1.懐かしの港町

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 懐かしさと、『La Sirène』、つまりフランス語で人魚を意味するその店名に惹かれ、私はバーの扉を押した。 「いらっしゃいませ」  静かなスタンダードジャズの音色と共に、優しい声が迎えてくれた。  おそらく私より少し年下だろう、若い頃の美しさを留めたとても魅力的なママがカウンターの向こうにいた。黒いレースのドレスがとても似合っていた。  まだ時間が早く、客はいない。暇を持て余していたのか、ママの手にはペーパーバックがあった。  マホガニーの一枚板を使ったバーカウンターが目を引いた。  同じくマホガニーのバックバー、アンティークのテーブルや椅子、ライティングまでが昔のままで、まるで若かりし頃にタイムトリップしたような錯覚を覚えた。    カウンターの向こう、ママから離れた所では、若いバーテンダーが静かに氷を削っている。 「こちらへどうぞ」  ママが自分の前の席を示したので、そこへ座った。
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