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3.そして私は
そして私は東雲氏の領池へ向かっている。
東雲氏は樫宮お姉様の後ろ盾、柴宮雁智と手を結んでいる阿地部氏の好敵手であるらしい。
その力を頼るしかないのだと聞かされていたけれど、中名に過ぎない地侍を頼るしかない、それに衝撃を受けた。
私は東宮なのに、私の威光は微かな輝きしかない。
いいえ! 東雲氏の領池につけばいいのよ。私の味方が少ないと言っても、それは宮の中だけ。都から離れれば、皆私こそが正しく東宮だと! そうよ、東雲氏がなんとかしてくれるわ。
そう思い気ばかり焦った。それに、東雲氏の領池へは宮のある都から船だけでいけると言われていたが、まさか一晩かかるとは……。そんな田舎に逃れるしかないなんて! でもそれでもいいわ。ただ、早く着きますように……。
その時、侍女の一人が窓の外を指さした。
「あ、東宮様。日が昇りますよ」
外を見ると、確かに暖かな朝日が。そして。
「船が見えるわ。吉野」
波間に大きな黒い船影が見えた。
「船? 迎えの船では?」
吉野が首を伸ばした。その言葉に呼応するように。
「東雲氏の軍船だー!!」
船の下人たちが喜び騒ぐ。けれど。
「おい! 軍艦だぞ! 後ろを見ろ!!」
その声はあっという間に恐怖に取って代わられる。
「阿地部氏の艦だ!!」
悲鳴が聞こえて船の中は一気に混乱に陥った。
『きゃー!!』
「うわー」
「絶対に追いつかれるな!!」
叫び声が交錯している。私は震えながらただ吉野に抱きしめられていた。
「頼む! 東雲氏ー!!」
「やっつけてくれー!!」
船室の外から、耳を塞ぎたくなるようなバリバリという大音響が轟く。それはしばらく続き、そして静かになった。躊躇うような沈黙が暫しあって。
「やったー!!」
「東雲が勝ったぞー!!」
わっと湧き上がるような歓声が聞こえた。
「東雲氏ー!」
「おお!? 和樹丸様だー!!」
「若様ー!」
男たちの声が聞こえる。と、船室の扉が開き、若者が姿を現した。
「桃宮様。東雲氏が迎えに来ました」
吉野の息子、戌翔は安堵した顔で言った。吉野が私の体から手を離す。
「間違いないのじゃな?」
「はい、こちらの使いの者も迎えの船に乗っておりました」
私は吉野を見上げた。
「挨拶を受けるべきかしら?」
「東雲氏の嫡男が指揮を取っております。姫様のお顔をお見せ頂いた方が」
そう進言する戌翔に、吉野が怒りの顔を向けた。
「地侍相手に宮様のお顔を見せろと?」
その吉野に私は笑いかけた。
「いいわ、吉野。その侍に会いましょう」
それぐらいしても、いいわよね? 安心したことで、余裕も出てきた。
「は、では。案内して参ります」
戌翔が一礼して下がっていく。
「姫様……?」
「大丈夫よ、吉野。それに田舎の侍がどのような者か、一度見てみてもいいでしょう?」
それは私の中に芽生えたほんの少しの興味だった。宮の外など大したものもないでしょうけど、ちょっと見てみるぐらいいはずだわ。
私の好奇心に吉野が困った顔をした。そして、振り返って侍女の一人に言う。
「たれ衣をここへ」
「……。はい?」
吉野に声をかけられた侍女は一瞬何のことか分からないような顔をした。吉野が顔を歪める。
「たれ衣があったであろう? 持って来よ」
「は、はい!」
侍女が櫃の中からたれ衣を取り出し、私の前へと進んで来る。でも、その表情が何かおかしい、いつもの彼女ではないような……。
「東宮様。御免なさい!」
たれ衣の奥にきらりと光るものが!? 侍女がそれを私に向けて……。
『東宮様!!』
ギョッとしたような声が上がった。私は何もできず、その場にただ立ち尽くす。小刀がこちらに迫ってきているのに! まさに、その刃を胸に受けようとした時だった。
「ぎゃっ!!」
私を襲おうとしていた侍女が、一声あげるとその場に崩れ落ちた。ずるっと小山になったその娘の背中には一振りの短剣が。
「間に合いましたな」
唐突に、その場にふさわしくない朗らかな声がした。その声に顔をゆるゆると入り口に向ける。そこには一人の青年が立っていた。彼が……剣を投げたのかしら?
でも、私が考えられたのはそれだけだった。目の前が真っ白になり、足から力が抜ける。
死にかかったのだ。『死』という言葉だけが頭の中をぐるぐると回る。
「姫様!」
吉野の声が遠くから聞こえる。私はそこで気を失った。
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