第一話

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ

第一話

 ここは魔法王国ユトミス。  ザリング大陸に存在している王家の内の一つである。ザリング大陸に点在する王家は、それぞれが個々の魔術形態を受け継ぎ、脈々と子孫へ述べ伝えてきた歴史を持っている。  そして、このユトミス王国は『水』にまつわる魔法を扱う事で繁栄を続けてきた。  ユトミスには、代々受け継がれてきた水の魔術形態と、更にもう一つ。古い予言の言葉があった。  ◇  清き水の脈より 呪いの子が生まれる。  その子、国を滅ぼし、水を汚す。  その子、殺すば絶え、生かすば衰え。  その子、冷めた眼、書を愛で、檻を嫌う人。 【欠落により解読不能】 救いの子が生まれる。  その子、地を祓い、水を清める。  その子、慕うは救われ、敬うは栄え。  その子、熱き瞳、剣を愛で、民を好む人。  ◆  何百年に渡り、幾度となくこの予言の来訪の時期と具体的な内容とが歴史書士や年代史家の間で取りざたされてきた。  しかし、今から十数年前。  この議論に終止符が打たれた。  ユトミスに、その呪いの子と思しき一人の男子子が現れたのである。  その男子子は、名をサンドラと言った。  サンドラはまだ乳飲み子の頃に突如として、現ユトミス王が今は亡き妃殿下と共に何処かより連れ帰ってきたのである。その出自について、二人は固く口を閉ざすばかりで、大臣たちでさえも言及することは出来なかった。  何故サンドラが呪いの子とされたのか。それはサンドラが火の魔法の素質を持っていたからである。水の魔法術式を重んじてきたユトミスにとって、その反対属性である火の魔法を扱う者は忌避されるべき対象であったのだ。  ◆  その後、妃殿下は姫を出産した。その出産に際しても王は信頼のおける数名以外の立ち合いを許さず、その公表さえも姫の誕生から数年隠し通していた。  さらに妃殿下がその出産が原因で亡くなってしまうと、王は過保護という言葉が可愛く見える程に姫君を溺愛した。城の一角に専用の塔を建てると、そこに閉じ込めるかのようにして姫を住まわせた。その姫の住まう部屋の入口は特別な魔法により隠されてしまい、いつしか城の者たちは姫の暮らす塔の部屋の事を『秘密の部屋』と呼ぶようになっていた。  一国の姫の元には複数の侍女を付けて日用の世話をさせるのが常であるが、ユトミス王はそれを許さず、あまつさえ男であるサンドラを姫の侍従としたのだった。これによりサンドラはユトミス王を除けば唯一の秘密の部屋への出入りが可能な者となった。  何故、男が姫君の侍従となるのか。  何故、呪いの子を姫君に近づけさせるのか。  何故、サンドラをここまで優遇するのか。  城の騎士や兵士の中には、妃を亡くしたショックで気が触れてしまったのではないかと噂する者さえ現れた。忠義に厚い者たちでさえ、それを強く否定できはしない。それほどまでにユトミス王の言動は常軌を逸していたのだった。  それでも政治に対して優秀な才と実績を持っていたユトミス王は、多少の反感を抱えつつも見事に国をまとめ上げていた。  そして、時は流れて二十年後。  サンドラと姫君は、それぞれが無事に成人を迎えるほどに成長していた。  ◇  そして訪れた、ある日のユトミスの王宮。  その日の城はいつもの日常と異なり、がやがやと人の声や物音が絶えぬ一日となっていた。年に一度の新兵の入隊式を待たずに、ユトミス王が緊急の軍略会議を催したのだ。  大臣を始め、名だたる騎士や諸侯貴族が城に集い、当然その家来従者までもが同行することによって城の中はごったがいしていた。  集まった面々は、広間に入って挨拶などを躱しながら会議が始まるまでの時間を過ごしていた。  その時、俄かにざわめきが起こった。  広間にユトミスの姫である、ウォーテリアが現れたからだった。  成人した事を機にユトミス王の過保護具合が少し弱まり、こうして公の場に顔を見せることも多くなった。騎士や貴族たちは我先にと姫に挨拶をしようと歩み寄ってきた。この二十年の歳月の間にウォーテリアは容姿端麗になり、ある意味においてはユトミス王よりも人望を集める存在になっていたのである。  その一方で、極めて冷ややかな目を向ける者も少なからずいた。無論、その視線はウォーテリアに向けられたものではない。ウォーテリアが広間に入ってくるときに傍らにいたサンドラに向けられたものだった。  美しく着飾る姫に対し、サンドラは灰色のローブを深く被り、姫のお傍どころか王宮にいることすら似合わない程にみすぼらしい。  二人の関係性は成人した後も続いている。相変わらずサンドラは姫の日々の世話を行い、未だに秘密の部屋への入り口を知る唯一の存在だった。呪いの子とというレッテルに加え、見目麗しい姫の傍らにいることのできる彼は、国の男性諸氏から謂れのない恨み嫉みを買っていたのだ。  だが当のサンドラはそのような視線はまるで意に介していない。 「それでは、ウォーテリア様。後程お迎えに上がります」 「分かりました」  サンドラは恭しく頭を下げて、扉の向こうへと消えていった。 「さて、今の内に城の見回りを済ませておくとするか」  扉の閉まる音が廊下に響いたところで、サンドラは頭を上げそう言った。  くるり、と踵を返すといつもと同じように、王宮をあちこち歩き始めたのだった。  ◆  見廻りのため中庭にやってきたサンドラは渡り廊下に近づき、何かを確認するようにしゃがみこんだ。その時、頭上からバケツをひっくり返したような水が降り注ぎ、サンドラを濡鼠に変えてしまった。  パタパタとローブから芝生に落ちる水滴を眺めたあと、サンドラは徐に上を見た。  すると、そこには魔法陣を光らせた短剣をこちらに向ける一人の古参騎士、ルプルレガナの姿があった。濡れて額に張り付いた前髪を拭いながら立ち上がると、庭と渡り廊下に然程段差がないこともあってから更に三人の顔が見えた。いずれもルプルレガナと同じくサンドラが来る前からユトミスに仕える騎士たちがいたが、一人だけ見慣れぬ若人もいた。 「おお、これはこれはサンドラ殿」 「失礼を致しました。曲者かと思いましてな、つい攻撃を」 「とは言え、この由緒正しき城の中で外套をがぶってうろついていては、そう誤解されても仕方ありますまい」 「丁度いい具合に拭くものを持ち合わせておりました。どうぞ、これをお使いください」  そう言ってカラカラに乾いた古い雑巾を投げつけてきた。サンドラがただただ立ち尽くしていると、満足げに笑い、会議の行われる部屋へと向かって去って行った。するとただ一人、若輩の騎士が何が何だか分からないという風な顔で後を追いかけ、古参騎士に尋ねた。 「叔父上。あの者は一体…?」 「ん? キテイス、お前は初めて見たか」 「はあ…見たところ兵卒でも騎士でも貴族でもありませぬ。が、仮にも城の中にいる者…あのような扱いをしてよろしいのですか?」 「構わぬ。むしろ足りぬくらいだ。お前も聞いたことくらいはあろう。『呪われた子』の言い伝えを」 「確か、数百年前の王宮付きの神官が予言したという、あの?」 「そうだ」 「まさか…今のが!?」 「そのまさかだ。全く以って忌々しい。言い伝えではこの国に匿おうが、はたまた追い出そうが破滅を呼ぶという。つまり、アレが生きている限り真の意味での平和は訪れんのだ。次にあれを見た時は、お前も遠慮せずに魔法でもぶつけてやるが良い。風邪でもこじらせてくたばってしまえばこの国を救った英雄になるかも知れんぞ」  ルプルレガナは既に姿の見えないサンドラを更に嘲笑い、会議が行われる大広間の方へ消えていった。  すると、廊下の反対側から入れ替わりでサンドラの前に現れた別の数人組があった。 「馬鹿だねぇ。こんな日にほつき歩いてりゃ、いやでも目につくに決まってるだろ」 「余計な仕事を増やさないでくれよ、サンドラ」  そう声をかけてきたのは王族直属の近衛騎士たちであった。嘲笑う素振りも見せなければ、かと言って心配して声をかけたという訳でもない。王宮に常駐している彼らにとって、陰で嫌がらせを受けるサンドラの姿などは、既に日常茶飯事の出来事なのだ。  だが普段なら無視をして通り過ぎるというのに、虫の居所が悪かったのか、わざわざちょっかいをかけようと短剣に魔法陣を浮かべる者がいた。気付いた者も別に止める様子も見せず、気怠そうなあくびをして成り行きを見ている。  ところが、魔法が発動する前に、地を這うように低く、それでいて威圧感のある声が全員の耳に届いた。 「何をしておる」  見れば彼らがやってきた方向から、近衛騎士たちを統括しているリィユツ・ヴァイウが歩いてくる所だった。彼はこの国における、軍事組織のトップに収まる最高責任者である。こと戦争に関する事であれば、ユトミス王よりも強い発言権を持つ。 「そ、総隊長殿…!」  リィユツはちらりと見ただけで、状況を全て飲み込んだ。  そして先ほどよりかは幾らか丸くなった声でサンドラに問いかけた。 「サンドラ、仕事は終わったのか?」  サンドラは声は出さず、首を横に振って答えとした。 「ならば、さっさと済ましてしまえ。急に姫様の都合が悪くなるかもわからん。侍従の職務が滞らぬように細心の注意を払えよ」  そう言われたサンドラは深々と一礼して節目にある階段から渡り廊下を通って、向こう側の中庭へと抜けていった。 「総隊長、奴はいつも何をしているのでしょう?」 「…さあな。それよりも急ぐぞ。まもなく会議が始まる」 「「はっ!!!」」  去り際にリィユツはサンドラの背中に意味深げな視線を送った。尤も一団の最後尾にいた彼の視線に気が付いた者は誰一人としていなかった。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!