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目を輝かせて叫ぶように言った娘。 そもそもトロッコ問題は正解を出すためのものではなく、犠牲者の多少によって命の重さをはかり判断を下すことが本当に妥当なのかを考えさせるとともに、自分ならどのような行動をおこすかを問うものだ。 自発的な行動をとるのか。 責任を回避することも考えて傍観者になるのか。 どちらの立場を取るのかを考えるための思考実験であり、なぞなぞやクイズのようなものではない。 しかしまあ、この年齢の子ならなんとか答えを出したくなるのだろう。 そういえば少し前に、ネットでトロッコ問題を解決できたという投稿が話題になったことがあったな。 たしかトロッコの前輪が線路を通過した直後にポイントを一回だけ切り替えることで後輪が左線路に入り、トロッコが強制的に横向きになり動けず停止するというものだった。 簡単にいえば後輪がレールを通る前にポイントを切り替えると耐えきれずに脱線する。 ――という話で、こうすれば誰も犠牲にならなくていいということだ。 世間的にはこの解決策はかなり受け入れられていたが、正直いって僕は冷めた目で見ていた。 その理由は先に述べた通り、そもそもトロッコ問題は思考実験だからだ。 それをレールを脱線させるという技術的な解決策でなんとかしようとするのは、何かこの思考実験をバカにしているように感じたのだ。 おそらくは娘が考えた解決策というのも、こういう問題の趣旨を無視したものだろう。 でもまあ、娘はまだ小学生。 変に口を挟まずにいようと思った僕は、聞かせてほしいと返事をした。 「大きな声を出すの。みんな逃げて、トロッコが来てるよって教えるの。そうすれば危ないって気がつくでしょ」 自信満々に答えた娘。 僕はあまりのくだらない内容に言葉を失っていた。 大体叫び声をあげたくらいで、レールの上にいる五人と一人が逃げられるなら問題になどしない。 これは誰かを助けるために誰かを犠牲にして良いのかを考える思考実験なのだ。 想像以上に酷い解決策を発見した娘に、僕は説明した。 トロッコ問題は命の数や重みを、どう判断するかを考える話なんだと。 すると娘は小首を傾げた。 そのせいで頭に乗っていたシュレーが落ちそうになり、肩に乗っていたディンガーもビクッと反応していた。 娘の考えていることはわかる。 小難しい話をされて脳内で処理できないでいるのだろう。 しかし僕の教育方針としては、子どもには早い段階で現実的な思考を持ってもらいたかった。 少し残酷ではあるが、今の世界はこれまで解決しなかった社会問題が表面化し、貧困から強盗が生まれ、自殺よりも誰でもいいから道連れにして死のうと考える人間が増えている。 他にも経済の低迷や少子化、空き家問題、インフラの老朽化問題、介護離職に高齢化社会など、娘が大きくなったときの未来は、けして明るいものではないだろう。 当然、会社は助けてくれないし、国も助けてはくれない。 個人的なことだが、僕は両親や兄とはいろいろあって疎遠になっていて、正直あまり関わりたくない。 そういうわけで家族も頼れず、友人とはずいぶん前に縁が切れている。 そして妻も男を作っていて、結局は離婚してしまった。 所詮、人は自分しか頼れる者がいないのだ。 ここ数年でようやく自己責任への疑問が問われるようになったが、やはりそう簡単に世間の価値観は変わらない。 だからこそ娘には、今のうちからしっかりした子に育ってほしい。 「でもさ、パパ。なんかどっちかしか助けられないって、先生もクラスのみんなも言っていたけど」 娘は落ちそうになったシュレーを手で支えて、ディンガーのいるのと反対の自分の肩に子猫を置いた。 「みんな助けられるなら、それで良くない?」 僕は再び言葉を失った。 本日二度目だ。 これまで誰が相手でも口論で負けたことのない僕が、同じ日にまたも言い返せなくなってしまった。 そんな父のことなど気にせずに、娘は話し続ける。 「答えはないとか、解決策なんて発見できないとかあきらめないで、最後までがんばりたいよ、あたし」 笑顔でそう言った娘。 僕はやはり返す言葉が思いつかず、黙ったままだった。 いや、言い負かすのは簡単だ。 (あきら)めないとか頑張りたいなんて気持ちは、すぐに挫折(ざせつ)と入れ替わる。 できないことや自分の意見が通らないことなど、これからいくらでも起きる。 だからルールを破って解決策を発見した気になるなと、もっと厳しい言葉でも優しい言い方でもいくつでも娘に言ってやれる。 だけど、それはできなかった。 なぜならば僕は、娘が言っている荒唐無稽(こうとうむけい)な言葉が、悪くないと思ってしまったからだ。 決められているからとか。 ルールだからとか。 そういうものだからと考えず、まずは最善を尽くすことが正解だと思わされてしまった。 そうなると、ネットで話題になっていたトロッコ問題の解決策も、その人が考えた最善を尽くした方法だったのだと受け入れることができた。 「パパ? どうしたの? なんで泣いてるの?」 気がつけば目から涙が流れていた。 今さらながら妻とのことに、僕は最善を尽くしていなかったと思う。 男は仕事、女は家のことをやる。 そう考えてすべて妻にやらせていた。 それが普通だと、家のことはお前の仕事だと、妻の話をろくに聞こうとしなかった。 いくら価値観が変わってきているからといっても、稼いでるほうが働き、養われているほうが家を守る――そういうものだと信じていた。 だから妻との生活が破綻したとき、僕は何もしなかった。 浮気を知ったとき、散々理詰めで妻を追い込み、結局それが離婚の決定打となった。 娘や後のことを考えれば、止めなかったことに後悔がなかったといえば嘘になる。 ずっと妻が悪いと思っていたのもあるが、どの道、家庭を顧みない僕である限り、別れてはいただろう。 そしてなによりも悔しいのは、僕はまだ妻を愛していて、彼女にも愛を求めているということだ。 しかし、もう後の祭り。 最善を尽くさなかったではすまない。 僕はもう二度と妻と会うこともできないのだ。 「パパ、泣かないで」 娘が僕を見上げながら手を伸ばしてくる。 その小さな手で僕の足を掴む。 すると、娘の両方の肩に乗っていた二匹の子猫――シュレーとディンガーが僕の頭と肩に飛び乗ってきた。 二匹はぶら下がるように僕にしがみつくと、ミャーミャー、ナーナーと鳴いていた。 「パパにはあたしがいるから。トロッコからあたしがパパを守るからね」 娘は何かの誤解で、僕がトロッコを怖がっていると思っているようだった。 僕に似ずなんとも察しの悪い娘だが、この子がいてくれて良かったと、心の底から思えた。 〈了〉
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