「誘拐」的な

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「誘拐」的な

 誘拐犯グループが、S防衛大臣の孫である拓斗を狙っているという。  からの情報である。およそ1か月以内に誘拐を実行するだろう。それを阻止せよ。  俺はいつもの三軒茶屋にある薄汚いバーで、マスターの青樹から指令を受ける。年齢不詳の白髪の男で滅多に笑わない。アイリッシュウィスキーの水割りを一杯だけ呷る。 「第4幕の開演だ」  ボスの趣味なのか青樹の趣味なのか分からない。彼らは俺への指令を、まるで芝居の舞台のように告げてくる。前回までの3回の任務遂行も彼らにとっては愉快な演目を鑑賞するようなものだったのだろう。しかし与えられる任務は華やかな舞台の世界とは程遠い。拐取に強奪、前回は暗殺だった。裏の世界である。そういう意味ではまるで虚構の世界と言えなくもないが。  バーには3年も通っているが青樹の素性は分からない。ボスに至っては会ったことすらない。一方的に仕事の指示が来るだけである。  ただ俺はそれで一向に構わない。すでに世を捨てたも同然のフリーの「掃除屋」が俺であり、指令が誘拐であろうと殺害であろうと冷酷にこなすことができる。現にそうしてきた。  時として散々利用された果てに捨てられる運命を覚悟してはいる。そうならないだけの貢献はしてきているつもりだが、ボスは神でも父親でもない。必要がなくなれば俺は消される。それもまた一興だという達観したものはあった。  今まで俺は「ターゲット」に関心を持つことはなかった。全くの他人として、いやそもそも標的は人間とも見ていなかった。  だが今回は事情が異なる。  S防衛大臣の孫である拓斗は、俺の甥にあたる。大臣の息子である官僚の拓一郎に姉が嫁いだ。親戚としての付き合いは今はほとんどないが、若い頃は何度か姉の新居に行った。幼い頃の拓斗はなぜか俺によくなついた。可愛がっていた。  その拓斗が誘拐の対象になっているという。微かな驚きはあった。だが俺は強いて感情を押しつぶした。誘拐の目的など分からなくて良い。どのような組織が暗躍しているかもどうでもよい。ただ俺は受けた指令を粛々と遂行し、高額の報酬を得る。今回も同様に行うだけである。いつもそうやってきたように――。  11歳の拓斗は自宅と同じ区内にある私立大付属小に通っている。彼には日常的にボディガードのような形で警護の人間がついている。ひとりで街を歩くことはまずない。その深い理由は知らないが、祖父のS防衛大臣に関わる政治的な事情が絡んでいることは分かっていた。  そのため、面識のない人間が直接拓斗個人に接触をはかることはほぼ不可能である。通学時は毎日自宅から学校までの距離を母親が運転するメルセデスで通い、週末はほとんど自宅で過ごす。遊ぶ友人は限られていた。  週に2回だけ小学校から2ブロックほど離れた会員制スイミングスクールに通っている。学校からスイミングスクールまでの300メートルほどの距離だけは徒歩で行くが、しかしその間も同じ付属中にいる従兄のユキマサが同行する。  ユキマサも幼い頃にはよく可愛がった。年齢より2つ3つ先取りしたような大柄の身体をしており、幼い拓斗を守るSPのような子である。ふたりが防犯アイテムを持たされていることは間違いないだろう。  青樹の情報では、S防衛大臣側は今回の誘拐の件は一切知らないという。秘密裏に事態を収拾させるというのが今回の任務である。そのための手段は選ばない。誘拐を阻止さえすればよい。もちろん俺が拓斗の叔父にあたることはボスは百も承知である。箝口令が出ている。軽はずみな行動をすれば俺が消されるだけだった。    誘拐犯が狙うとすれば、唯一の可能性があるスイミングスクールまでの道中しかない、と青樹はグラスを拭きながら言った。だから逆にお前はそこを狙って待っていれば良いと。 「実にたやすい作業だろう」 「簡単に言ってくれるなよ。今回も俺ひとりだ。他に援軍がいるわけじゃない」  青樹は口元だけを歪めてにやりとする。 「何を今さら。たるお前らしくないセリフだ」  俺はグラスを呷って苦笑いする。  3年前まで俺は陸上国防隊(陸防)の特殊部隊に所属していた。一公務員として国のために真面目に働いていたというわけだ。  陸防に入隊して、最後の2年間所属した特殊部隊は「K団」と呼ばれた。高高度からの落下傘降下、山岳地帯の地上戦、諜報活動など、精鋭中の精鋭として鍛えられた。単身で戦うエキスパートである。  そのK団を3年前にスッパリと辞めた。理由は単純で、俺の性に合わなかったからだ。大義を背負い、国のために命を懸けるという任務が馬鹿馬鹿しくなった。  しかしK団を一方的に辞めた俺に、国家は平穏な社会生活を与えなかった。機密で動く特殊部隊の性格上当然であった。3年間俺の行動は分からないように逐一監視され、見えない目で追われ続けた。それを甘受した。そうするしか無かった。そしてある日ボスから声がかかった。俺は彼の支配下で「掃除屋」になったのである。 「敵を制圧したら、いつものように逃走用の車を用意する。安心しろ」  青樹はちらりと視線を投げてそう言った。ボスの仕事は毎回終わりが綺麗だ。緞帳の下りた舞台には何ひとつ残さないで終焉させる。彼らの美学らしい。その徹底ぶりは、裏を返せば演者が失敗をすれば速やかに消されることも意味する。  俺は誘拐犯グループがどのような犯行計画を考えているのか思案していた。スイミングスクールまでの短い路上での誘拐は至難の業に思えた。300メートルほどの往来は人通りが多い。しかも白昼である。拓斗は体の大きいユキマサが守っている。おそらく防犯のあらゆる道具も携えている。そのタイミングしかないとはいえ、どのような手段で誘拐を実行しようというのか。 「それはお前が考えることだ」  青樹の言葉はいつものように冷徹である。 「報酬はいくらだ」 「1000万」 「安いな」  俺はわざと不服げに投げつけた。犯行グループはかなりの組織のはずである。そこに単身喧嘩を売るのだ。報酬が軽すぎる。 「知らねえ。文句を言うんじゃねえ」  青樹はいつものセリフを返すだけである。分かったよ、と俺は手を振った。  拓斗の学校からスイミングスクールへと通じるバス通りに軽貨物便を装ったバンを駐車し、そこで俺は毎日張った。目星は付けていた。数日前から挙動がおかしい宅配業者のトラックが1台いる。1週間近く、この界隈から半径1キロほどのエリアを探索している形跡がある。逃走ルートを探っている気配が感じられた。  青樹のバーを出てから、敵の犯行手段は何かを考えていた俺は、一般の配達車両や現金輸送車といった業務車両による犯行と目星を付けていた。白昼誰にもとがめられない存在で、なおかつ拐取した人間を入れる「箱」があるもの。荷台ボックスがある配達車両などを疑ったのである。  3日かけて現場周辺に現れたそうした車両全てにGPSを取り付けた。その内の1台に怪しいものが見つかったのである。練馬ナンバーの大手黒豹グループの配達車両。ターゲットの捕捉に鼓動が高まっていた。  掃除屋として仕事をする際に、俺は一切の私情を挟まない。その仕事が何のためなのか、誰が利益を得るのか、そうしたことにも興味がない。  しかし今は微かに俺の心は熱を帯びていた。もちろん意識的に消してはいるが、感情の操作ができない部分で熱くはなっていたかもしれない。犯行グループは強硬手段も辞さない覚悟があると知ったからだ。つまり同行するボディーガード役のユキマサがいようとも、またどんな防犯グッズを持っていようとも、一気に力づくで捕獲して荷台に押し込もうというつもりなのだ。たとえまだ子供の拓斗が怪我をしようとも。  2歳のころの無邪気な拓斗の笑い顔がちらつく。子供がいない俺にとって、唯一の感情的なだ。  数日後、GPSの画面を見ていた俺は確信していた。あきらかに不審な動きをしたターゲットがこちらに向かっていた。犯行が行われるのは十中八九今日であろう。  午後4時前、静かに現れた白色の配達用小型トラックがスイミングスクール前の小路に停車した。ターゲットの練馬ナンバーであった。俺は待機していたバンから降り、交差点付近で身を潜めた。  その時拓斗はユキマサと並んでスイミングスクールに向かって歩いていた。無邪気に会話をしながら人通りの多いバス通りから折れて、細い並木の小路に入る。  20メートルほど歩いてスクールのエントランスに差し掛かろうかとしていた。直前で荷出しを行っている小型トラックの脇をすり抜ける。  後部で開かれた荷台の扉に拓斗たちが接近した。その時、何気ない素振りで扉の陰から男の姿が現れ出た。帽子を目深に被っている。何か黒い物を手にしていた。咄嗟に俺は走っていた。 「拓斗!」  拓斗は身体をびくりとさせてから不安げに振り返り、そして俺の顔を見て驚いていた。 「こっちへ来い」  拓斗の隣に立つユキマサが一瞬身構えたが、俺の顔を見てあわてた。彼の後方からふたりの配達員の恰好をした男が姿を見せた。異様な雰囲気を察してユキマサは拓斗の肩を抱くようにして俺の方へと駆け寄る。  拓斗の手を掴み引き寄せた。焦ったような顔をした拓斗を自分の背後に追いやり、ユキマサとふたりで壁になって立ちふさがった勢いで、俺は目の前の帽子の男のみぞおちに蹴りを入れた。2人目の男の脛にも蹴りを入れた。鈍い音が鳴って男が頽れる。  それで素早く去るべきであった。しかし俺は、頽れた男の頸椎に手刀を振り落とすと首を右腕で締め上げて捻り上げた。低い骨の折れる音が響く。  一瞬「怒り」の感情が湧いたのだった。組織に対して、二度と拓斗に手を出させないためのこれは警告だった。夢中で抱きついてきた拓斗に抑えられて、ようやく我に返る。その時に1台のセダンが猛スピードでやってきて目の前で急停車した。ボスが手配した車であった。後部ドアが開けられ、中から「早くふたりを」と叫んだのは青樹だった。続けざまに2台目の車が横付けされた。  押し込むようにして拓斗とユキマサを青樹に預けた。セダンは急発進して消えた。2台目の開かれた後部ドアに身を投げ入れシートに身をゆだねる。息をつく。ようやく終わったと安堵した。  窓の外では、ボス側の人間らしい男たちが3人がかりで俺の倒した配達員ふたりを引きずって荷台に押し込んでいた。犯行グループを押さえたのだった。 「すべて成功だ。さすが、お見事だ」  気が付けば両サイドにはジャンパーを纏った屈強な男がふたり、俺の身体を押さえるように座っている。俺を称えた助手席の声は「ボス」の声だ。そう思った矢先に右腕に何かを刺された。 「ご苦労だった」  朦朧とする意識に声がかかる。助手席で正面を向いたままのボスが俺にそう言ったようだ。場にそぐわないような甘い香水の匂いがした。  そして虚ろになりながら俺は理解をした。そういうことだったのかと。俺は用無しになったのだ。 「君の素晴らしいラストシーンを見せてもらった」  後姿のまま「ボス」の声がそう俺をねぎらう。 「残念ながらカーテンコールはないがな」  そして消えかかる意識の中で奈落の底へと落ちて行った。 (了)  
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