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餃子の昼餐(ちゅうさん)
一
陽平は自宅の台所に立ち、料理の腕を振るっていた。
普段はあまり使われることがない調理台やガスコンロの上には、今日は皿や鍋など様々な物が溢れている。いつも空っぽ同然の冷蔵庫の中も、今日は食材で満杯だ。陽平は狭いワンルームの台所の中を器用に立ち回り、次から次へ色鮮やかで美味しそうな料理を作っていく。場所がないので、完成した料理から皿に盛って座卓の上に運ぶ。部屋には陽平一人だが、もう既に三人分の食器が用意され、いくつかの料理の皿も並んでいる。
また一つ座卓に完成した料理を運ぶと、陽平はふとベランダに目を向けた。開け放たれたベランダの先には、青く澄み切った高い秋の空があった。
手を止め、陽平はしばし空を眺める。長かった残暑もようやく落ち着き、心地よい午後の陽気だ。欠伸の出そうなぐらい牧歌的な羊雲が、淡い昼空の青の中に浮かんでいる。
――淡い青磁のような透き通った昼の空に、草原に群れる羊のような雲……。
――ラムネ色、の方が伝わりやすいか……。でも、秋の空だからなぁ。何か他にいい色の表現は……。
陽平はまたいつものクセで、今目の前に広がる光景を頭の中で言葉にし始めていた。小説を書き始めてからというもの、暇さえあればこんなことばかりをしているのだ。この鍛錬のお陰で、文章の表現力や自分の語彙力が格段に向上していくのを実感していた。
だが、唯一の欠点は、夢中になり過ぎるとあっという間に時間が経ってしまうこと。
そしてまた今日も、陽平は鍛錬の途中でハッとして我に返った。
――いけない! 料理に戻らないと。
陽平は前掛けを締め直し、台所に戻る。これから来る客人のために、再び絶え間なく手を動かしていく。
包丁の規則的な音や、フライパンを振る音、食材が奏でる様々な美味しそうな音が、陽平の部屋いっぱいに広がる。昼前から台所に立ち始め、台所の掃除から始めて既に数時間は経つが、陽平は疲れた様子もなく、穏やかな表情で手を動かしていた。学生の陽平が普段台所に立つことはそこまでないが、別に料理が嫌いな訳でも、できない訳ではないのだ。ただ自分のためだけにその腕を使わないだけで、料理の腕は自他共に認めるものである。
今日陽平が料理を振る舞おうとしている相手は、陽平の高校の時からの親友と、その親友の後輩だった。陽平は彼らとは別の大学に在籍していて、日常的に顔を合わせる機会は無いに等しいのだが、ひょんなことから、今日こうして三人で食卓を囲むことになったのだ。
それからしばらくして、不意にインターホンが鳴った。
「はーい」
待ちわびていたその顔を画面越しに確認すると、陽平は前掛けで手を拭きながら急いで玄関のドアを開けた。
「あぁ、いらっしゃい」
「よぉ、陽平」
「お邪魔します」
ドアの向こう側から、親友の川上とその後輩の飯野が顔を出した。すっかり物慣れた感じの川上に対し、いつもの黒縁の眼鏡を掛けた飯野は、年下ということもあってか少し表情が固い。それを認めて、陽平が砕けた感じに声をかける。
「別に遠慮しなくていいよ。だって君、この間上がったばかりじゃない」
「そうですけど……」
つい前この間、訳あって終電を逃がしてしまった飯野を泊めたばかりなのだ。
陽平は二人を部屋に上げると、台所の横を通り、そのまま居間の座卓へと通した。既に座卓に並べられた料理を見て、二人とも示し合わせたように感嘆の声をもらす。
「おぉ、さすが豪勢だな」
「美味しそうな匂いしますね」
「それは二人とも今日はお客様ですので。悪いね、狭い部屋で」
「本当に今日はご馳走になっていいのか?」
「もちろん。これぐらいはさせてよ」
先に二人を座らせると、陽平も二人に向かって座り、深々と頭を下げた。
「改めまして……、先日はお二人とも大変ご迷惑をおかけいたしました!」
「別に気にしてねぇって」
「俺も気にしてないですよ」
「今後はより一層気を付けますので、」
「ハハハ、まるで謝罪会見だな」
「確かに、お店で陽平さんがバランス崩した時はヒヤッとしましたけど、酔ったって言っても別にそれぐらいじゃないですか?」
「でも、君に終電逃させたじゃない」
「いいんですよ。あれだって俺が付いてきたみたいなモンですし……」
少し前、陽平は川上に誘われて、三人で外で吞む機会があった。
その時に下戸の陽平は不注意でいつもより酔ってしまい、二人に迷惑をかけてしまったのだ。挙句飯野に自宅まで送ってもらい、その時に飯野を一晩自宅に泊めたのだった。
今日二人を自宅に呼んだのは、陽平なりの詫びの印だったのだ。
「さ、今日は俺の奢りです。まだまだたくさん料理用意してるので、今日は好きなだけ食べてって」
陽平がポンと手を叩いて料理を勧める。陽平が両手を広げた先には、唐揚げやエビフライ、チーズの盛り合わせにサラダやカルパッチョなど、色とりどりの料理が座卓の上に並べられていた。
「うわぁ、どれから食べよう、」
「好きな物から好きなだけ食べていいんだよ」
陽平は微笑みながら飯野に箸を手渡す。
「あっ、二人はお酒も冷蔵庫にあるの自由に飲んでくれていいからね」
「陽平は?」
「俺は今日禁酒です。別にそこまでお酒好きじゃないしね」
陽平はグラスに注いだお茶を冗談めかして掲げる。
「今お酒も出してくるから食べてていいよ。まだ料理も出すし」
そう言って陽平は腰を浮かせる。冷蔵庫の中を覗きながら、二人に声をかける。
「お酒、二人とも最初は何にする? 川上はビール?」
「うん」
「俺もビールもらっていいですか」
「はいよー」
陽平がビール缶を二本手にして戻ってくる。
「あれ、先食べててよかったのに」
「そうはいかないだろ」
「えー、気にしなくていいのに」
陽平が缶を二人に手渡し、再び台所に取って返す。まだ一番のメイン料理を出してないのだ。
「あっ、これ、ビールでもかなり高いヤツじゃないですか!」
渡された缶のラベルを見て、酒好きの飯野がはしゃいでいる。
「当たり前じゃない。わざわざ呼んだお客様に発泡酒出したりしないよ。まだ何本か買ってあるから、好きなだけ吞んで」
「えー、やったー!」
「日本酒もワインも用意あるから、好きに飲んでね」
料理を盛り付けながら、陽平が台所から答える。
「それじゃぁ、お待たせしました!」
程なくして、陽平が大皿を手に座卓に戻ってきた。大皿の上には、円盤状に焼き上げられた黄金色の羽根つき餃子が美しく盛られている。人数が集まるとよく作る、陽平自慢の一品だ。
「おぉ、これも美味そうー!」
「だな!」
皿に盛られた焼きたての餃子は、まだ少しジューっと食欲をそそる音を立てている。
「さ、お待たせしちゃったけど、乾杯でもしますか」
そう言って陽平が自分のお茶のグラスを手に持った。乾杯の音頭を取れと、川上に目配せをする。
「……じゃ、乾杯!」
「「かんぱーい!」」
三人の声に続いて、ビールを開ける景気のよい音が部屋に響く。
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