  あふれ出した涙でエリザベスの視界がにじむ。  その時だった。  聴き覚えのある声にエリザベスの心臓が跳ねた。 「馬鹿なこと言っていないで、さっさとお嬢さまを離しなさい」  彼女の声に呼応して拘束が緩むと同時に、エリザベスは駆け出していた。 「ミリア……、生きて……」 「お嬢さまも。ご無事だったようで何よりです」  ミリアの胸に縋り、歓喜の涙を流す。  そんなエリザベスの頭をミリアが何度も優しく撫でるから、ここが何処かも、周りに誰がいるのかも忘れエリザベスは泣き続けてしまった。
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