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「クローズド・サークル」的な
老齢となった父親の墨田川五歩に招集された息子たち4人が、奥多摩の山中にある父の別荘に赴いた。
昨年新築されたという別荘は「五歩館」と名付けられていた。まるで明治時代からとり残されたかのような古めかしい洋館風で、一行は初めて足を踏みいれながら「親父らしいな」と言い合った。
生前に遺産相続の相談をしたい。というのが父五歩が招集した理由だ。長男の一郎はじめ4人の息子は意気揚々と乗り込んだのだった。
五歩はかつて現代ミステリー界の寵児と言われ、晩年までベストセラー作家と呼ばれた。印税で稼いだ金額は莫大である。妻を亡くし、この山奥に隠居した彼は粛々と「終活」を進めていたのだった。
五歩館のエントランスホールからゾロゾロと入った一行は、廊下の突き当りの奇妙な形をしたロビーで父五歩に迎えられた。
「今日は疲れただろう。部屋を用意しているので、今夜はゆっくりして明日家族会議を開こうではないか」
腰が曲がり、電動車いすに乗った父は微笑んでそう言い、長旅の息子たちを労わった。
食堂を兼ねたロビーが奇妙な形をしている理由は、各自が客室を案内されてよく分かった。エントランスからロビーまでの廊下を軸にして、ちょうど孔雀が羽を広げたような形でロビーを取り巻くように客室が並んでいる。五歩の部屋も含めてちょうど5部屋。ロビーを出るとすぐにカクカクとした回廊のような廊下がロビーを囲んでおり、その外側に各部屋が接している。ロビーの壁は多角形の内側のような形状をしていたのだ。
「なんて作りだ」
蔦の這う緑に風化されそうな外観を見て「なんて建物だ」と罵っていた長男の一郎がこっそりと呟く。まるで――。
「親父の小説にでも出てきそうな館だね」
3男の三郎が言葉を継いだ。一郎は苦笑した。脇にいた末っ子の四郎は、昔からの童顔をくしゃくしゃにして「いいなあ、事件が起こりそうな感じ」と呑気な声を出した。
洋風の装飾が施された客室の扉にはそれぞれ「1」から「5」までの番号が振られている。1;一郎、2;二郎、3;三郎、4;四郎、そして5の部屋には五歩がそれぞれ入った。
その夜、ベッドで眠っていた父五歩が何者かによって殺害された。
ロビーに集められた一郎以下4名は朝から警視庁の三越警部に事情聴取を受けた。三越警部は連れを伴っていた。鼠色の外套を纏い、黒いスーツを着こなした武智という男だった。私立探偵だという。モジャモジャの髪をしているくせに妙に気障なセリフを吐き、開口一番「とりあえずカフィーをくれたまえ」と言った。
五歩は自室のベッドで胸を包丁で刺されて息絶えていた。犯人が侵入したと思われる窓は庭に面しており、遺体発見時には開け放たれていた。庭は半円形になった建物をぐるりと囲んでいる。五歩の居た客室だけではなく1号室から4号室まですべての部屋の窓と通じている。武智は息子4名全員を重要な容疑者として調べに入った。
「動機は十分である。五歩老人は莫大な遺産を抱えていたが、生前は目立った病はなく健康そのものだった。下手をすると初老にさしかかった息子たちより長生きをする可能性があるからね」
ずいぶん不躾な奴だな、と口の悪い次男の二郎が言った。
「問題は誰か、ということだが」
武智は顎をさすり、一同を見回す。息子4人は突然の父親の死に困惑しながらも、いくぶん戦々恐々としていた。
全員の事情聴取を終えた武智は、ひとり各客室の現場検証を行っていたが、不意に「諸君これを見たまえ」と大声で叫んだ。
何事かと4人の息子たちがロビーを出る。武智は五歩の部屋である5号室のドアを見つめていた。
彼は「5」という数字の下にある装飾文字のプレートを指さす。筆記体の波打ったような文字だが、誰も読めない。
「これは、フランス語で『キリスト』と書かれている」
フランス語? と一同が漏らす。英語ですら自信のない連中ばかりである。読めるはずがなかった。
「どういうことだ」
三郎が声を上げる。
「親父がキリストの部屋だった、というのは何か意味があるのか」
続いて一郎がそう言うと、武智は「きたまえ」と颯爽と歩き出す。一郎の1号室の前まで来た。
「ここはペテロと書かれている」
1号室の扉に同じように付けられた細工文字を示し、続けざまに2号室へ行く。「こっちはマルコだ」
そこで幼い頃なぜかひとり日曜学校に行っていた三郎が声を上げる。
「なるほど、分かった。キリストの十二使徒だ」
「ご名答。お見事だ。さてそれによると」
3号室には「マタイ」とある。もちろん武智にしか読めないが、一行は興味津々で後を追った。
「さて問題はここ4号室だが」と言って、武智は4号室の文字を指さす。
「ここにはこう書いてある。ユダ、と。キリストを裏切った者の名だ」
「ちょっと待ってくれよ。強引にもほどがあるぞ」
童顔の四郎は相変わらず緊張感のない顔で叫んだ。
「さてはお前が犯人なのか?」
長男の一郎が声を荒げる。ちょっとイチ兄さん、冗談きついよ、と四郎は今にも泣きそうに顔を歪める。
兄貴3人によって、四郎はロビーの椅子に縛り付けられた。そりゃないよ、という叫び声を背に、一行は今度は客室を回る。
「各部屋には花の絵があるね」
書斎机の上に絵が飾られている。油絵で描かれた花はそれぞれ部屋ごとに違っていた。
「なぜ生花を飾らず、絵を飾っているのか」
それはおそらく、季節に関係なく様々な花を用意する必要があったからではないか、と武智は勝手に自問自答して一同を見る。
「この1号室は美しい桃色のカーネーションである。さてさきほど他の部屋も確認したのだが、殺された五歩老人の5号室はキンセンカだった。縛られている四郎さんの4号室はワスレナグサ、その隣の3号室はガーベラ。そして2号室だが」
そう言って武智は「ついてくるように」という仕草で隣へ行く。
「みたまえ、2号室はまがまがしく描かれたガランサス、別名スノードロップだ」
一郎以下3名は何のことかと呆気に取られている。
「花言葉をご存知だろうか?」
いつのまにか武智は葉巻をくわえて紫煙をくゆらせている。
「五歩老人のキンセンカの花言葉は『失望』『別れの悲しみ』だ」
一郎と三郎が同時に「え?」と驚いている。二郎は腕を組んで冷ややかに武智を見据えている。
「4号室のワスレナグサは『真実の愛』、3号室のガーベラは『究極の愛』。そしてさっき1号室で見たカーネーションは『無垢の愛』。どこも愛に満ち溢れている。ところが――」
武智はゆっくりと二郎を指さす。
「この2号室のスノードロップは意外な花言葉なのです」
二郎の睨みつけたような両目が泳いだ。
「『あなたの死を望みます』である」
「ざけんなよ! 完全に言いがかりじゃねえか」
口の悪い二郎も、一郎と三郎の手によってロビーの椅子に縛り付けられた。
手足をバタバタさせて暴れていたため、一郎と三郎が抑えつけている。
先ほどからじっと話を聞いていた三越警部が武智に近づく。
「しかし武智さん、これはどういう意味なのでしょう」
武智は、すこしカフィーを飲ませてくれたまえ、と遮ってから、「五歩老人の趣向といったところでしょう」と述べた。
「五歩老人は、遺産分配に不安を感じた。おそらく我が子4名の中に、自分の遺産を奪おうとする者がいる、その気配を感じた。そのため何かしらのメッセージを残したのではないかと考えられます」
なるほどねえと嘆息している三越警部にコーヒーカップを押し付けると、武智は構わずロビーを出て行く。一郎と三郎もついてきた。
「今度は何ですか」
「諸君はお気付きであったか。もう一点気になるものが各部屋にある」
再度武智は一番端の1号室に入っていった。
ほらごらんなさい、と武智が示したのは書斎机の正面の壁に貼られた1枚の紙であった。名刺ほどのサイズの小さい紙の中央に、円とその円の内側の左右を結ぶ直線が描かれている。「日」という字を丸くした記号といえばよいだろうか。
その図形のある部分には赤いピンが刺されている。
「これなんか、ドラマかなんかで見たなあ」
と三郎が言う。
「昨日私も気になっていたのだが、一体なんなのだ」
一郎もピンに指をあてて武智を窺った。武智は目を輝かせている。
「実に面白い趣向だ。この名刺大の紙はどの部屋にも同じように貼られていた。何のために貼られているのか意味不明であった。しかしよく観察すると、ピンの刺さっている位置が各部屋で違っている」
なんですと、と言い残して三越警部が確認に飛び出した。武智は一郎と三郎を連れて各部屋を見て回った。ふたりも「確かに」とピンの位置を見て呟いた。
「これは一体」すがるような目で武智を見る三越を手で制し、武智は思慮にふけた。そして三越警部にすべての紙を持ってきてもらうように頼んだ。
目の前のデスクに5枚並べて端から見つめている。1号室のピンは円の11時の地点。2号室は9時。3号室は3時。4号室は6時。そして5号室だけは円周上ではなく、3時の地点からやや左にずれている。
「なるほど……。これは少し難解だった」
ようやく武智が呟く。なんだ、早く答えを教えてくれ、と一郎が急いて言った。
「これはおそらく、諸君がどこかで見たことがある図のはずだがね」
「武智さん、もったいぶらずに」
三越警部も早く早くと足踏みした。
「この図は省線……失礼、JR山手線の路線図ですな。真横に走る直線は中央本線を示している」
「なんと」
一同が驚いた声を上げ、三郎が「道理で! なんかこういうの見たわ」と明るく言った。
「そうすると、ピンの位置は駅を示すと考えられる。1号室は11時の地点なので池袋。2号室は新宿。3号室は秋葉原。4号室は品川だ。では5号室は?」
5号室のピンは秋葉原の真横の一見中央線上にある。ただ、かなり秋葉原に近い。ほぼ隣である。
「いやいや、私はよく通ってるから分かります。これは御茶ノ水でしょう」
脇から三越警部がそう言うと、武智は「違いますな」と切り捨てる。
「御茶ノ水は位置的にはもっと左です。このピンはあまりに秋葉原に近い」
「しかし武智さん、御茶ノ水以外にこのあたりに中央線の駅はありませんよ」
武智はふっと笑みを浮かべ「答えはそれですよ」と言う。
「今は存在しない、消えた駅を指し示しているのです。ここは昭和18年に廃駅となった『万世橋駅』です」
「万世橋駅?」
「そうです。万世橋にはかつて駅が存在したのですよ。のちに路線が伸びて秋葉原駅が完成した結果、万世橋駅は廃駅となった。つまり、秋葉原駅が万世橋駅を『消した』とも言える。秋葉原駅を示していたのは」
ゆっくりと武智は三郎に目をやり、指を突き付ける。
「暗に3号室の者が、5号室の五歩老人を消した、ということを示しているのだ」
「どういう気だ。私まで犯人に仕立てやがって」
3つ目の椅子に縛られた三郎が騒ぐ。さすがに3人は管理が難しいため、いっそのことと3人の椅子をひとまとめにロープで括った。ロビーにはしばらく3人の足を踏み鳴らすドシンドシンという音が響いた。
「ここまで来ると、殺害された五歩老人というのは相当に練ったダイイングメッセージを残したことになりますな」
ロビーの丸テーブルについた武智と一郎に三越警部が言う。確かに、と一郎が相槌を打つと、「確かにじゃねえんだよ」と外野で縛られた3人が口々に罵った。
「となると、このロビーも少し気になりますな。まさかインディアン人形とかボウリングのピンなんか無いですよね」
ははは、と冗談を飛ばす三越警部に「それだよ」と武智は叫んで立ち上がる。
そうか、そういうことか、なるほど。と呟きながら、武智はロビーの壁際に歩み寄る。壁際にはダミーの暖炉があり、その上には五歩老人の趣味なのか、各種の民芸品や人形がところ狭しと並んでいる。その中にひとつ異質なものが混じっていた。
「諸君、これを見たまえ」
興奮して戻ってきた武智は、右手にウィスキーボトルほどの大きさの人形を携えてきた。バットをスイングしている明訓高校のドカベン、山田太郎のフィギュアである。
「ドカベン? インディアン人形じゃなくて?」
三越警部が素っ頓狂な声を上げる。なぜここにこんなものが。
「他にもあるかもしれない。探しましょう」
三越警部と一郎がふたりであちこちを探り始めると、同じようなフィギュアが見つかった。
アンダースローのピッチャー里中智、秘打白鳥の湖ポーズの殿馬一人、舌を出してバットを構える上下左右太の3体のフィギュアが見つかった。
なるほどなるほど、と呟きながら武智がロビーを右往左往する。考えていた。背番号だ。里中は1番、山田太郎は2番、上下は3番、殿馬は4番だ。
「そうすると、背番号5番の岩鬼がいない」
武智が足を止める。探せ、探すんだ。どこかに必ず岩鬼のフィギュアがある。警部と一郎が勇んで探し回る。
「あ、見つけたぞ」と嬉しそうに一郎が声を上げた。ダミーの暖炉の中、組まれただけの薪の中に転がっていた。
ひときわ大きなそのフィギュアを掴んだ武智は、満足そうに頬を緩めた。
「これだよ諸君。新たなメッセージだ」
岩鬼のフィギュアは豪快にバットをスイングしている。あきらかに大振り三振のポーズであるが、よく見ると脇腹に白球がめり込んでいる。
「デッドボール。つまり死球を受けたのだ」
そして嬉しそうにたたずんでいた一郎をゆっくりと振り返り、ドーンと指を突き付ける。
「死球を投げたのは唯一のピッチャー里中だ。背番号1番。つまり一郎さん、あなただ」
一郎から四郎までの4人が椅子に縛られていた。ロープを固く結び、手をパンパンとはたいて三越警部は武智に歩み寄る。
「しかし、どうした事態ですかね。全員が犯人だったとは」
ふざけんなよ。と口の悪い二郎はまだ元気に罵っている。ナントカ急行に乗ってるんじゃねえぞ。
「おそらく、共謀でしょう。利害関係は一致している。早く親父さんに死んでもらって困る兄弟はいなかった。彼らが全員この洋館に引き寄せられたのも、すべてそうした運命。五歩老人も、すでにそれを見透かしていたのかもしれませんな」
そうセリフを述べて遠い目をしていた武智の耳に、耳障りな携帯の着信音が響く。ああ、なんだってんだこんな時に、とブツブツ言いながら三越警部が自分の携帯電話を取り出す。
「ああ、三越だ。どうした」
横柄に電話に出た三越警部は、次の瞬間素っ頓狂な声を上げる。
「何、何だと? 犯人を捕まえた? 押し入り強盗の常習犯だと。おいそれは間違いないんだろうな。……自白している。証拠もある。……そうか、分かった。ご苦労さん」
ロビーに静寂が訪れた。電話をバチンと切った三越警部は、不機嫌そうにオホンと咳ばらいをし、武智に一歩近寄る。
「あ、武智さん。五歩老人を殺害した犯人が捕まったようです」
縛られた4人が一斉に武智を見た。
「そうですか。とりあえず、カフィーでも飲みましょうか」
4人をそのまま縛り付けてとっとと退散しようと、その時武智は考えていた。
(了)
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