対峙

1/1
前へ
/58ページ
次へ

対峙

「おや? てっきり開口一番、殴られると思っていましたが……」 「えぇ、出来る事なら思いっきり引っ叩いてやりたいわね」  神父に案内されエリザベスが入った部屋は、教会の中に在るとは思えないほど豪奢な部屋だった。  天井からはシャンデリアが吊り下げられ、置かれている家具には精緻な彫り細工が施され金箔が貼られている。壁に掛けられた絵画にしても、さりげなく置かれた調度品にしても、一目で高価な品だとわかる。  来客を迎える客間ではある事は間違いないが、一般的な教会にある客間はこんなに華美ではない。 (まるで王族でも迎えるために用意された客間みたい)  ぐるっと室内を見回していたエリザベスにハインツが声をかける。 「不思議に思っているのでしょうね。こんな辺鄙な所にある教会にしては、豪華だと」 「えぇ。この教会の守りの堅さにもね。その理由をハインツ様が教えてくださるのでしょう。この教会の秘密を。そして、例のシスターのことも」 「もちろん」 「――でも、その前に……、やっぱり一発殴らせてもらえないかしら?」 「ふふふ……、どうぞ」  クスクスと笑いながら、挑発的な笑みを浮かべるハインツの元へと早足で近づくと、エリザベスはハインツの胸ぐらをつかみ彼の唇を奪った。  重なった唇が深く、深く交わる。  驚きからかわずかに開いた唇に己の舌を強引にねじ込み、ハインツの口腔を犯す。始めは反応を示さなかったハインツの舌だったが、エリザベスの愛撫に合わせ絡みつく。  吸って吸われて、絡みつく舌に、含みきれなかった唾液がエリザベスの顎を伝い落ちていった。  ポタポタと滴る唾液にドレスが汚れるのも気にせず、二人は時間を忘れ貪りあう。  ずっと待ち望んでいた。あの夜からずっと……  最後にハインツの唇にエリザベスの唇がチュッと吸われ離れていく。クスクスと笑うハインツの目には、頬を染め瞳を潤ませたエリザベスが写っていることだろう。 「本当、ひどい男。目的のためなら、平気で嘘をつく。どれだけ私が傷ついたかなんて、貴方には些末な事なんでしょうね」 「――些末な、事ですか。私の不安には、想いを馳せてはくれないのですか? もしあのまま、貴方が私の前から姿を消したらと考えるだけで気が狂いそうだったのに……。賭けだったのですよ。突き放されてなお、貴方が私を追いかけて来てくれる保証はどこにもありませんでしたから」 「そんなの勝手な言い分だわ。想いを通わせた途端、突然冷たくされたら誰だって絶望する。ハインツ様にとって私はただの目的のための道具に過ぎなかったのかと。あんな観劇を見せられ、私がどんなに傷ついたか」  あの夜のことを思い出し、エリザベスの瞳に涙がにじむ。 「エリザベスは、あの観劇を見て何も思いませんでしたか? 王太子に見初められた男爵令嬢の幸せな物語。二人で力を合わせ、憎っくき悪役令嬢を断罪し、めでたく主役の二人は結ばれる。はたから見ればとても幸せな物語だ。そこに誰も疑問を感じない。悪役令嬢は、本当に悪だったのかと――」 「えっ!?」  ハインツの言葉にエリザベスの心臓がドキリっと鳴る。 (ハインツ様も私と同じ疑問を、あの観劇に感じていたの?)   あの夜、『どうしてこの観劇を私に見せたのか』と問うたエリザベスに、ハインツが言った言葉を思い出す。 『貴方に真実を伝えたかったと言えばお分かりになりますか?』  ウィリアムの策略に嵌り、悪女に堕とされたエリザベスに対する牽制だと思っていた。  身の程を弁えろ、お前は悪女に堕とされた罪深き女なのだからと。  しかし、その認識自体が間違っていたとしたら。  あの言葉の裏に隠された真実は、エリザベスの願望でしかないのかもしれない。ただ、それを確認せずにはいられない。  不安な気持ちを押し隠し、エリザベスは口を開く。 「ハインツ様は私に教えたかったのですね。悪女の末路はまだ決まっていないと」  ハインツの浮かべた満面の笑みを見て、エリザベスの瞳から涙が溢れ出す。  とめどなく流れる涙が不安で押し潰されそうだった心を洗い流す。  そして最後に残ったのは、ハインツを『愛している』という気持ちだけ。 「エリザベス、貴方にかけられた汚名は、自らの手で返上しなければ意味がない。貴方の心にかけられた『ウィリアム』という呪いを解けるのは、あなただけ。それを知ってもらいたかった」 『ウィリアムという呪い』か……  ハインツを愛していようとも、自らの手で決着をつけなければ、エリザベスはウィリアムの存在を本当の意味で忘れ去ることはできない。  心に不安が募るたび『ウィリアム』という呪いが亡霊のように蘇り、エリザベスを苦しめることとなる。 (ハインツ様は、あの観劇を私に見せることで、その事を理解させたかったのね)  こんなにも私を理解し、導いてくれる人はいない。  想いのままエリザベスは、ハインツにギュッと抱きつく。そんなエリザベスの頭を優しく撫でる手。  あの観劇の夜と同じ状況だというのに、心持ちが違うと捉え方も変わる。彼に愛されていると思うだけで、勇気が湧いてくる。 「ハインツ様、私……、自らの手で決着をつけます。初恋を終わらせるために」 「――では、参りましょうか。貴方と共に戦う協力者の元へ」  
/58ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1159人が本棚に入れています
本棚に追加