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三
〈こんなお酒見つけました!〉
飯野を招いてからしばらく経ったある日、飯野がこんなメッセージと共に一枚の写真を送ってきた。
――これは……。
写真を拡大して見ると、日本酒の四合ビンのようだった。陽平も見たことがない銘柄だ。飯野がすかさず次のメッセージを送ってくる。
〈ちょうど名古屋に旅行来てて、こんなの見つけたんです! 陽平さんなら知ってるかなと思って!〉
今にも喋り出しそうなメッセージだ。無機質な文字の羅列の中にも、飯野の無邪気さが見て取れるかのようだった。くすりと笑いながら、陽平も返信を打つ。
〈いやー、俺も見たことないなぁ〉
〈あの、持ち込み、お願いしてもいいですか?〉
飯野はメッセージと一緒に、首を傾げた白くまのスタンプを送ってきた。その愛嬌のある顔が、心なしか飯野に似ている気がする。陽平はすぐにサムズアップのスタンプを返した。
〈いいよー。それに合わせて何かつまみ作ってあげる〉
今度はバンザイをする白くまのスタンプが送られてくる。飯野は白くまが好きなのかもしれない。
〈じゃぁ持っていきますね! 来週の夜、どこか空いてますか?〉
〈水曜と金曜以外なら空いてるよー〉
〈じゃぁ、火曜の夜でいいですか?〉
〈オッケー。準備して待ってる〉
飯野にメッセージを送り終えると、陽平は壁に掛けてあるカレンダーを見上げた。
ペンを手に取り、週明けの火曜のマスに丸を書こうとする。カレンダーの前でどう書くか少し悩み、日付の数字の所を小さめの丸で囲む。一人暮らしで誰に見られる訳でもないのに、何故だか気が引けて何の変哲もない丸にしたのだ。陽平は自分の小心さに一人苦笑しながら、いつになく自分が浮かれているのを実感していた。
そして次の火曜日の夕方、飯野は酒ビンを携えて陽平の家にやって来た。
飯野が持ってきた日本酒は、一見するとワインのボトルと見紛う、黒色のビンに金文字のラベルが貼られた重厚感漂うデザインだった。
「おぉ、これが例の日本酒かい」
「はい、こっちは陽平さんにお土産です」
「えー、気にしなくてよかったのに」
「この間ご飯食べさせてもらったお礼です。あと、陽平さんはお酒嫌いだって言ってたから」
そう言って飯野から手渡された紙袋の中には ういろうと味噌煮込みうどんの乾麵が入っていた。
「甘い物としょっぱい物、どっちが好きなのか分からなかったので……」
そう言いながら飯野は少し照れ臭さそうにしている。こういうところは本当に無邪気だ。
「ごちそうさま。後で美味しく頂くね」
「ぜひぜひ!」
「……じゃぁ、初めよっか」
「はい!」
「俺も見たことないお酒だから、最初に一口だけ味を見させてくれる?」
「もちろん!」
「適当に座ってていいよ。少し待っててね」
陽平は飯野から酒ビンを預かると、台所に立ち、封を切ってグラスにほんの少量注いだ。ほんのりとレモンイエローに色づいた酒だ。
そのままグラスを両手で包みこむように持ち、ゆっくりと回して香りを開かせる。くるくると回していく内に、グラスの中から華やかな香りが立ち上ってくる。瑞々しく爽やかな、青りんごの蜜を想起させるような洋梨にも近い甘い香りだ。
陽平は酒を少量口に含み、神経を集中させて舌の上をゆっくりと転がしていく。口に含んだ瞬間は甘みが目立ち、舌に張りつくようなねっとりとした口当たりだが、それが舌の上で転がしていくうちにさらりとした舌触りに変じ、パッと辛みに変わる。恐らくそれなりに高級な品なのだろう。コクのある重層的な味だったが、舌がひりつくような辛口の酒で、やはり陽平には苦手な味だった。
酒を飲み下し、陽平は慌てて水を飲む。味見の様子をジッと見守っていた飯野に声を掛けた。座ってていいと言ってあったのに、ずっと脇に立ったままだったらしい。
「……このお酒、かなり辛口だね」
「あっ、俺辛口が好きなんですよ」
「君、ホントにハタチ?」
酒を飲み始めたばかりの人間が日本酒を好むのも珍しいのに、辛口を好んで飲むなど相当飲み慣れている証拠だ。
「ひどいなぁ。俺は正真正銘二十歳です」
飯野が頬を膨らませる。確かにその顔は二十歳らしいあどけなさを感じさせるものだ。
「甘い物が食べたい? それともがっつり食べたい?」
「うーん」
「どっちも食べる?」
「じゃぁそれで!」
「よし!」
陽平は冷蔵庫の中身と相談しながら、酒に合わせて何を作るか考えていく。味は苦手な酒だったが、どんな料理と相性がいいかは見当がつく。冷蔵庫の中を探りながら、陽平は飯野に世間話を振る。
「旅行は楽しかった?」
「はい!」
「大学の同期とかと行ったの?」
「いや、一人ですよ。一人で一泊二日で」
「へぇー」
「陽平さんは、旅行とか行かれないんですか?」
「うーん、結構行く方かな。でも俺は日帰りにしちゃうことも多いかも」
「へぇー」
今度は飯野の方が相槌を打つ。
「何かオススメの旅行スポットとかないんですか?」
「うーん、俺はいつも大体北の方行っちゃっうんだよなぁ」
「北の方?」
「そう。北陸とか、東北とか。海を見るのが好きで、いつも何となく海辺に行きがちかも」
「あー、俺も海好きですよ。入るんじゃなくて、ボーっと海見てるのが好きです」
「俺もそうかなぁ。内陸で育ったし、部活でも山しか行ってなかったから、海に憧れが強いんだと思う」
そう話しながら、陽平はもう長いこと遠出をしてないなと思った。
「あれ、陽平さん、出身ってどこでしたっけ?」
「言ってなかったっけ? 俺も川上も東京だよ。かなり郊外の方だけど」
「そうだったんですね」
「君は?」
「え?」
「出身」
「あー、俺は京都ですよ。まぁ、小学生の時からこっちですけど」
「へぇー、京都かぁ」
話し方にクセがないので、陽平はてっきり関東の人間だとばかり思っていたのだ。
「ちょっと気になったんですけど、山に行く部活って、陽平さん登山部にでも入ってたんですか?」
「そうだよー。あれ、川上から聞いてなかった?」
「全然」
「そっか。あいつはずっとバレー部で、俺は登山部」
「それは知ってます。前にその話したことがあるので」
「君は、部活何かやってたの?」
「部活じゃないですけど、俺はずっとテニスやってました」
「君、テニスやってたの?」
長身でややひょろっとした見た目の飯野の風貌と、テニスが陽平の中どうも結びつかない。この見た目なら、野球とかの方が似合いそうだと思う。陽平の思っていたことを察してか、飯野の方からその話題を振ってくる。
「見えない、ってよく言われますけどね」
「まぁ……、意外ではあるかな」
「自分でもちょっとそう思いますしね」
冷蔵庫の中身の確認を終え、陽平は冷蔵庫をぱたんと閉めた。おもむろに飯野の方に向き直る。
「……ねぇ、お使い頼まれてくんない? お金渡すから」
「いいですよー。何買ってくればいいですか?」
「えっとねぇ、今メモ用紙渡すから」
陽平はその場でメモを走り書きにし、財布から出した千円札三枚と一緒に飯野に手渡す。
「スーパーの場所、分かる? そんな遠くはないと思うんだけど」
「あぁ、分かると思います。大通りにあるヤツですよね? ここ来る時に前通ったので」
「そう。あそこ。もし何か分かんないことあれば、連絡してもらえばいいから」
「了解です」
「悪いね、お客様にこんなこと頼んで」
「全然気にしないでください! じゃぁ、行ってきます」
お使いを快諾した飯野はすぐに支度をまとめ、靴を引っ掛けて意気揚々と外に出ていく。
ドアが閉まり、急に部屋が静まり返る。別に普段の状態に戻っただけなのだが、陽平はこんなにも静かだったのかと思い知らされた気がした。その静かさがそのまま寂しさに感じられて、陽平は黙々と準備をしていく。
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