悪女へ

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悪女へ

「エリザベスお嬢様、早く起きてください! 今日は、アイリス様とミランダ様が来てくださる日ですよ。昨夜お休み前にお伝え致しましたよね。もうすぐ昼食の時間になります。このままでは、お茶の時間に間に合いません!」  今朝も今朝とて、ベイカー公爵家の一室に響き渡ったエリザベス付き侍女ミリアの怒号に、エリザベスは眠たい目を擦り、起き上がった。 「ミリア、今からお断り出来ないかしら……」 「何をバカなことをおっしゃっているのですか!! 皆さま、お忙しい中お嬢様を心配して来てくださるのですよ。本当に間に合いませんから早くベッドから出てください」  ウィリアムから婚約破棄を言い渡された日からエリザベスは自室へと引きこもっていた。そんなエリザベスをおもんばかり、家の者達皆がエリザベスをそっとしておいたが、彼女付き侍女ミリアが数日前にキレた。ミリアの怒声が、静かなベイカー公爵家に響き渡ったのだ。  ぷりぷりと怒るミリアを見て、怒られても仕方ないかと思う。婚約破棄を言い渡されてからの数週間、ベイカー公爵邸の私室に引きこもり続けるエリザベスを、根気強く励まし続けてくれるミリアに甘えている自覚はある。  彼女の母がベイカー公爵家の乳母だった事もあり、幼い頃からミリアとエリザベスは姉妹のように育った。そんな関係性もあり、姉のようなミリアにエリザベスは昔から甘えっぱなしだった。 「エリザベス様! 私は、心底愛想がつきました。淑女の鑑とまで言わしめたお嬢様が毎日毎日ベッドから出ず、自堕落な生活。たかが第二王子に振られたくらいでメソメソと。王太子に乗り換えてやるくらいの気概を見せてください」 「ミ、ミリア、ちょっと待って。それ王太子様に失礼だから」 「でしたら、ウィリアム様を見返してやるくらいの気概を見せてください。さもないと」 「何!?……」  ミリアの脅しに屈したエリザベスは、こうして数週間ぶりに私室から出る事になったのだ。 ♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢  季節の花々が咲き乱れる庭園の一角に設置されたサンルーム。その扉を開け中へと入ったエリザベスを芳しい花の香りが包む。 (皆さま、何処にいらっしゃるかしら?)  辺りを見回したエリザベスはすぐに、白のテーブルセットの椅子に腰掛け歓談している友を見つけ笑みをこぼした。 「アイリス様、ミランダ様。ようこそ、お越しくださいました」 「エリザベス様!」  エリザベスの声に振り返った二人が駆け寄って来る。その姿を認めたエリザベスの瞳に薄っすらと涙が浮かぶ。 (私は幸せ者だわ)  社交界から姿を消して数週間、まだこうして心配してくれる友がいる。その事が何よりも嬉しかった。 「皆さま、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」 「いいえ、あんな事があった後ですもの。エリザベス様の心労は計り知れませんわ」 「本当です。まさか、殿下があんな暴挙に出るとは! しかも相手は、あの女狐だなんて……」 「ミランダ! よしなさい。その話題わ」 「あっ……。エリザベス様、申し訳ありません」 「ミランダ様、良いのです。私も、引きこもっている間、色々と殿下との今までを思い返しておりましたの。ウィリアム様への想いは、ずっと一方通行だったと気づきましたのよ。婚約者でありながら、殿下の心を繋ぎ止めておけなかった私にも落ち度はありますわ」 「いいえ! エリザベス様、それは違います。貴方様に落ち度などありませんわ。婚約者がいる男性に色目を使うマリア男爵令嬢が悪い。もちろん、それにホイホイ引っかかる殿下はもっと悪いと思いますが」 「よしなさいって、ミランダ!」 「だって、アレではあまりにもエリザベス様が……」  目の前で声を荒げるミランダをアイリスが嗜める。ミランダの過去を思うと、彼女が今回の件に憤るのも無理はない。ミランダもまた、マリア男爵令嬢に婚約者だった男性を誑かされ、婚約破棄に追い込まれた被害者女性の一人なのだから。  まぁ、今は紆余曲折あり、王太子殿下の右腕と言われる近衛騎士団長のカイル・スバルフ侯爵子息と婚約を結び直し、ラブラブではあるのだが。カイルの溺愛っぷりも社交界の話の種になるほどで、婚約期間の一年を待たずに結婚するのではと噂されている。  婚約破棄に追い込まれた時のミランダの焦燥ぶりを知るエリザベスとしては、カイルと結ばれ本当に良かったと思っている。 「アイリス様、本当に大丈夫ですから。それよりも、アレと言うのは社交界での噂の事ですね」  社交界に顔を出さなくなり数週間とはいえ、噂くらいは耳に入る。 「エリザベス様は、あの噂をご存知なのですか?」 「えぇ。ウィリアム様との婚約破棄に関して、全面的に私側に非があると言うものですよね。確か、複数の男性と関係があったとか、下位貴族令嬢に対する過度な虐めに、仕舞いには権力を使い廃位に追い込んだ貴族家もあるとかないとか。民の見本となるべき王子妃としての資質に欠けると。だいたい合っているかしら?」  鎮痛な面持ちで頷く二人を見て悟る。  ウィリアムは、はなから約束を守るつもりなどなかったのだ。マリア男爵令嬢との婚約を認めさせるために、エリザベスを悪女に仕立てるなど、ウィリアムなら造作もなくやるだろう。 (滑稽ね……。本当、馬鹿みたい)  婚約破棄を言い渡され、殿下の愛など始めから無かったと悟ったと言うのに、まだ心のどこかで彼に愛されていると幻想を抱いていた。  あの日から軋み続ける心が痛い。  社交界で流れる噂は、エリザベスが知る以上にひどいモノばかりなのだろう。友の鎮痛な面持ちを見ればわかる。  殿下は、社交界からもエリザベスを追放しようとしている。そうまでして、マリア男爵令嬢と貫く愛とは、いったい何なのか。  それとも、エリザベスの存在自体が我慢出来ないほど嫌いなのか。  込み上げる涙がエリザベスの視界をぼやけさせる。  泣く訳にはいかない。ここで泣けば、あの二人に負けた事になる。そんなの悔しい。 (泣いてたまるものですか!)  溢れ出しそうになる涙を堪え、笑みを作る。 「アイリス様、ミランダ様。言いにくい事を言わせてしまい申し訳ありませんでした。私も、前を向かねばなりませんね」 「そうですとも。男は殿下だけではありませんわ」 「そうです、そうです。社交界の華と謳われたエリザベス様なら、引く手数多ですわ」 「えぇ。シュバイン公爵家のハインツ様を筆頭に、まだお相手がいらっしゃらない殿方もチラホラと……」  嫌な名前を出され、一瞬顔が引き攣りそうになるが、何とか笑顔を保ちその場を乗り切る。 (嫌だわ……。そう言えば、あの方も独り身だったわね)  公爵家長男とはいえ、あの性格では誰もお嫁に行きたがらないだろう。 (あの方が結婚出来まいと私の知った事ではないわ。ただ、婚約破棄された私もお先真っ暗よね)  悪評が広まったエリザベスを娶ってくれる独身男性などいない。後は父の政略の駒として、訳あり貴族の後妻に入るしかないだろう。 (お先真っ暗な残りの人生なら、修道女になった方がマシかしらね)  そんな事を考えていたエリザベスが、父親の書斎に呼び出され、無期限の領地療養を命じられたのは、その数日後の事だった。  
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