230人が本棚に入れています
本棚に追加
出会い
「そんなぁー!」
やっとのことで洗濯ものを干し終えた私は、夕飯を食べに向かった食堂で悲鳴を上げた。今日の食事はすべて出払ってしまったらしい。
ぎりぎり間に合うと思ったのに……だめだったか。
がっくりと肩を落とすも、ふと大皿が目に留まる。
「これはなに?」
「あぁ、それは、余った包子用の餡よ」
「これ、調理して食べてもいい?」
「もう捨てるやつだからいいけど、片付けよろしくね」
私は誰も居なくなった厨房で一人せっせと火を起こすと、使用許可を貰った小麦粉で餃子の皮を作る。中華料理屋仕込みのレシピはちゃんと頭に戻ってきていた。
久しぶりの料理に、わくわくが止まらない。
「フフフ~ン」
楽しさのあまり鼻歌を歌いながら私はささっと餃子を焼き終える。残り物の餡だったけど、10個も作れて上々だ。余分に作った餃子の皮は、同じく残り物の具ナシの汁物に投入して皮だけワンタンスープの出来上がり。これでちょっとは腹の足しになるだろう。
出来上がったそれを盆に乗せて食堂へと移動すると、一番厨房に近い卓に人が居て思わず体がびくついた。
もうすっかり日が暮れて、人気のない時間だと言うのに、一体誰だろう。しかも格好からして、宦官のようだった。
「あの……大丈夫?」
声をかけるも、ピクリともしない。
大丈夫だろうか、この人、生きてる……?
ちょっと心配になって肩をゆすると、がばっと勢いよく起き上がった。
び、びっくりした……。
突然動いたのにも驚いたけど、暗がりで見えたその人の顔は、ぼさぼさ頭と長い前髪のせいで鼻から上半分が隠れていて、ぎょっと目を剥く。
「……ん、やっとできたか、待ちくたびれたぞ」
「はい?」
なんの話だ、と耳を疑う。なんだかまるで食事が出来上がるのを待っていたかのような……。
「腹がへってはなんとやら。――さて、頂こう」
「ちょ、ちょっと待てい」
卓にセットされたお箸を取る手をチョップで阻むと、口をへの字にした顔が向けられた。
「……わかったわよ。分けてあげる。けど半分こよ」
「仕方ない。それで手を打とう」
宦官って偉そうなやつばっかだと思ってたけどその通りだわ。
やれやれ、と思いながら、まだ鍋に残っていたスープをお椀に盛って宦官の前に置き、私は彼の向かいに腰を下ろした。
「これは、なんという料理だ」
「焼き餃子よ」
「焼き餃子とは庶民の食べ物だと聞いたことがあるな」
そこでようやく私は、この世界の餃子=水餃子だというのを思い出した。庶民が残った茹で餃子をつぎの日に焼いて食べるのが一般的なんだとか。私もここに来る前に食べたことがあるが、べちゃべちゃになった焼き餃子はとてもじゃないけど食べれたものじゃない。
「あぁ、それじゃなくて、茹でずに最初から焼くの。絶対美味しいから食べてみて! このタレをつけてね」
カリッとこんがり焼けたところが音を立てて割れ、宦官の口の中に消えていった。
「ん……」
もぐもぐごっくん。
一口食べ終えた宦官は、餃子を凝視したまま固まってしまった。
「ちゃんと味がある……」
「そ、そりゃ、味付けしてるし、タレもつけてるしね。……美味しくなかった?」
そんなはずは、ないと思うんだけど。
少し不安になるも、彼は首を横に振った。
「いや、その逆だ。あまりに美味しすぎて言葉を失っていた。こんな美味い餃子は食べたことがない……」
「あ、ありがとう。それはよかったわ」
ただの餃子でこんなに驚かれて褒められるなんてちょっと複雑だけど、悪い気はしない。
ほっとして、私も箸を進める。
即席で作ったにしては及第点じゃないだろうか。
「名は」
「鈴風よ。あなたは?」
「雲嵐だ。――鈴風、明日もお前の作った料理が食べたい」
「それは嬉しい申し出だけど……、私は洗濯係で尚食局の宮女じゃないからそれは無理ね」
尚食局とは、食に関することを担当する部署のこと。宮女の食事はもちろん、妃の食事も担っている。だから、所属していない私が勝手に作ることは不可能。
「こんなにいい腕を持っているのにか……。そうか、それなら仕方ないな……。では、礼をするから明日の同じ時刻にここでまた会おう」
「お礼されるほどのことはしてないけど?」
「俺がしたいんだ。なにか欲しいものは?」
聞かれて考えたけど、特になくて答えに詰まる。ここに来て、毎日ご飯が食べれて布団で寝れるだけで事足りていたから、急に聞かれると思いつかなかった。そんな私を雲嵐はふっと笑う。
「遠慮はいらぬ、翡翠と瑪瑙ならどっちが好きだ」
「宝石なんていらない。――あ、そうだ、手荒れに効く軟膏が欲しい」
毎日毎日水仕事で、手がかっさかさだった。
軟膏は高くて私には手が出ない代物だから、せっかくの人の厚意を無下にするのも悪いし、とおねだりしてしまう。
なのに、雲嵐は「そんなものでいいのか?」と呆れて見せるものだから、ついついかっとなってしまった。
「そんなもの、って失礼ね。こっちは毎日朝から晩まで働いて働いて、手もこんなに荒れて痛いのに、軟膏一つ買えないのよ? 高給取りの宦官と比べないでもらいたいわ」
親戚夫婦にいくら抜かれているのか知らないけど、私の給金は本当にスズメの涙ほど。
ここから自由に出られるわけでもないから特段不自由はしていないのだけど、それでも見下された気持ちになってつい声を荒げてしまった。
しまった言い過ぎたと恐る恐る視線を向けるも、彼は口を一文字に結んでなんとも複雑な雰囲気をしていた。目元が見えないので、それが怒っているのかどうかがわからない。
「そうか……、俺の言い方が悪かったな、すまん謝る。それじゃぁ、明日ここで会おう」
「え、うん、また明日ね」
雲嵐はすっかり暗くなった夜道に消えていった。
「あぁっ!」
私は勢いよく椅子から立ち上がる。
「洗い物させるの忘れたー!」
最初のコメントを投稿しよう!