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五
「……陽平さんって、ペンギン好きですよね?」
「え?」
陽平がありあわせの材料で拵えたパスタを完食し、おもむろに飯野がソファーの上にあったペンギンのぬいぐるみに手を伸ばした。
「このぬいぐるみ、前から気になってて、」
「あぁ、それね」
コウテイペンギンのヒナを模ったそれは優に一抱えはある大きさで、確かに部屋の中で一際の存在感を放っていた。
「ペンギンって、かわいいですよね。ちょこちょこ歩く感じが」
「でしょー? 俺はいつもペンギンさんに癒しをもらってるよ」
「いいですね」
「ペンギンさん見てると、何か心が浄化されてく気がするんだよねぇ」
「あぁ、何か分かる気がします。動物見てると和みますよね」
「それで、ついついぬいぐるみとか色んな物集めちゃってさ、」
ぬいぐるみ以外にも、、陽平の部屋にはペンギンの置物やマグネットなどが点在している。
「そういう君は、白くま好きなの? この間白くまのスタンプ使ってたけど、」
「あぁ、そうです! 白くま好きなんですよー」
「白くまさんもかわいいよねぇ。また久しぶりに水族館行きたくなってきた」
「あー、俺も最近行ってないなぁ」
「水族館って、一人じゃ行きにくいんだよねぇ、」
「そうなんですよねぇ、」
陽平が空になった食器をテーブルから下げ、飯野の前にまた新たな酒のグラスを置く。その中には、件の日本酒と一緒に薄切りにされた梨が入れられていた。
「これが、さっき言ってた梨入れたヤツですか?」
「そう。皮をむいた梨を薄切りにしてから凍らせておいて、それにお酒を注いだの」
「へぇー」
「梨が少し溶けて、シャーベット状になってると思うから、それと一緒に食べてみな」
「じゃ、遠慮なく、」
飯野が陽平から手渡されたスプーンをグラスに突っ込む。その様子を見ながら、途端に陽平が珍しく豪快に笑った。
「ハハハハハ、君が遠慮なんてしたことないでしょうよ」
「えー、そんなことないですって!」
「ゴメンゴメン、冗談だって」
「ひどいなぁ、」
「それで、味はどう? これはこれで、サッパリ食べられると思うんだけど」
「梨が入ってる分、甘くなってますよね。シャリシャリしてて、香りが増えた気がします」
「『香りが増えた』って……」
やはり飯野の語彙は独特だ。というより、手持ちが少ない中で、どうにか紡ぎ出そうとしているのだろう。逆にそこから飯野の誠実さや懸命さが伝わってくるかのようだった。
「フツーに飲む方が好きだった?」
「え、いや、」
口では何と言おうが、飯野の目が本音を物語っている。
「そこまで気に入らなかったか」
「いや、そうじゃなくて、美味いんですけど、俺は甘い酒より、やっぱりガツンとくる感じの辛い酒の方が……」
「あー」
確かに梨を入れた分、飲み口や舌触りはやや軽くなるのだ。飯野が飲むには、ちょっと梨を多めに入れ過ぎてしまったのかもしれない。
「……でも面白いですね。こんな日本酒の飲み方、初めて知りました」
「あぁ、これ、どちらかというと、梨を美味しく食べる方法って感じなんだよね」
「あぁ、なるほど」
「君、この間のシュークリームみたいな甘い物は食べるのに、甘い酒はダメなんだね」
「ダメって訳じゃないですよ。ただ、サワーとかカクテルみたいな物より、ビールとか日本酒の方が好きですかね」
「なるほど、今度から覚えておくよ」
陽平は何の躊躇いもなく「今度」という言葉を口にした。
「あの、陽平さん……、」
「ん? どした?」
「時間合う時に、ドライブでも行きません? 何か水族館の話してたら、出掛けたくなって、」
「いいねぇ、それ」
うっかり流れでそう返事をしてから、陽平はハッと思い出した。飯野の場合、こういうのは社交辞令で済まないのだ。案の定、飯野は浮かれ気味にすぐさま計画を立て始めた。
「じゃぁ近い内に行きましょうよ。陽平さん、運転できます?」
「まぁ、一応免許は持ってる。君は?」
「俺も持ってますよー。大学入ってすぐ取りました。やっぱり水族館がいいですか?」
「もうすっかり行く気満々じゃん」
「えっ、嫌ですか?」
「いやそうじゃないけど、君は行動に移すのが早いよね、って」
「そうですかぁー?」
飯野はグラスを傾けつつ、中の梨をかじって陽気に笑う。少し酒が回ってきたのだろうか。
「水族館行きたいの?」
「いや、別に水族館じゃなくてもいいです。陽平さんは、どっか行きたい所とかあります?」
「俺は……、海見に行きたいかな。ボーっと海眺めてたい」
「いいですね! よし、じゃぁ、行き先海にしましょう!」
「え、もう決まり?」
陽平は飯野とドライブに行くことに何の抵抗もなかったが、あまりに突然でまだ少し戸惑っていた。
「もう少ししっかり計画立てた方がいいですか?」
「いや、いいけどさ、……君、真面目で慎重そうなのに、時々衝動的な所あるよね」
「いやー、ずるずると引き延ばすと、中々決まらないことってあるじゃないですか。そーゆー時は、その時の直感で、スパッと決めちゃうに限るのかなぁ、って」
確かに陽平は、ここぞという時に及び腰になってしまい、対処や決断が後手に回る事が多い。それを直そうと思いながらも、未だ改善できずにいる。自分ができないことをこうして実践できている飯野が、何だか急に自分よりも大人に感じられた。
「折角ですから、海辺までドライブして、その帰りに酒蔵でも寄りましょうよ」
「ねぇ、ホント君いくつよ?」
「俺、そんな変なこと言いましたっけ?」
「いや、君の歳だと、ドライブの行き先として、真っ先に酒蔵を挙げる人間はかなり少数だとは思う」
「えー、俺今回の旅行でも酒蔵巡りしてきましたよー」
「ホントに君は何してんのよ……」
「俺はそれが楽しいんだからいいんですよー」
「まぁそれが一番だけどね」
大人と子供の部分が調和した、不思議な人間だ。
無邪気さや素直さはあるが、この年代にありがちな軽率な言動を取ることはほとんどないない。一見すれば地味に見える風貌だが、それも見方を変えれば、迂闊に周囲に靡くことをよしとしないという事でもあるのだろう。
会って言葉を交わす度、成熟した酒のように、飯野は陽平にはない様々な一面を覗かせる。
飯野が醸し出す独特の空気感は、陽平に大きな影響を与えていた。言葉の豊かさや思考力など、陽平から見ればまだまだな部分も当然あったが、いつからか陽平は飯野のことを、単なる後輩ではなく、「一人の人間」として尊重して接するようになっていた。
微動だにせず一点を見つめる陽平に、飯野は心配そうに声を掛ける。
「……あ、あの、陽平さん、大丈夫ですか?」
「あっ、ちょっと考えごとしてただけよ。大丈夫」
「俺、酒蔵で美味しいカフェがあるとこ知ってるんです。今度そこ行きませんか? そこなら、陽平さんでも楽しめるんじゃないかなぁ、って」
「へぇー、どの辺り?」
「えーっと、神奈川の、湘南の方だったけな……?」
「あー知ってるかも。ここでしょ? 敷地の中に崖があって、そこから出る湧き水を仕込み水にしてる……」
陽平が素早く自分のスマホで検索した結果を見せる。
「あー、知ってたかぁー」
「まぁ有名な所だからね」
「もしかして、行ったことあったりします?」
「いや、行ったことはない」
「じゃぁここ行くの、付き合ってくださいよ」
飯野の「付き合う」という言葉が少し違う風に聞こえて、陽平は一瞬ドキリとした。
食事を終えてもなお飯野との会話が途切れることはなく、夜も更け終電も間近になって、飯野は名残惜しそうに帰り支度を始めた。
「いやー、すっかり長居しちゃって。ごちそうさまでした!」
「いやいや、こっちも楽しませてもらったよ。お土産、ありがとね」
その言葉は、もはや陽平にとっていつものような形式じみた物ではなかった。
「じゃぁ、また連絡しますね」
「うん、待ってる」
「今度、ドライブ行きましょうね」
「うん。またご飯も食べにおいで」
「ありがとうございます!」
「じゃぁ、またね」
「はーい! おやすみなさーい!」
そしてその翌日の夜、本当に飯野からメッセージが届いた。
〈昨日はごちそうさまでした! 陽平さん、今日ちゃんとご飯食べました?〉
そのメッセージを見ながら、陽平は飯野の律儀さに少し呆れつつ、すぐにメッセージを返す。
〈昨日はありがとう。ちゃんと今日は昼と夜食べたよ〉
と、すぐに飯野から返信がきた。
〈心配なので、ちゃんとご飯食べてくださいね〉
〈君とご飯食べると、何かちゃんとご飯食べなきゃなって気にさせられるよ〉
〈それで陽平さんがご飯食べてくれるなら、俺、毎日でも一緒にご飯食べさせてもらいますよ?〉
飯野なら冗談抜きで毎日でもやって来かねない。でも、それはそれでまた楽しそうだ。
〈まぁ、それはさておき、また来週にでも、ご飯食べにおいで〉
〈ありがとうございます! また連絡させてもらいますね!〉
〈陽平さん、昨日はごちそうさまでした!〉
〈ちゃんとご飯なら食べてるよ〉
〈さすが! あの、今度食べたい物リクエストしてもいいですか?〉
〈いいよー。何食べたいの?〉
〈次は陽平さんの煮魚が食べたいです〉
〈煮魚? 渋いなぁ〉
〈俺、魚料理が好きなので!〉
〈何の魚がいいとか希望ある?〉
〈陽平さんにお任せします!〉
〈オッケー。じゃぁまた今度の日曜でいい?〉
〈もちろんです! お腹空かせて行きますね!〉
〈頂き物で美味い肉が手に入ったよ。一人では食べきれないから、良ければおいで〉
〈やったー、絶対行きます!〉
〈牛のもも肉だから、ローストビーフにしようと思うんだけど、それでもいい?〉
〈もちろんです! ローストビーフ大好きです!〉
〈じゃぁ、他にも何か食べたい物あれば考えといて〉
〈陽平さんが作ってくれる物なら何でも!〉
気付けばこうしたやり取りも十回を数え、いつしか季節は秋から冬に移ろうとしていた。
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