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しばらく思案していた刑事は、“ここだけの話だよ”と私に念押しすると、後ろで調書を採っている若手に目配せをして“威圧”という名の了承を取った後、小声で話し始めた。
取り調べを受けている主人は、山瀬と愛人関係にあったことと、最近山瀬がそっけなくなって以降、もう一度よりを戻そうと少し強めの行動をとってしまったことは認めているが、山瀬を殺めたことに関してだけは、頑に否認しているようだ。
当日のアリバイも主張しているが、ソロでデイキャンプをしていた場所が管理人や他のキャンパーのいる正規のキャンプ場ではなく、いつものように勝手に入ったキャンプ場ではない山の中で一人でデイキャンプをしているので、アリバイを証明できるものが何一つない。
朝早く山へ向かう道路上のNシステムに主人の車が映っていることは確認されたらしいが、犯行時刻と離れ過ぎている。しかも帰り道はいつものようにのんびりと農道や旧道を通って帰ってきたため、そもそもNシステムには映ってないので、全くアリバイの証明にはならなかったらしい。
主人が山に行く時用に数年前に買った中古の軽オフロード車には、購入費を抑えるために、そもそもカーナビもETCもつけてない。これは、ある意味主人の自業自得。
行き先を私にとやかく言われたくないというやましい気持ちのせいで付けてなかったのが、今回災いした。
血のついたサバイバルナイフからは主人の指紋が検出され、ナイフについた血も山瀬のものと確認されている。
また“犯行現場”である主人の書斎とそこに置かれたベッドの周辺からも、普段そこで寝ている主人の体毛以外にも、山瀬の体毛も多数発見されている。
状況証拠的には、間違いなくクロだ。
「ご主人さん、“山瀬さんをこの家にあげたことは一度もない”って言ってんだけどさあ、ベッドの周りに山瀬の毛がたくさん落ちてんだから、言い逃れできねえよなあ。
ウソつくのはこっちにも心証悪いし」
「そうなんですね…」
少し気の緩んだ刑事の軽口に対して私が消え入りそうな声で相槌を打つと、刑事は申し訳なさそうにしつつも、理性を感じられない返答をよこした。
「ああ、奥さんにとっては聞きたくねえ話までしちまったな。
ご主人と奥さんがいつも愛し合っているベッドの上で、同時進行でご主人は他の女も抱いてたなんて、知りたくなかったよな。すまんな」
「同時進行だなんて…。
私と主人はもうとっくに冷え切っていたので…」
「そうなのかい?
こりゃ失礼。
でもおかしいなぁ、ベッドの周り、奥さんの体毛もそれなりの量が落ちてたらしいんだけどな」
「ああ、あの部屋には私も掃除や洗濯物の整理とかでしょっちゅう出入りしてますから、その時に落ちたのかな…」
「ま、そりゃそうか…。奥さんの家でもあるんだもんな。まあ必ずしもハダカにならないと毛が落ちない訳じゃねーしな。
ほら、“なんでこんところにこんな毛が…”って、よくあるでしょ」
刑事はそういって笑うと、突然、“今日はおしまい”と言って、一人で取調室のドアに向かって歩を進めた。
私も慌てて立ち上がり、後を追って部屋を出るしかなかった。
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「あの刑事ヤバいなあ…」
帰りのタクシーの中で、私は思わず独り言を呟いていた。
それはもちろん、あの刑事の失礼な態度を、指してのものではあるが、実は、自分に向けての感想でもある。
“あの刑事、なにか気づいてる?”
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