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慌てて、私は踵を返した。雨の日に傘もささず、おまけに野良猫相手に会話をする高校生なんて、下手に近づくべきじゃない。途端に、後ろから足音が追いかけてきた。
「ちょ、ちょっと待てえや!」
待つわけないでしょ。私は絶対に振り返らないようにしながら足早に中庭を横切る。彼があんなヤバい人だとは思わなかった。
「おい、話を聞けって!」
気配がすぐ後ろに迫って、私が駆け出しかけると同時に、一足早く前に出た男の子が立ち塞がった。びっくりしつつも横をすり抜けようとする私の腕を掴みかけて、彼は躊躇いながら手を引っ込める。どうやら、失礼な人ではないらしい。
私もやっと足を止めて、怪しい男子学生を見上げた。私や結々より少し背が高いぐらいの彼は、気まずそうな顔をする。
「いや、俺は別に怪しくなんかないで」
「……猫と話してたのに?」
私の言葉に口ごもりつつ、彼はなおも弁解を続ける。
「なんていうか、俺はな、動物と話せるんや。話せるっちゅうか、言いたいことが分かるって感じやけど。せやから別に、頭がおかしなっとるとか、そういう話やないで」
十分頭がおかしいじゃないと、私は視線でツッコんだ。「信じられへんと思うけど」私の言いたいことを察して、彼はそう付け足す。
にゃあと声がした。私たちが振り向くと、イチョウの木の下にあるベンチに、いつの間にかさっきの猫が乗っていた。右耳と背中、尻尾の先が黒い、小さな可愛らしい猫。それを見た彼はため息をついて猫のそばに寄ると、ベンチに腰掛けてその頭を指先でかく。私も動物は好きだから、猫をはさんでそっと座った。背中を撫でようと手を伸ばすけど、猫はするりと私の指をすり抜けて、彼の方に身体を寄せた。
「背中は嫌なんやと」
「じゃあ、どこならいいの」
質問してみると、彼は猫の顔を見下ろした。猫はベンチに伏せて彼を見上げる。水の膜が張っているような、エメラルドグリーンの澄んだ美しい瞳。この子はとても可愛くて綺麗な猫だ。
「耳の裏をかいてくれって」
「……ほんとに?」
「こいつはそう言っとるな」
怪しいと思いつつ、私は右手の人差し指で、猫の黒い右耳の裏をかいた。すると猫は気持ちよさそうに綺麗な目を細める。どうやらお気に召したみたい。
それでも半信半疑だった。猫飼いや猫好きなら、触れられて喜ぶポイントをもともと知っていてもおかしくない。彼もその一人なのではと思う一方で、そうして私を騙す必要がないのにも気が付く。試しに訊いてみた。
「この子、さっきは何て言ってたの」
「ああ、たまーに俺がおやつやっとんやけど、毎日寄越せって言いだしてな。そんなんしたら太るからあかんって叱っとったんや。こいつわがままやから、なかなか言うこと聞かへんけど」
悪口を言われているのに、猫はころんと横になって大あくびをしてみせた。まるでうちで飼ってるコーギー犬みたいで、思わず抱きしめて頭に顔をうずめて深呼吸したくなるのを我慢して、猫の頭や顎の下を恭しくかかせていただく。
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