精神病・脳障害者の人々へ

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執筆当初の半年前より耳鳴り、幻聴、神経失調の症状が半年で増えてしまった。  あなたたちがまず行う唯一のことはただ生きることです。  ADHD・アスペルガー・高次脳機能障害・発達障害・不安神経症・強迫性障害・パニック障害・もやもや病・失語症・うつ病・双極性障害・高次脳機能障害・統合失調症・依存症・解離性障害・不眠症・適応障害・パーソナリティー障害・自閉症・チック・どもり・記憶障害・遂行障害・注意障害・情緒障害・社会的行動障害・コミニュケーション生涯・失認・失行・自己意識性障害・PTSD……この世には実にたくさんの精神病・脳障害が溢れています。そして、たいていの人は少なくとも4~5つ、多くて10~20の病気・生涯を併発していることだと思います。精神病・脳障害は連鎖増幅するものでひたすらに膨れ上がっていきます。そしてその最果てが自殺です。  精神病・脳障碍者の見る世界は絶望に塗れています。絶望に塗れる最たる原因は健常者と比較した自分の無能・無意味さの自覚、そしてそんな自分の存在意義を肯定できなくなることにあるのではないかと思います。  障碍者にとって健常者は超人です。どちらも経験したことがあるからよく分かります。健常者が当たり前にできることが障碍者には当たり前にできません。その度に立ち止まって、えっちらこっちらと時間と手間をかけながら目の前の問題を解決している間に健常者は2歩・3歩とあっという間に障碍者の先に進みます。自分が当たり前にやっていることが超人の所業だと言う自覚のないままに障碍者の手の届かない遥か高みへと昇ってゆきます。そこに罪悪感はありません。ただ絶望をふりまく太陽として輝くだけです。そしてそれが世間では正義とされ、正義になれない障碍者は嫉妬と絶望で狂い死にます。  障碍者は本当に普通のことが普通にできません。脳や心が壊れているからです。身体障碍は目に見えますが脳障害も精神障害は目に見えません。だから理解のない健常者には怠けてるだけ・努力していないだけ・今までの報いなど圧倒的上から立場で心無い言葉を吐かれたりします。薄皮一枚、でも決して破ることのできない絶望的なまでの隔たりが両者の間には存在します。健常者は普通の脳を持っている自分がどれだけ恵まれているかの自覚がありません。だからこちらがどれほど死に物狂いで毎日血を流して普通に振舞っているかを理解しません。けれど言葉を尽くしてもただ弱者の遠吠えにしかならず、見返そうにも障害のせいで自己向上は遅々として進まず同じだけの努力をしている健常者には勝てるはずもなく……こんな人生に意味があるのかと絶望します。その最果てが自殺です。何もできないから自殺します。何かできれば自殺しません。  冒頭に戻りましょう。そんな障碍者がするべき唯一のことは生きることです。ただ生きて、生きて、生きて、それだけです。まずそこから全ては始まります。気高い理想も、尊い希望も、輝く夢も、全ては後先です。まずは生きましょう。1日生きて、2日生きて、1週間生きて――そんな自分を褒めてやりましょう。自分はこんな苦難にも負けず生きている。凄いんだ、と。  生きるためには何をしてもかまいません。だらだらとゲームをしたっていい、昼間から酒を飲んだっていい、何もかもを忘れてパチンコに逃げてもいい、2次元3次元区別なく女をひたすらに求めてもいい、それで生きる気力がわくならばなんだってしましょう。まずは生きることから全てが始まります。逃避ではありません。生きる気力を蓄えているのです。夢を見る必要なんてありません。くだらない現実を見続けましょう。  そうして十分に生きる気力を蓄えたら――何か前向きなことをしてみようと自然に思えるようになったら、動くべきです。心に浮かんだことをしましょう。まずは気持ちから、絶対○○する。そこから始めましょう。気持ちが目標を向けばあとから行動がついていきます。そして、小さなことから、例えばハロワークの店の前を訪れるなどの行為から初めて、少しずつ、少しずつ、目標に近づいて、そして勇気を出して実行に移しましょう。失敗しても、その分前進できます。そもそも人生というのは失敗という経験の積み重ねです。失敗したからって落ち込むことはありません。僕は何一つ成功できずひたすら失敗だけ積み重ねて無様な人生を送ってきましたがとりあえず職について生きることだけはできています。一時は無職でした。そこから脱却した手を最後に少しだけ書こうと思います。  まず太い紐を買いました。首を吊れるくらいの太さの紐です。そして首を吊る予行演習をしました。  首吊りは呼吸ではなく脳への血流を止めて死ぬ自殺方法です。完全自殺マニュアルで最強の自殺方法と太鼓判を押された、世界でもっとも有名かつ普遍的な自殺方法です。ドアノブに紐を結び付けて、首に紐をかけて、体重をかけて、死ぬ練習をしました。しばらくするとうっすらと呼吸は可能なまま段々と脳が少しずつ麻痺していく感覚があり、その感覚にとても安心して、そこで演習は終わりました。俺はいつでも死ねる。そう安心したからです。事実はどうあれそう思えたのが重要でした。  それからは嫌なことがあれば死ねばいいと開き直れるようになりました。いざとなれば死ねばいい。そう思えば大分気が楽になりました。常にバッグに潜ませてる紐が精神安定剤でお守りでした。真剣に死を選択肢に取り入れることで逆に生きることができました。どうせ後は死ぬだけだから仕事の面接くらい受けてやるか。ああ、失敗した。まぁいい。死ねばいい。でもどうせ死ぬなら死ぬ前にやれそうなことをあと1個だけやろうか。ああ、やっぱり失敗した。まぁいい。どうせこの世は泡沫。もう少しだけ努力してみようか――万事こんな感じの思考回路で一時期は生きていました。おかげで何とか仕事にありつけました。  まぁ就職しても失敗ばかりでした。いまだに思い出すとぶち殺したくなる糞上司がいました。それからの事態の対象方法は、まぁ参考になるか分かりませんが書いときます。ただひたすら勉強して、仕事の工程をメモして、それを参考にして、それでも死ぬ程失敗を繰り返して、でも同じ失敗は二度と繰り返さないように100度は念じ呟いて脳というより魂に失敗を刻み付けて、ひたすら体当たりで仕事を覚えていきました。ただただ体で仕事を覚えていきました。  障碍者というのは脳が壊れており心も壊れておりどうしようもない愚図です。でも、流石に体で繰り返せば本能的に繰り返したことを覚えます。痛みを何度も味わえば嫌でも魂が覚えます。その繰り返しです。体当たりで痛みをひたすら味わい続け頭でなく魂で覚える。全ての努力はそうです。障碍者は効率のいい努力が出来ません。ひたすら非効率に体に痛みを刻み続けましょう。万事それしかありません。すいません。都合のいい方法は何も提示できません。死ぬ程苦しんで痛みを味わって地獄を見て時間をかけて繰り返して本能になるレベルまで魂に刻み付けろとしか言えません。もう、痛みしかありません。痛みだけが僅かに障碍者を健常者に近づけます。死ぬ程苦しめば何も考えずに働けるようになります。そこを目指しましょう。  スタート地点が断崖絶壁の幻覚が見える程に低いだけで辿り着くために神にささげるべき血の総量に愕然とする程の差があるだけで大谷翔平のように才能に歴然の差があれば絶対に辿り着けない高みもあるだけである程度のレベルまでは障碍者でも辿り着けます。大成功はできなくても小成功くらいならできます。僕も夢は何一つとして叶いませんがとりあえず人並の生活にはありつけています。先を見たら絶望しかない、果ては自殺かなと思ってるほどの薄氷の生活ですが、一応。まぁ最悪死ねばいいだけなのであんま気にしていませんが。  文章もこの程度のものを書くために誰にも見せれない低クオリティなものを10年以上書いてきました。というか最初は――脳が壊れてからは文章もろくに書けませんでした。ドアノブの開け方さえ悩みました。高次脳機能障害の失行の症状ですね。僕は後天的高次脳機能障害を患ってしまって昔できなくなったことがのきなみできなくなって、それを機に元々ADHD――まぁ世間的に言われる障害をあらかた患ってた精神が一線を越えて崩壊しました。それでも人前では普通を装い、しかし家に帰れば泣き叫び狂って脳の中に厳然して存在する布団のように柔らかい巨岩に腹の中で蠢く赤黒い3匹の蛇の群れに体中に赤く充満するカルマの感覚が24時間離れなくて罪滅ぼしのようにひたすら机に向かって昼も夜もなく勉強してそして全ての罪を払うために行動しようとしてももうまともに行動もできなくて努力も空回りして脳が新しいことを覚えられなくなって集中もできなくてだからもう努力すら封じられて前に勧めなくてただひたすらこの世に2人と経験したことのないだろう生き地獄を味わい続けて吐いても吐いても何も体の中から出てこなくて終いには変な宗教まで嵌まって襲われて――生き地獄でした。あの日以来それ以前の自分と今の自分が入れ替わってしまい脳が壊れた日以前の記憶は感覚が断絶してまるで前世の記憶のような遠いものとなってしまい、自分の中が空っぽになって全てが罪で埋め尽くされて、その罪を払いきるまで10年間生き地獄を味わい続けました。払い切ったか分からないけど人前にこんな文章を晒せると言うことは少しは赦されたのではないかと思います。まぁ大分マシになりました。普通の人を装えるくらいには。すいません。余談が過ぎました。理論ではなく感覚で文章を書いているので僕の話はすぐ脱線します。話を元に戻します。  最初は文章もろくに書けなくて、ただ1行、それだけを毎日書くと言うことを繰り返しました。本当にその程度しかできなかったのです。でも、毎日繰り返していたら、それでも少しずつ拡張していって、この程度の文章なら感覚で書けるようになりました。まぁ僕の文章はいつも大不評で、ポイントも全然もらえず、内容も悪いんでしょうね、とにかく全然評価されません。この程度の文章しか書けないと言い直すべきですね。この文章も10PV分流し読みされれば良い方でしょうね……。  ああ、嫌になってくる。それでも書き始めた当初よりは遥かにマシな文章が書けるようになりました。ひたすら魂に痛みを積み重ね続けました。10年間平和だった頃の夢にしがみつきながら書き続けて、楽しいと思いながら文章を書いた時間なんて数えるほどもありませんでしたが、苦しみに塗れていましたが、それでもやらないよりはマシでした。とにかく頭が壊れていても前進はできるという話をしたかったのです。  まとめに入ります。障碍者の見る世界というのは地獄です。健常者には想像もできない困難が万事に付き纏います。そしてそれら困難を苦痛に塗れて処理するのが精一杯というのが障碍者の人生のほとんど全てです。死にたくなります。それでも生きるべきです。  死んだら地獄に落ちます。例え路上でぶっ倒れて死ぬ末路になるとしても最後その時まで生きるべきです。ホームレスに落ちぶれたっていい。パチンコに狂い死んだっていい。とにかく最後まで自殺という選択肢だけは選んだらいけません。飢えて凍えて死んだって自殺だけは選んではいけない。地獄に繋がる選択肢だからです。だから生きなければいけない。それが生きる理由の全てです。自殺した先に希望はない。救いはない。死んで後悔するだけです。だから、自殺だけは選んではいけません。生きて思いっきり苦しみましょう。死後の安息のために今を苦しみ続けるのです。死んだら全ては消え去る。ゴミみたいな糞スペックの肉体が味わう苦しみは全て消え去る。ただ魂に刻み付けた苦しみだけが残る。ならば生きてる間に精々苦しんで生きてやろう。死んでもいいからそれまで生きてやろうと思うのが人情ではないでしょうか。僕はどうせ行く先は野垂れ地ぬだけですがそれまではホームレスになってでも生きてみようかと思っています。どうせ俺みたいな神に呪われたゴミにはろくな末路が待っていない。道を誤った社会不適合者には希望の未来は残されていない。人生は成功のために1000の苦しみを積んでも1の失敗を犯しただけで全て吹っ飛ぶ理不尽な仕組みになっています。俺は脳が壊れてどんなに注意しても失敗を犯すので永遠に成功できない仕組みなっています。障碍者は大抵そうです。永遠に成功できません、永遠に苦しむ続けます。ただただ永遠に苦しみだけが生きてる限り続きます。そしてそれでいいんです。  生きてる限り苦しみましょう。それがきっとあなたの死後の安息に繋がります。魂の功徳を死ぬまでの辛抱と延々と重ねるのが障碍者に残された唯一の希望なのです。生きて、生きて、ただ生き(苦しみ)続けましょう。  まぁ、こんな駄文を電子の海に放流したところで返ってくる反応はきっと絶無で、1ヵ月と経たぬうちに膨大なタイトルの羅列の中で漂白されて有象無象と消え去る運命でしょう。きっと誰も読むことのないまま俺と同じようにこの世の片隅で無価値に存在し続けるんでしょうね……。
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