うさぎの願い

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うさぎの願い

 場所は、西新宿8丁目。  旧青梅街道、小瀧橋通り、職安通りから繋がる新道で囲まれた巨大三角地のような土地である。  地下鉄の駅新設に関わる区画整理で新しいビルが建ち、青梅街道の景色も様変わりしたが、裏路地に入り込めばまだ、古い昭和時代のアパートや住宅がひしめき合っている。  ほぼ無人とさえ思われるほどの、6世帯しか入らない古いアパートの前には、パトカーのサイレンが眩しいほどに夜空に赤い光を放っていた。   「お疲れさん」 「課長、お疲れ様です」  静馬は靴カバーを履き、手袋を嵌めて現場となった二階の北側の角部屋に立ち入った。  凄まじいゴミ、食べかす、汚物が放つ腐臭に加え、刑事ならすぐに『ある』と分かる異臭が充満していた。  ゴミ袋の束を跨ぐようにして玄関から上がると左手にキッチン、右手の壁沿いにトイレ、バスルームと並んでいる。しかし、キッチンの流しの中はカップ麺やら弁当やらの食べ残しがそのままの状態で容器ごと放り出されており、ダイニングであろう空間も、ゴミが散乱していた。  居住スペースである六畳間も、ビール缶や安酎ハイの空き缶やらが散乱し、およそまともな生活を送っているとは思えない汚れ様である。そして、奥には、部屋には不釣り合いな程に大きなゲージが置かれていた。 「酷いな」 「ええ、制服警官が来た時は鍵が開いたままで、ドアの隙間から異臭がプンプン漂ったそうです。で、迷いなく中に入った、と」  すうっと通った鼻筋を袖口で抑え、アーモンド型の、長いまつ毛に覆われた目尻にシワを寄せる様にして顔を顰める静馬を、電話の主である加川悠太(かがわゆうた)が解説を交えながら招き入れた。 「こっちです」  言われるがままにバスルームのドアを開けた時、静馬は、グッと唇を噛んだ。現場はここだ。  既に運び出された後だが、その(・・)臭いは風呂場の石けんにさえ染み付いているほどに強烈に残っていた。 「ここのバスタブから、ビニール袋に入った御遺体が3体、出ました。司法解剖しなくては判別できない状態のものばかりでした」  予断を挟まず、悠太は淡々と報告した。  「他の部屋の住人は」 「このアパートは無人です。この部屋しか人は住んでいません」 「不法占拠か。付近と花園近辺のローラーは始めてくれたか」 「はい。課長が花園で出会った人着の子は、今のところ……」 「そうか……そろそろ莉子と児相が着く頃だろう。ここ、ちょっと頼むぞ」  静馬は現場の捜索を悠太に任せ、部屋を出た。  アパートの前に停まった覆面パトカーから、少年係の係長である佐々木莉子が、児相のスタッフと思しき女性を促して降りてきた。  莉子は35歳にして二児のママであり、係長としてこの辺りの少年犯罪に日々奔走している。小柄だが、意志の強そうなキリッとした目にはいつも闘志が宿っている様なタイプだ。 「お疲れ様です。課長、児相の横山さんです」 「市川です。横山さん、ちょっとお話を」  180センチの静馬が腰を屈めて優しく笑いかけると、横山と紹介された40代と思しき小柄な女性スタッフが顔を赤らめた。 「流石は伝説の女形」  静馬の背後で莉子が囁いた。 「よせよ……横山さん、この家の親は観察対象になっています? ウチのリストには入ってませんけど」  女性スタッフは顔をしかめてアパートを見上げた。 「ノーマークでした。以前も、私達がコンタクトを取ろうとすると、子供だけを置いて次の部屋へ移ってしまうケースがありました。大抵が、大家さんが亡くなって空きアパートになっていたりと、人の手が入っていない場所です」 「調べます」  莉子は静馬にそう断ると、すぐに部下を数人連れてどこかへ駆けて行った。 「御遺体の赤ちゃん、多分妊婦健診すら受けていないと思います。下手をしたら、市川さんが出会った子供も、無戸籍で出生届も出ていないのではないでしょうか」 「誰も知らない子、か……」  煌々と光る月を見上げて無常を呟いていると、悠太が部屋のドアから顔を出して静馬を大声で呼んだ。 「出ました、薬物反応です! 」  静馬は再び、飛ぶ様に階段を駆け上って部屋に駆け込んでいった。
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