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第12話 ︎︎縁
宮に着くと侍女が出迎えた。その顔を見て、韵華は肩の力を抜く。この侍女はカミルの配下だ。優雅に礼を取ると、王太子のハレムから案内してきた侍女はさっさと帰ってしまった。
「お帰りなさいませ、奥方様。お疲れでございましょう? ︎︎暖かいお飲み物をご用意致しますね」
柔らかい物腰の年配の侍女は、扉を開けながら韵華を労う。
「ありがとう、ユニ。カミルに異常は無い?」
ユニと呼ばれた侍女はにこやかに頷く。ここに来てから、ずっと世話を焼いてくれたユニには、韵華も心を許していた。
「はい。旦那様は恙無く」
その言葉にほっと息を吐く。
この八日間、ずっと二人きりで過ごしていたのだ。カミルの不在は心細くもあったが、我儘を言う訳にもいかない。
王太子のハレムは掻き乱してやった。これからどうなるかは夫人達の動き次第だ。
第一夫人のシェーサーラの事は、カミルに伝えなければ。子が無い事も分かったし、誰の娘かも判明すれば、配下を潜り込ませる事ができる。
それから、ネフェティアの事も。
王太子の子を産んだ女だ。シェーサーラや王太子の死を偽装するのに使えるかもしれない。
そう、カミルは王太子だけでなく、夫人も標的にしていた。暗殺の方法は意趣返しの毒殺だ。閨の食事に毒を仕込む。そうして王太子が亡き者になれば、次の王太子は幼い赤子になる。そう仕向けるには子の無い夫人を選ばねばならなかった。
そして、一番利を得る嫡男の母に疑惑の目が行くようにする。それがネフェティアか、他の女かは分からないが、王太子に侍るくらいだ。欲は強いと思われる。しかも額の模様があったのは、第五夫人ともくされるネフェティアと、末席に座っていた二人。
一気に国母の座が手に入るとなれば、浮き足立つに違いない。
現国王はもう五十を過ぎる。高官達も、より操りやすい赤子を、名ばかりの国王に据えようとする可能性は高かった。
そして、シャハル。
果たして、自尊心の強いシャハルがそれを許すだろうか。今でも兄であるカミルを見下しているのだ。第二夫人以下の女が産んだ子に、玉座を奪われるのは屈辱以外の何物でも無い。
王太子は現国王の第一夫人の子である第二王子だ。第一王子の母は第四夫人で、権力争いからは早々に身を引いた奔放な人だと聞いた。
その第一王子もカミルに期待を寄せている、この国を憂う一人だ。表舞台から身を引いたとはいえ、王子という立場を利用して慈善事業を行っている。王都の片隅にあるスラムで炊き出しや、仕事の斡旋、子供の教育など、社会的弱者からの支持は高い。
それに比べて、王太子は愚鈍というより他にない。王と共に夫人達に金を使い、国庫を逼迫させている。
今回の密談も、それを補う目的があった。エディシェイダは軍国主義の国だ。使い潰せる傭兵を欲している。そこに奴隷を売り込み、金を得て、更に軍備を整える。
軍備と言っても、八百長だ。峰嵩もセーベルハンザも同じ武器。しかも粗悪品を回す手筈になっている。それで死ぬのは正規の軍ではなく、徴兵された民達。
何故こんなに回りくどい事をするのかと言えば、大義名分を掲げ金を得るため。
そしてもうひとつ。食い扶持を減らすためだ。民を戦の名目で集め死地に送る。それも下層の住人達を。
峰嵩は山国だ。豊かな土壌は人を増やす。歴史を振り返れば、温暖な気候故の疫病や、風土病があった。自然の力で調整されていたのだ。それが時代と共に対策が取られるようになってきて、人口は増加傾向にある。物資の運搬は危険な山道のみ。土地も狭いため、食料供給に限界が来ていた。
セーベルハンザも同様だ。
商人が集まり、奴隷が増え、スラムが広がり、町や村は徐々に飽和状態となりつつある。乾燥した土地に恵は少ない。僅かばかりの水源も、王宮で浪費されていた。砂漠のオアシスと言えば聞こえはいいが、その実、人として尊厳のある生活を送れている者は少数だ。
そんな中で、不必要な人間を大手を振って殺す、またとない機会。それがこの密談だった。
韵華は深い溜息を零す。
「この世界はどこへ向かうのかしらね」
ぽつりと呟くと、ユニが茶器を携え戻ってきた。
「人が火を手に入れて幾星霜。富を持つ者が権力を握り、弱い者を虐げる。歴史はそれを繰り返してまいりました。時代は人の心を蝕んでいます。誰かが是正しなければならないのです」
それがカミルと韵華だと、ユニは瞳で語る。少し垂れた目元は優しい。
その目を見つめながら、韵華はカミルを想う。この淀んだ国で、その重責を背負い生きてきたカミル。忠臣達は、確かに支えてきてくれたのだろう。しかし、それもまた重荷となる。
韵華にとっては大事な夫だ。政略結婚とは言え、結ばれた縁。その重荷は、韵華の背にも乗せられた。
だが、二人ならきっと乗り越えられる。
韵華は、湯気の立つカップにそっと口を付け、カミルの帰りを待った。
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