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エーリカ・アースキン 第八話
私とアンリが出会った、王家王室大広間。
夜のパーティー。会場には多くのランプが灯り、淡く妖艶な光に包まれている。テーブルに並んだ、豪勢な食事。招待された、王家に関連のある貴族達。
新しい王――イヴァンの挨拶が始まった。彼は、この国をもっと豊かにすることや、戦争を早々に終結させる旨を語っていた。その声はよく通り、話の内容は希望に満ちていた。
人の心を掴むのが上手な人。それが、イヴァンに対する私の印象だった。
新しい王の挨拶が終わり、パーティが始まった。本当は娘も連れて来ようと思ったが、嫌がられた。
「お家で、おとーさんを待ってるの」
そう言って、娘は出席を拒んだ。
パーティが始まってすぐに、私は、多くの貴族達に声を掛けられた。
「一緒に食事でも」
「ダンスの時間になったら、一緒に踊っていただけませんか?」
「どこかで、二人きりで話しませんか?」
以前のパーティでは、私は前髪を伸ばしていた。顔を晒していなかった。だから、男に声を掛けられることはなかった。
私は美人だ。顔を晒せばこうなることは、分かり切っていた。
男達の誘いを、私はことごとく断った。
「私は、第七王子であるアンリの妻ですから」
アンリは『怠惰な第七王子』などと揶揄されている。それだけ、王家での存在価値も重要度も低い。注目度も低い。彼に妻がいることを知っている人間など、この場にはほとんどいないだろう。それを物語るように、私の断り文句を聞いた男達は、驚いた顔をしていた。そして、しばし考え込むような顔を見せた後「失礼しました」と言って去って行った。
男達の心情が、私には面白いようにわかった。王子の妻に手を出すのはまずい、と。たとえそれが、存在価値の薄い第七王子の妻であっても。
私に背を向ける男を見ながら、心の中で、アンリに声を掛けた。
ほら、あなた。私、顔を晒してるんだよ。男に声を掛けられてるんだよ。心配じゃない? 心配なら、早く帰ってきて。
その声に返答がくることは、もちろんない。
分かっているんだ。返答がないことくらい。アンリは、この場にはいないんだから。遠く離れた国境付近にいるんだから。
国境付近に――いるはずなんだから。
アンリは、まだ戦っているはずなんだ。生きて、戦っているはずなんだ。
アンリを求めるあまり、独りよがりなことをしている。彼がいなくて、寂しくて。彼が帰ってこなくて、心配で。最悪の予感が胸に渦巻いて、不安で、不安で。
大勢の人がいるのに、つい泣きそうになってしまった。浮かんでくる涙を、必死に堪えた。
分かっている。アンリの生存の可能性は、かなり低い。戦争が激化した時点で、命を落としている可能性が高い。それでも、彼が生きていると信じたかった。信じないと、気が狂いそうだった。信じないと、娘すら手放しそうだった。
信じないと、自暴自棄になりそうだった。
返事がないと分かっていても、私は、アンリへの語りかけをやめられなかった。
早く帰ってきて、あなた。私達、ずっとあなたを待ってるんだよ。もう、待ちくたびれてるんだよ。早く帰ってこないと、どうなるか分からないよ。あなたが死んだと思って、他の男に揺れ動くかも知れないよ。
だから、帰って来て。あの可愛らしい笑顔で、微笑みかけて。ギュッて抱き締めて。耳元で囁いて。愛してるって聞かせて。
愛してるって伝えさせて。
当然、返答はない。アンリは何も言ってくれない。何もしてくれない。私の目に映ってさえくれない。生きていると教えてくれもしない。
目の前には、大勢の貴族や王族。夫婦で参加してる人達も多くいる。正妻だけではなく、側室すら同行させている貴族もいた。
本当なら、私も、アンリと一緒にここにいるはずだった。彼と肩を並べて歩き、互いに料理を食べさせ合い、微笑み合っているはずだった。
それなのに!
私は今、ひとりだ。
「大丈夫ですか?」
唐突に声を掛けられて、私はビクッと肩を震わせた。完全に自分の世界に入っていて、体の感覚が鈍くなっていた。声を掛けられて、現実に戻った。
体の感覚が戻って、初めて、頬の感触に気付いた。涙が流れる感触。歪んでいる視界。
「よければ、お使いください」
声を掛けてきた男性は、私にハンカチを差し出した。
男性の申し出を断ると、私は、自分の手で涙を拭った。
「申し訳ありません。お気遣い、感謝いたします」
男性の方へ姿勢を正し、頭を下げた。ゆっくりと頭を上げて、彼の顔を見た。彼の顔が視界に入った瞬間、私は目を見開いてしまった。
まるで物語から出てきたような美男子が、目の前に立っていた。スラリとした長身。綺麗なブロンドの髪の毛。圧倒的に整った顔立ち。アンリは「可愛い」という言葉が似合う顔をしているが、目の前の男性は、いかにもな美男子だった。
私は、この人を知っている。ウッドビル侯爵子息、ジョシュア・ウッドビル。
四年前のパーティでも見かけた。あのときは、女性二人に迫られて困った顔をしていた。四年経った今でも、美しい外見をしていた。むしろ、年月が、彼のスマートさを熟成させていた。
「アンリ第七王子夫人の、エーリカ様で?」
ジョシュアの質問に、私は小さく「はい」と答えた。
「私は、ウッドビル侯爵家長男のジョシュアと申します」
知っている。四年前のパーティで、狙っていたのだから。アンリに口説かれなければ、私から、ジョシュアに声を掛けていたはずだ。彼に関する情報も、まだ記憶に残っている。
「存じております。お父様は王家で財務に携わり、ジョシュア様は哲学の講師をされていると」
「ご存じとは。光栄です」
ジョシュアは胸に右手を当て、頭を下げた。貴族風の挨拶。頭を上げると、適度な距離を保ちながら私に話しかけてきた。
「よろしければ、少しお話しいたしませんか?」
「……どのような?」
聞きながらも、私は分かっていた。ジョシュアが、どんな目的で私に声を掛けてきたのか。同時に、彼は分かっているはずだ。アンリが、国境付近の戦争に巻き込まれたことを。彼の父は、王家の財務に携わっている。当然、王家に関する内情を知っているはずだ。
つまり、ジョシュアは、私を未亡人だと思っている。現実的に考えて、アンリが生存している可能性は限りなく低い。
ジョシュアは優しく微笑み、私との距離を少しだけ縮めた。
「アンリ王子と、エーリカ様と、お二人のお嬢さんの、今と今後について」
端的にまとめられた、ジョシュアの言葉。それだけで私は、彼がどんな話をするつもりなのか、理解した。
ジョシュアが、どんなふうに私を口説くつもりなのか、理解していた。
それなのに、私は拒まなかった。
彼に誘われるまま、大広間の窓際に足を運んだ。
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