月齢03(眉月) 神様との遭遇

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月齢03(眉月) 神様との遭遇

 あと一歩踏み出せば、暗い海に沈むという刹那、 「こんばんは」  凛とした、神々しい声がして、  狛は、ふと踏み出す足を止めた。  男は、狛に優しく声を掛けてくる。 「月が綺麗ですね」  狛は、思わずぴくりと反応する。  まさか、こんな時にこんなところで、その言葉を聞くとは…。  夏目漱石の『意訳』  英語教師をしていた漱石が言ったとされる、  逸話からの言葉。愛の告白。  狛は、まさにこの言葉に対する、返し言葉の行動を取ろうとしていた。  だから、素直に王道の返しをする。 「死んでもいい」  枯れ果てたはずの雫石が、ぽろりと零れる。  しゃくり上げるわけでもなく、  泣き叫ぶわけでもなく、  狛は、さめざめと泣いた。 「どうしてそんなに泣くのです?」  男は、狛に尋ねる。  その声は、狛の心に染み入った。 「大切にしていた人たちから、裏切られました」 「それは、悔しい思いをしましたね」 「私は独りになってしまいました」 「人は元々独りですよ。自分以外の人は、全て『他人』なのですから」 「部屋を飛び出して、彷徨って、ここまで来ました」 「泣いて、歩いて。疲れたでしょう」 「ここまで来たら、月が出ていたんです」 「今日は、満月ですからね」 「ずっと見てました。この光の道は、どこに続いているのでしょう」 「光の道は、貴女の望む場所へ導いてくれますよ」  男の最後の言葉に、狛は反応し、  振り向き、初めて男の顔を見た。 「どうやったら行けますか?」  狛は、深く暗闇を湛えた瞳に、僅かに光を取り戻す。 「少し、戻ってきましたね」  そう言って、狛に手を差し出してきた。 「とりあえず、降りてください。危ないですから」 「…」 「降りてきたらお教えしますよ」  月の光に照らされた男の顔は、  女の狛が負けるほどの美しさだった。  男は、ほらと、手をさらに狛に向けて微笑む。  その笑みに絆されて、  狛は男の手を取って、堤防から飛び降りた。  
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