「密室殺人」的な

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「密室殺人」的な

 新聞にでかでかと載った見出しを読み上げてから、犬神は「けっ」とその新聞紙を卓上に投げる。 「完全密室殺人の謎だと。ふざけんな」  そして呷るようにコーヒーを飲み干して、そう言葉を吐き出す。  向かい側では友人の龍安寺が、丁寧にソーサーとコーヒーカップを持ってたたずんでいる。モデルのように立ちながら龍安寺は、 「どうしたんです。何をそんなにいきり立っているのですか」と笑いかけた。  今新聞をにぎわせているのは、都内の屋敷で起こった資産家A殺人事件である。ミステリ好きな犬神は興味を示していた。この事件の大きな謎は、殺害現場がいわゆる密室となっており、犯行手段が分からない点にあった。 「マスコミはすぐに『完全密室』などと面白おかしく書き立てる。完全密室などそもそもありえない。どうせ稚拙なトリックなのだ。なんでもかんでも安易に言うべきじゃないんだよ」  犬神は不機嫌に言う。 「そこですか」  コーヒーを啜って龍安寺は苦笑いする。  密室の定義とは、と犬神は続けた。 「内部および外部からの出入りや干渉が一切不可能な室内であること。これが完全密室だ」 「さすがミステリ愛好家ですな。分かりやすい説明です」  そう感嘆してうまそうにコーヒーを飲む龍安寺を、犬神は上目遣いで見やる。 「つまり完全なる密室で殺害をし、犯人が逃げることは論理的に矛盾している。不可能だ。この事件も陳腐なトリックもどきが暴露されるだろう。完全密室の謎など、ちゃんちゃらおかしいのさ」  そう言い放ってから、犬神は伸びをして大きく欠伸をする。龍安寺はコーヒーをくいっと飲み干した。 「確かにあなたの言う通りでしょう。完全密室などという言葉は、いつも視聴者をくすぐるいわゆる誇大広告のようなものです。そこにあるまやかしの正体を暴くのが、まあミステリの醍醐味ではありますがね」  龍安寺はふふふと笑い、犬神は満足気に大仰に足を組んでまた「けっ」と返した。 「しかしどうでしょう。本当に完全密室での犯行は不可能でしょうか。私が思うに、条件さえ合えば十分に可能のような気がします」 「どういうことだ」  犬神は挑戦的な表情を向ける。 「そうですね、例えば」と龍安寺は飲み終えたコーヒーカップを置いて話を続ける。 「完全密室殺人を、仮にこの部屋でやるとします」  そう言って龍安寺はリビングのベランダ側へ歩む。  そしてベランダに面した分厚いカーテンを勢いよく全開にした。犬神は一瞬身構えたものの、黒々とした闇にぼんやり浮かぶ夜景を見つめると、顔をしかめて「けっ」と言った。 「このマンションの部屋が外部とつながっているのは、ベランダと玄関の2か所だけです。今ベランダに通じるこのサッシは内側から施錠されています。ですから犯人はここからは出られない。無論出られたとしても15階だから、どこへも逃げられませんがね」  また龍安寺はふふふ、と笑う。 「そして」  と言って今度はリビングを突っ切り、薄暗い玄関へ歩んでいく。 「この玄関ドアには頑丈なカギと内側にチェーンがかけられています。内側から両方を施錠すれば完全な密室になります」 「至極当然のことだ」 「さて、このマンションは普通の分譲マンションです。隠し扉だとか、隠し穴などの小細工はできません。換気扇もダクト式でフィルターがなされています。外部が直接干渉できるのはやはりベランダと玄関の2か所のみとなります」  龍安寺が腕を組んで玄関の壁にもたれた。 「で、どうやって密室殺人を行うのだ」  犬神が前かがみで食いつく。 「単純なことです。被害者、つまりあなたが自ら玄関のカギをかければよい」  ぽかんとした口を開けて、犬神は涼しい顔をした龍安寺を見上げる。そしてふらつきながら立ち上がるとウィンクをして親指を立てて見せる。 「さすが龍安センセ、ナイスギャグセンスだ」 「おほめ頂いて、恐縮です」  ふたりは連れ立って玄関に行く。ギイイと音を立てて龍安寺はドアを開け、外に出てみせる。半開きのドアを間にしてふたりが対峙する。 「犯人は普通に帰るのですよ。そして被害者のあなたはドアを閉め、いつものようにカギをかける。これで密室が完成します」  ひひひと低い声で犬神が笑った。おもしれえぞ。  ゆっくりと重みをもった扉が閉まる音がする。完全にドアが閉まった後、カツンと施錠する甲高い音がした。同時にドアの向こうでくぐもった犬神の笑い声が聞こえた。 「ひひひ。たしかにこれで密室だ。……だが馬鹿かセンセイは。密室はできたものの、このあとどうやって……、どうやって俺を殺すというのだ?」  犬神の低い笑い声が聞こえた直後、おもむろに扉の向こう側でどさりと重い物が倒れる音が響いた。それを確認して、龍安寺は踵を返し、エレベーターへ向かう。腕時計に目を落とす。まもなく東の空が明るくなり始める時刻である。思わずてこずったせいで際どかった。龍安寺は歩を急いで立ち去った。  数日後たまたま改修工事を行っていた作業員が、開け放たれたカーテンの向こうで変死している犬神を発見した。強い陽光に照らされ、リビング中央で犬神は仰向けになっていた。  警察はコーヒーカップから少量の睡眠薬を検出したが、直接の死因となるような致死量ではなく、遺体に外傷もなかった。しかも部屋は密室となっていた。事件ではなく、犬神は突然の心臓発作による死亡と判断された。  仲間内で疎まれていた犬神をようやく葬った龍安寺は、闇夜の路上でマンションをふり仰いだ。  警戒心の塊のような相手で難儀をしたが、今は心地よい夜風のような達成感があった。  龍安寺はふふふと笑ってマントを翻し、暗黒の夜空へと黒い翼をはためかせて飛び去って行った。 (了)
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