第一話「それでも、愛してる」

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「…お返しが百七十九円になります。」 レジを叩く。釣りを釣り皿に置けば、客が財布にしまう。立ち去れば、おれはぼんやりと店内を見回していた。曲の名前も知らない音楽がテンポよく店内に響き渡れば、鼓膜に届く。もう夜の十時を回るせいか、客数はまばらだった。ぶらぶらとDVDのコーナーで何かを探すサラリーマンの男や、カゴを片手に抱えて、レンタル漫画をバサバサとカゴの中に放り込んでいく灰色のチェスターコートを着た髪の長い女を見る。 「藤田くん、返却本の配架の方に回って。こっちは見ておくから。」 レジの奥でパソコンを弄っていた店長から声を掛けられれば、頷いて、レジから出る。 漫画のレンタル本が積まれたカートを見れば、二十冊ぐらい取ってコーナーに配架する。 半分ぐらい終わっていけば、「あの」と声を不意に声を掛けられた。振り返れば、カーキー色のステンカラーのコートを着た大学生ぐらいの男が立っていた。茶髪を流していて、どこか困り果てたような顔をする。 「…映画のDVDを探してて。洋画で、男が何度も過去にタイプリープするやつなんすけど。何度か記憶を主人公が無くすやつで。携帯で検索しても、タイトルが思い出せなくて、探してもらえますか?」 「…少々お待ちください。」 返事すれば、男が頷く。おれは来た道を戻って、両腕に抱えた漫画をカートに戻した。 レジに戻り、パソコンで検索する。記憶喪失、タイムリープ。洋画。いくつかリストが出てくる。NaKen、トライアングル、リピターズ、パラドクス、タイムリープ・七回殺された男、そして最後にバタフライエフェクトのタイトルが出てくる。薫が一番好きな映画だ。 『バタフライエフェクトはそれぞれ別のエンディングがあるけど、このシーンが好きなんだ。幼馴染の葬儀で、棺に主人公にメモを載せる。―きみを迎えにいくって。』 ―きみを迎えにいく。大事な事をいつも呟く時は、静かに囁く。まるみのあるその声が心を撫でれば、指先が震えて止まる。 「藤田くん、どうかした?…顔色が悪いよ?」 店長の声ではっと我に返れば、何でも、と返事を返す。リストアップされたタイトルを頭の中に叩き込めば、レジを出て。客の男の所に向かう。 …迎えに来ない。まだ来ない。あいつは。いつも待ち合わせの時間の十分前には来るような奴なのに。 この夜の中にも居ない。街はまだ明るいのに。痛みを通り越して貫通する。その鋭さに息が止まりそうになる。 「…お客様、お待たせしました。」 息をどうにか吐いて吸えば、携帯を弄っていた男が画面から顔を上げる。おれを見て、どこか戸惑う。「いいえ」そう言いながら、こいつ大丈夫か?と言いたげな顔をして見られれば、唾を飲み込んで見ない振りをする。 「…タイトルは、バタフライエフェクトという映画です。主人公が幼馴染の未来を変えるためにリープを繰り返す話です。洋画のSFコーナーに置いてあります。」 「あ、それです!ありがとうございます!本当に助かりました!」 合致したように顔が明るくなれば、そのままコーナーに急ぎ足で向かうのを見送る。 …薫と初めて出会ったのも、ここだ。あいつは映画好きで、いつもおれがレジを打つ時に来た。いつもマイナーの映画なタイトルを告げて、一緒に探しながら苦労した。互いに見つけると笑い合った。 『いつもありがとうございます。一緒に探してくれて。ここ品揃えが豊富だから、いつも助かってます。』 藤田さんと探すと、必ず見つかる。童顔の顔で笑うと、ますます幼く見えた。最初は学生だと思ってた。 癖が少しかかる綺麗な黒髪も。華奢な白い首筋がよく見える刈り上げられたハンサムショートの髪も。小柄の身体には、ダボっとした厚みのある白のトレーナーも、綺麗なベージュのワイドパンツも。白い靴も。頭がクラッシュするほどに色鮮やかに思い出せば、くらりと眩暈を起こすようだった。踵で力強く踏ん張れば、首筋に汗が出てきて、静かに伝い落ちる。じんと耳鳴りがすれば、息を吸って吐きながら掌を握りしめる。呼吸を深く吸って、吐く。過呼吸を起さないように、息を少しずつ整えて。どうにか自分の身体を諫めていく。 …今は金を稼ぐ。金を稼いで、稼いで生きていくんだ。家賃の分だけでも働いて、二人のあの部屋を守る。ゴミ溜めでも、ゴキブリがいくら走っても、あそこには薫が居る。薫の気配が残っている。今日もまだ、まだ。 振り返るように、戻る。急いで戻れば、カートに山のように積まれた漫画をただ配架していた。
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