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序
旺仁郎はいつだってお腹が空いていた。
兄の誠一郎はなんでも大きな口で美味しそうに食べる。口いっぱいに頬張って、まだ飲み込まないうちから美味しいと笑むのだ。
一方弟の旺仁郎は、小さく開いた口でぽそぽそと啄むように食べる。そして噛むよりも先に早くそれを飲み込んでしまわないと、「食事の時間はもう終わり」と膳を下げられてしまうのだ。
怯えていたのは祖母だった。
大きく口を開くとなんでも飲み込み、言霊を紡げば人を惑わす。それが旺仁郎の異能だ。
祖母は彼に言葉を話すことを禁じ、食事に5分以上かけることを禁止していた。そして何より、口を開くなといつもいつも繰り返し言いつけていた。
旺仁郎は祖母のことがあまり好きではなかった。
しかし、不幸ではない。それはこの「八尾」家の祖母以外の家族、父母兄は旺仁郎に怯えてはいなかったからだ。どちらかというと、父や母は狷介固陋で言葉のきつい祖母のことをどう扱っていいものかと梃子摺っているようだった。
母はよく祖母の目を盗んでは、お腹を空かせた旺仁郎のために、一口大に小さく丸めたオニギリを作ってくれた。ほろほろと解いたピンクの鮭、ほのかに酸っぱく香るユカリ、とろろ昆布に包まったそれは色とりどりでコロコロとして可愛らしく、並んでいるだけで自然と顔が綻んだ。たまに小さいお稲荷さんもある。
しかし、旺仁郎にはそんな可愛らしいオニギリたちをのんびり眺めている時間はない。
「おばあちゃんに見つかる前に早く食べなさい」と、母は優しく旺仁郎の頭を撫でるのだ。
◇
「今更言っても仕方ないけどさ。いいよな旺仁郎は」
最後に荷物を確認する旺仁郎に誠一郎が言った。
当分使われることがないだろうとシーツを剥がしたベッドの上に、ごろんと横になった兄を見て「何が良いのか」と表情だけで旺仁郎は尋ねた。
「俺にも異能があれば、お前と同じようにそっちに行きたかった。毎日毎日、机に齧り付いて最悪だよ。ほんと酷い」
誠一郎はその目を細め、深いため息を吐いた。
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