悪女の末路

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悪女の末路

「今宵はウィリアムの婚礼の儀の披露目であったが、この様な事になってしまった。もちろん明日の婚礼の儀は中止となるが、このまま夜会を楽しんでくれ」  陛下の言葉と共に王族が退場すると、会場中が大騒ぎとなった。 「エリザベス、帰りましょう。ここに居たら噂好きの貴族に離してもらえなくなります」  エリザベスは、ハインツに抱き上げられ急ぎ会場を後にした。その姿を見ていた沢山のご令嬢やご夫人のため息を聞きながら。 ♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢ 「ははは、まさかエリザベスがここに来たいと言い出すとは、思ってもいませんでしたよ」 「そうかしら? 嫌な思い出は、良い思い出で塗り替えたいと思うのが人の(さが)じゃないかしら」  エリザベスの目に写るのは、あの日見た景色と同じ。  青いタイル張りのバルコニーから見える景色は、漆黒の闇に浮かぶ無数の星々。本物の星と街に灯った光との境目すらわからないほど、見事な星の海にエリザベスはあの日と同じように感嘆の声をもらす。 「ハインツ様、私の夢叶えてくださるかしら?」 「エリザベスの夢?」 「えぇ、あの観劇の夜……、ハインツ様に突き放された私は、逃げるようにこのバルコニーへとやって来たのです。あの観劇の悪役令嬢と同じように、愛する人に裏切られ、全てに絶望し自棄を起こしかけていた。そんな私を優しく迎え入れ受け入れてくれたのが、この景色とメロディーだった」  どこからともなく聴こえてきたメロディーに背中を押される。 (この曲があの時流れてこなければ、私の運命は変わっていた) 「初めてハインツ様と踊った曲。このメロディーが聴こえてこなければ、きっと未来は変わっていた。一人で踊ったダンス、あの時間がなければ、心を奮い立たせる事は出来なかった。きっと今でもウジウジと家に閉じこもり、弱い自分のまま変われなかったと思う」  あの絶望があったからこそ一歩を踏み出せたと今なら分かる。ただ、心の奥底に残ったシコリは消えてはいない。  ハインツに突き放されたからこそ、自分を奮い立たせる事が出来たのだと頭ではわかっているのだ。しかし、心は納得していない。  だからこそ、ハインツをこの場所へと連れて来た。あの夜叶えられなかった夢の続きを彼と紡ぐために。  エリザベスはハインツへと向き直り、スッと手を差し出す。 「踊ってくださるかしら?」 「もちろん、喜んで」  手と手が重なり、あの日と同じように踊り出す。  二人だけのダンス。  初めてハインツと踊ったあの日と同じステップを踏み回る。ただ、それだけの行為が、こんなにも心躍るなんて知らなかった。一人で踊った、あの夜があったからこそハインツの存在をより近くに感じるのかもしれない。  心の赴くまま、彼の胸へと頬を寄せればトクトクとなる心臓の音が、心を震わせる。 「ねぇ、ハインツ様――」 「どうしました、エリザベス?」  ずっと疑問に思っていた。  長年に渡り策をめぐらせ、ウィリアム断罪計画を実行に移したハインツならエリザベスの協力などなくとも、レベッカを説得し、表舞台に引き出しウィリアムを葬り去ることも出来ただろう。しかし、彼はあえてエリザベスをウィリアム断罪の主役として表舞台へと立たせた。  なぜハインツはエリザベスがウィリアムを断罪することを頑なに望んだのだろうか?  ハインツは言った。 『エリザベス、貴方にかけられた汚名は、自らの手で返上しなければ意味がない。貴方の心にかけられたウィリアムという呪いを解けるのは、あなただけ』  それを分からせるためだけに、エリザベスを突き放したとはどうしても思えないのだ。  あの言葉の裏に隠された真実があるような気がしてならない。 「なぜ、ハインツさまはあの時、私を突き放したのですか?」 「……そうですね。呪いのような初恋に終止符を打ちたかったのだと思います。私もまた、エリザベスと同じように『ウィリアム』という呪いにかかった一人でしたから。突き放してなお、貴方が私を選んだ時、やっと私も呪いのような初恋から解放されたのだと思います」 「平気で人を試すようなことをする。本当にひどい人……」 「そうですね、確かにひどい男だと自分でも思いますよ。でも謝りません。それだけ長い時を貴方だけを想い過ごしてきたのですから……」  シュバイン公爵邸で初めて肌を重ねた日のことを思い出す。 『私の心に貴方はいない』と言ったエリザベスの言葉に、泣きそうな顔をして笑ったハインツの顔が脳裏に浮かび、胸がジクジクと痛む。  初恋の君がハインツだとわかってなお、彼の存在を否定したエリザベス。あの時、ハインツが感じた絶望を、今のエリザベスなら理解出来る。やっと心が通じたと思った瞬間に突き放される絶望を。  想っても想っても、相手の心に残ることが出来ない存在。  エリザベスがウィリアムの特別になれなかったのと同じように、ハインツもまたエリザベスの特別にはなれなかった。  愛する人のために努力を重ねても、特別になれない。その時間が長くなればなるほど、その時間の分だけ人は歪んでいく。 (わたしがハインツ様をゆがませた……)  その事実が甘い毒となり、エリザベスの心を犯す。 「ハインツ様の呪縛は解けたのかしら?」 「えぇ、貴方の特別になれましたから」 「そう――」  あの夜と同じように優しい夜風がエリザベスの頬を撫で、銀色の髪を揺らす。 (ハインツ様に囚われる未来か……)  それを心地よいと感じている自分が確かにいる。  エリザベスは頭に浮かんだ未来に苦笑をもらす。 「ねぇ、ハインツ様。悪役令嬢の末路はどうなったと思いますか?」 「あの観劇の悪役令嬢の末路ですか? そうですね……、断罪され舞台から退場した悪役令嬢の末路など観客は気にもしない。主役二人の幸せな結末が分かれば満足し、登場人物の歩む、その後の人生に想いを馳せる者など皆無です。主役二人の幸せな結末が虚像だったとしても、その先に悪役令嬢の逆転劇が待っていようとも、観客はそんな事に興味を示さない。それが観劇というものです。しかし現実は違います。物語は続いていく……、悪女に堕とされた公爵令嬢の末路はどうなりましたか?」 「ふふふ……、悪女に堕とされた公爵令嬢は、自らの手で冤罪を晴らし表舞台へと返り咲いた。ずっと自分を愛し続けてくれた最愛の人と共に」 「それが、貴方の答えですね」 「えぇ。ハインツ様……、誰よりも私を理解し、愛し続けてくれてありがとう。そして、今だから言えるの。ハインツ様、貴女のことを心の底から愛しているわ、私の初恋の人」  自然と二人の唇が重なり、深く深く交わる。  これから先、彼といる限り不安になることも、絶望を味わう事もあるだろう。あの観劇の悪役令嬢と同じように、表舞台から消え去る運命が襲ってくる可能性すらある。  しかし、今の自分であれば、どんな困難が来ようとも立ち向かえる。一人で踊ったあの夜が、思い出させてくれる。あの絶望が原動力となる。 『ここで負けるお前ではないだろう』と。  ファンファーレの音と共に曲が終わり、自然と足が止まる。遠くで聴こえる拍手と歓声が、二人を祝福しているようで笑みが溢れる。  無数に光る星々と黄金色に輝く月の光が、重なり合う二人を優しく照らし、遠くで聴こえる観劇のフィナーレを告げるメロディーが勝利を勝ち取った二人を祝福していた。
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