魔法の絵の具。

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「ごちそうさま……おいしかった!」 「それは良かったねぇ」 「すごい……これがあれば、描いたものは何でも出せるの?」 「ああ。ただし、今やった通り、描いたものがそのまま形になるからね。お絵描きが上手にならないと、使いこなせないかもしれないよ」 「なら、たくさん練習する! あのね、お母さんが絵の先生なの。すっごく上手で……だから、教えてもらうことにする!」  家の中にお絵描き専用の部屋があるくらい、わたしのお母さんは絵が上手。  お母さんの絵をいつも見ているから、自分の下手くそな絵は恥ずかしくて。それをお母さんに見られたくなくて、お絵描きが嫌いになっていたけれど。きっと、頼めば教えてくれるはずだ。  もうしばらくしたら妹が生まれるから、そうしたら三人でお絵描きして遊ぶのもいい。妹には、お姉ちゃんとしてお手本となるような、上手な絵を見せてあげよう。  この魔法の絵の具でおもちゃを出してあげたら、喜んでくれるだろうか。赤ちゃんでも食べられるおやつを描けるようにならなくては。  想像する内に、嫌いだったお絵描きが、段々楽しみになってくる。 「そうかい……それなら、きっと上手な絵を描けるようになるね。この絵の具は、お嬢ちゃんに譲ろう」 「ありがとう……!」 「ただし、一つだけ覚えておくんだよ。絵の具は絵の具。水に濡れたりしたら伸びてしまって、絵が崩れてしまうからね」 「……崩れたら、どうなるの?」 「形を保てずダメになるのさ。さっきのドーナッツみたいに、食べるものなら口の中やお腹の中で崩れても問題ないけどね……形のあるものを作ろうと思ったら、ちゃんと気を付けるんだよ」 「うん、わかった!」 「くれぐれも気を付けて。楽しくお絵描きするんだよ」  おばあさんの忠告を受けて、わたしは絵の具セットを大切に抱き締める。秘密の魔法を手にしたドキドキでいっぱいだった。  けれど、おばあさんに何度も手を振って不思議なお店を後にすると、人混みの中で不意に思い出す。  そういえば、いつの間にかお母さんとはぐれてしまっていたのだ。 「どうしよう! 怒ってるかな……」  束の間のわくわくもどこかへ行ってしまい、今さらになって、不安で一杯になってきた。  絵の具セットの紐をしっかり握り締めて、お腹の大きなお母さんの姿を探して走り回る。  わたしはもうすぐ、お姉ちゃんになるのだ。しっかりしないといけない。迷子になって泣いたりしない。  そう自分に言い聞かせて、溢れそうになる涙を必死に堪える。 「絵美香……!?」 「……お母さん!」 「もう、どこに行ってたの、心配したのよ!」  不意にわたしを呼ぶお母さんの声がして、振り返ると同時に抱き締められる。  そのぬくもりに安心して、一生懸命堪えていた涙がぼろぼろと溢れて、頬を伝った。 「お母さん……おかぁさん……!」 「……やだ絵美香、泣いてるの?」  ぐちゃぐちゃの顔を見られたくなくて、わたしは慌てて首を振る。  けれどお母さんにはお見通しで、引き剥がされて顔を見られてしまった。 「ああ……やっぱり、崩れちゃったのね」 「……え?」 「もう。お姉ちゃんなんだから泣かないようにって、言ったのに」 「あれ? ねえ、お母さん……何これ。変なの、なんだか、目が見えにくい……それに、顔が……」 「涙で濡れて、顔が崩れちゃったのよ」 「え……、え?」 「仕方ないか。帰ったらシャワーを浴びましょうね」 「……でも……絵美香はシャワーはダメって……」 「いいの。大丈夫よ。……この子が生まれてくるギリギリまで、子育ての練習をしたいもの。また一から描き直すわ」 「……お母さん?」  訳がわからない内にお母さんの帽子を目深に被せられて、ほとんど見えない中、わたしは手を引かれながら歩く。 「ねえ絵美香、今度はもう少しお姉さんになってみようか! そうしたら、泣いて崩れたりしないだろうし!」  不安と混乱でいっぱいなわたしと違って、声から伝わるお母さんの楽しそうな様子は、さっきまでどんな絵を描こうかと想像していたわたしと似ていた。 「ふふ……でもまあ、多少濡れてもいいか。……安心してね。何度だって、素敵な絵美香を描いてあげるから」 「……、うん……」  お母さんが安心してと言うのなら、きっと大丈夫なんだろう。お母さんがわたしの絵を描いてくれるなんて、楽しみだ。  そういえば、前に一度だけ入ったお母さんのお絵描き部屋の絵の具にも、『おんなのこ』なんて不思議なチューブがあったな、なんて、お母さんと繋ぐ反対の手で絵の具セットが揺れる音を聞きながら、ぼんやりと思い出した。
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