醸す人

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      二 「いやー、ごちそうさまでした!」  陽平がまだ食べかけている内に、飯野は早くも大盛りのオムライスを平らげていた。 「分かってましたけど、やっぱり陽平さんのご飯って美味しいですね」 「それはよかった。俺、もうサラダいらないから、残ってるの食べちゃっていいよ」 「え、いいんですか?」 「うん。気にせず食べちゃいな」  飯野が二人の真ん中に置いてあったサラダのボールに手を伸ばす。ボールの中には、まだ半分ぐらいサラダが残っていた。それを飯野が自分の取り皿に移していく。野菜も決して嫌いな訳ではないらしい。 「前から気になってたんだけどさ、君って普段何食べてるの?」 「えっ、フツーにご飯ですけど……」 「それは分かってるって。ほら、麺類とは、ご飯ものとか、パンとか……、そういう話」  いったい何をどう勘違いしたらそんな返答になるのだろうか。これまでも飯野は時折こういう天然っぽい一面を覗かせることがあった。 「あー、そういうことなら、俺は基本麺類が主食ですかね」 「ご飯はそんなに食べない?」 「そうですね、麺類が選べる状況なら、まず麺を食べることが多いですね」  それは何となく容易に察しがつく。確かに言われてみれば、陽平の働く店でも、二回に一回ぐらいの確率でパスタを頼んでいた気がする。 「じゃぁ、今日も麺類の方がよかった?」 「いや、麺類ならいつでも食べられるので……」 「普段は料理するの?」 「うーん、たまーに簡単なものなら。それこそ麺類とかですかね」 「あ、料理全くできないって訳ではないのね」 「そりゃあ陽平さんには負けますけど、全くできないことはないですよ」 「俺、てっきり包丁握ったことないとかのレベルだったりするのかぁ、と」 「ひどいなぁー」 「じゃぁ、いつか俺にもご馳走してもらおうかな」  頬を膨らませる飯野をからかうつもりで、陽平が冗談めかして言う。 「えー、陽平さんに食べさせられる感じの物じゃないですよー」 「というか、益々心配になってきたんだけど、普段ちゃんと栄養のバランスとか気にしてる?」 「うーん、あんまり?」  陽平はちょっと責めるような目で飯野を軽く睨む。 「やっぱり。好きな物好きなだけ食べてるんでしょ?」 「まぁ、基本そうですかね」 「だろうと思ったよ。酒ばっか飲んでるんじゃないの?」 「まぁ、酒はよく飲んでますね。ほぼ毎日何かしら飲んでます」 「ウチでは栄養バランス良く食べさせるからね。あと、お酒は出しませんので」 「えー、って思ったけど、陽平さんならそれでも美味しく食べさせてくれそうですよね。でも美味しい物食べたらやっぱりお酒が……」 「君、本当にお酒好きなんだね。まぁ何となく分かってたけども。あれ、もしかして酒カス?」 「そんなことないですって! 俺はただお酒が大好きなだけです。酒をよく吞む家系なんです」 「ふーん。俺にはよー分からん」  いかにも興味なさげに陽平が切り捨てる。その言い草に、飯野が少し残念そうな顔をする。 「ホントお酒嫌いなんですね」 「君が一番間近で見てたでしょうよ。嫌いって言うより、自分が吞むことに興味がない」 「えー、もったいない……」 「でも、別に酒のこと何も知らない訳じゃないよ? 簡単にならテイスティングもできるし」 「えー、すご!」 「親が料理人だから、料理に合わせるためにそういう資格とか持ってたんだよ」  陽平の親が料理人であることは、前に川上を交えて飲んだ時に既に話してあった。 「やっぱり、ソムリエさんとかですか?」 「そんな感じ。それで、俺もちょっとはその手の知識かじってんの」 「ホントに、料理以外も色々できるんですね」 「ぶっちゃけ、味が分かるから、料理と同じ感覚で酒の味も分かるんだよ。ま、それでも酒を美味いと思って飲んだことはないけど」 「えー、お酒って美味しいじゃないですか」 「どういう味か、ってのは分かるけど、美味くはない」 「それ絶対人生損してますって」 「俺は酒なんて程々に飲めればいいの。それが俺の人生の価値観」 「酒に関しては、陽平さんとはあんまり価値観合わなそうですね」 「ま、そんなもんでしょ。他人の価値観なんて」  陽平が何でもないかのようにケロリと言い放つ。少しキツイ物言いだったかと反省し、慌てて言葉を継ぐ。 「ま……、酒にそこまで興味がないってだけで、別に嫌いな訳じゃないから、今度酒持ち込みでウチ来てもいいよ」 「えー、さっきウチでは酒飲まさないって言ってたのに、いいんですか?」  つい気をよくして何気なく言った一言を飯野に指摘され、陽平は決まり悪そうな顔をする。普段好き好んで他人を家に招くことなんてないのに、陽平は自分の口からこんな言葉が出たことに驚いていた。 「……訂正する。ウチで飲むなら、俺が決めた量までは許す」 「えー、俺はいくら飲もうと陽平さんに迷惑かけたりしませんよ? 陽平さんと違って」 「言ったな」 「えー、俺はホントのこと言っただけじゃないですかー」  もうすっかり気の置けない仲だ。比較的人当たりのいい陽平だが、こと飯野とはすぐ打ち解けられた。酔って醜態をさらしてしまい、その流れで自分の家に上げてしまったから、もはや取り繕いようがなかったというのもあるかもしれない。  だが、それ以上に何となく飯野の雰囲気が陽平には心地よかったのだ。  ――この人となら、また一緒にご飯を食べたいな……。  陽平の心の中に、そんな気持ちがふつふつと湧きがってきていた。そんな気持ちが現れたのか、少しいつもよりも弾んだ声になる。 「ねぇ、次は何食べたい? 肉、それとも魚?」 「つ、次ですか?」  唐突な陽平の言葉に、飯野が驚く。 「うん。またご飯食べにおいでよ。その時食べたい物考えておいて」 「えー、何しようかなー」 「俺、大抵の物なら作れるよ?」 「うーん、めちゃくちゃ迷いますねぇ……」  真剣に悩む飯野の姿を見て、陽平は飯野の気の済むまで、好きなだけ料理を作ってやりたいと思った。どれだけたくさん作っても、飯野なら最後まで美味しそうにペロリと食べてしまいそうだ。始めは社交辞令で呼んだつもりだったのに、いつしか陽平の方が前のめりになっていた。  ――こんな風に思うなんて……。  自分自身から生じた感情なのに、陽平は初めての感情に戸惑っていた。戸惑いを振り払うかのようにパッと立ち上がる。 「食後の飲み物淹れるけど、何がいい?」 「俺、コーヒーもらってもいいですか?」 「はいよ」  空になった食器を陽平が流しに運んでいく。食器には米粒一つとして残っていない。 「いやー、ホントにごちそうさまでした!」 「いやいや、お粗末様でした」 「めちゃくちゃ美味しかったです!」 「ありがと」  飯野の言葉はいつだって飾り気がなく素直だ。こうも正面から自分の料理を褒めちぎられると、面映ゆくさえ感じられる。だが陽平はそんな飯野の言葉が好きだ。飯野と話しているだけで、何となく元気を分け与えてもらえる気がする。元気いっぱいに飯を喰らう飯野の姿も好きだ。その姿は何か特別な力を秘めているかのようで、見ているだけでこちらも健康になれそうな気さえしてくる。  ――元気のお裾分け……、か。  そんな主題で一本小説も書いてみても面白いかもしれない。  そんなことを漠然と考えながら、陽平は台所のケトルで湯を沸かし、その傍らで冷蔵庫からシュークリームの箱を出した。ご飯を食べさせてもらう礼にと、飯野が手土産に持ってきた物だった。 「俺、洗い物とか何か手伝いますよ」 「大丈夫、君はそのまま座ってていいよ」  飯野を手で制しつつ、陽平はマグカップを二つ用意し、シュークリームを皿に盛る。 「それより悪いねぇ、かえって気を遣わせてしまったみたいで。シュークリーム、ごちそうさま」 「いえいえ、こっちがご飯食べさしてもらった側なので……」  皿に乗せたシュークリームを飯野の前に出しながら、陽平が改めて礼を言う。面と向かって礼を言われ、かえって飯野の方が縮こまっている。生真面目な性格だとは前から思っていたが、こういう義理堅い一面もあったのかと思う。川上が飯野を可愛がっている理由もよく分かる気がする。  川上は昔から人を見る目があり、その眼力には陽平も一目置いているのだ。そこまで付き合いのない飯野を自宅に上げたのも、信頼する川上が目をかけている後輩だったからだ。  と、ケトルの湯が沸いた音がした。陽平再び腰を浮かす。 「ゴメン、ミルクないんだけど、コーヒーはお砂糖使う?」  陽平の問いかけを聞き、不意に飯野がぷっと吹き出した。 「何かあった?」 「いや、なんだかいつもと同じでお店で接客してもらっているみたいだなぁ、と」 「まぁ、お客様であることには変わりはないからね」 「俺、コーヒーはブラック派なんで、何もなしで大丈夫ですよ」 「了解」  陽平は台所に立ち、飯野のコーヒーと自分用に紅茶を淹れる。普段陽平が飲むことがないコーヒーの香りが、湯気と共にゆらゆらと漂う。その香りに、陽平は客を自分の部屋に招き入れていることを改めて実感するのだった。
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