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醸す人
一
「……まさか、君とこうしてまたウチでご飯を食べることになるとはね」
「やっぱり俺、お邪魔でしたか?」
「そんなことはないよ。それに、美味い物には逆らえないんでしょ?」
「ま、まぁ……」
その飯野の習性はもう陽平も充分過ぎるほど理解している。
差し向かいに座卓に座る二人の前には、それぞれオムライスの皿が二つ並べてあった。飯野の分だけは特別大盛りにしてある。ぷっくりとした紡錘形の卵がチキンライスの上に乗っかった、洋食屋さながらの本格的なオムライスだ。その他にも、色鮮やかなサラダの入ったボールが真ん中に置かれていた。
「別に俺は気にしてないよ。さ、召し上がれ」
「じゃぁ、いただきます!」
飯野はナイフを手に取ると、恐る恐る卵の真ん中にそっと切れ込みを入れた。途端に卵が広がり、鮮やかな黄色で皿が埋め尽くされる。もちろん中の卵もとろとろの絶妙な半熟具合に仕上げてある。それでいて、表面にはほとんど焼き色がついていない。単純な料理ながら、陽平の料理の技量の高さが十二分に発揮されたものだった。
「凄いですね! 洋食屋さんで食べるオムライスみたい!」
「ま、どーせオムライス食べるなら、本格的な物食べたいじゃん?」
「陽平さん、これならオムライス屋さんできますね!」
「いや、そんなことないでしょ」
飯野がスプーンで卵とチキンライスをすくって一口頬張る。
「卵もふわふわで、チキンライスもケチャップが利いてて……、めちゃくちゃ美味しいです!」
「そりゃよかった。実は隠し味に、ケチャップの他にもウスターソースとか入ってるんだよ。あと、醤油も入れたっけな?」
「へぇー、ウスターソースと醤油ですか!」
「そう。お口に合ったならよかった。たくさん食べていいからね」
「はい!」
そして今日もまた、飯野はその元気な宣言の通り、胸のすくような食べっぷりでオムライスの皿を空にしていく。その光景はやはりいつ見ても気持ちのいいものだ。
なぜ、飯野と陽平がサシでご飯を食べることになったのか。事の発端は一週間ほど前に遡る。
*
その日も、飯野は陽平の働く洋食屋に食事をしに来ていた。
前に一度陽平が食べにおいでと誘って以来、味が気に入ったのかちょくちょく顔を出すようになっていたのだ。今や陽平の勤務日時も把握しているし、他の店員にも常連客の一人として認知されるまでになっている。
陽平もサービスをしながら自然に飯野といくつか言葉を交わすようになり、それがバイト中のささやかな楽しみになりつつあった。
「君さ、そんなにここの料理気に入った?」
「はい!」
「まぁ美味しいだろうけど、そんなに食べて飽きない?」
学校からそこまで近い訳でもないのに、飯野は十日と開けずに店に通ってきている。もうそんな感じでひと月半は経つはずだ。毎回同じ物を食べている訳ではないようだが、それでもさすがに飽きが来てもおかしくない頃合いだろう。
「うーん、そうですねぇ……」
陽平の質問に、飯野がスプーンを持つ手を止めて真剣に考え込む。たかが世間話でそこまで考え込むあたり、何とも生真面目な理系の学生らしい。陽平は飯野の様子を窺いながら、空になったグラスに水を注いだ。
「ただの世間話なんだから、そんな真剣に考えなくていいのに」
「いや、言われてみれば確かによくここに来てるなぁ、と思って。俺、好きな物とかは無自覚にしょっちゅう食べちゃうんですよね……」
「ふーん」
ということは、飯野は案外偏食な人間なのか。食べてる物を見る限り、好き嫌いとかは少なそうだが、そもそも栄養とか食事のバランスに頓着しないタイプなのかもしれない。
陽平はそんな事を考えながら、もう一度飯野の顔を見る。不健康そうな顔には全く見えないが、確かにあまりそういう身の回りの事に頓着しなさそうな顔には見える。第一着ている服からして、いつ会ってもそこまで代わり映えしないのだ。いつも黒や紺系の服が多く、不格好ではないが大学生の出で立ちにしては地味な部類に入るだろう。
「俺、変な事言いましたか?」
「いや、そんなことないよ」
と、飯野が何かを閃いた顔をする。
「俺、また陽平さんの料理がまた食べたいです。前に食べさしてもらった餃子、めちゃくちゃ美味しかったので!」
「うーん、まぁその内にね。また暇な時に今度ウチおいで、何か食べさせてあげるよ」
「はーい! 今度連絡しますね!」
*
こんな顛末から、今に至るのである。
その実、陽平は自分がこんなことを言ったことすら忘れていた。
確かにそんなことを言った覚えがあったが、どうせ来ないだろうと思って社交辞令のつもりだったのだ。だから飯野から、「今度、予定空いてる時にご飯食べさせてくれませんか?」と連絡が来た時はかなりびっくりした。川上を介して連絡先の交換はしていたが、それまでまともに連絡を取り合ったこともなかったのだ。初めこそ驚きはしたものの、飯野が相手ならば陽平も悪い気はしなかった。
そこからとんとん拍子に話は進み、こうして材料を買い揃え、お互い都合の付いた日曜の昼に食事会をすることになったのだ。
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