第3話 姉ちゃん、誰?

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第3話 姉ちゃん、誰?

 手を繋いだまま帰ることにはならず、信号が青になると我に返ったかのように、貴史の手はするっと離れた。 「ごめん。なんか混乱した」と、珍しく2語喋った。言い訳は珍しい。でも顔色ひとつ変わらなかった。  電車の中では終始無言で、僕ら、男女になっても空気みたいな関係なのかぁと、へぇ、と変なところで感心。今までもそうだったから、不思議はない。  駅ではまたしてもチャリを出してくれて、「コイツ、行き帰り、毎日これやってんのか?」と思うとちょっと不憫になる。  こんなことしてるくらいなら、彼女作れや。  僕なんか空気並みに腐れ縁なだけで、そのやさしさは別の女の子に使えばいいのに。  さゆりんなんか、そんなにやさしくされたら言いふらして歩くぞ、きっと。  やさしさの無駄遣い、か。  まぁ、らしいと言えばアイツらしい。責任感強いからなぁ。  ◇ 「おう、帰ってきたん?」  姉ちゃんはまるで朝の続きのような顔をして僕を迎えた。  少なくとも、女子になった僕に違和感はこれっぽっちもないらしい。  露出度の高いルームウェアも、僕が男の時と変わらない。デリカシーってものがまるでない。  朝と同じソーダバーを、また齧っていた。 「姉ちゃん、さぁ」 「大学は休講」 「それは聞いてないよ。そうじゃなくてさ」  ん? と少し、真顔になり、こっちを見た。  姉ちゃんが正気なことはあまりないので、怯む。 「姉ちゃんさ、なんかいろいろ⋯⋯」 「おう」 「いろいろ⋯⋯なんかさ、変なんだけど。って、伝わらないよなぁ、ごめん、なんでもないよ」  シャキッと冷たい音がして、姉ちゃんは咥えていたアイスバーの最後の一口を食べた。  残されたバーをじっと点検して表情を変えずに「当たり」と言った。バーを乱暴に投げてよこす。 「外れてるじゃん!」 「そういうことじゃないよ。それはゴミ箱に捨ててよ。とりあえずアンタ、着替え、ひとりでできなくない?」  げ! 確かにそれは無理かも。  ん?  なんかおかしくない? 「姉ちゃんさ、今、思いついたんだけどさ、おかしくない?」 「何が?」 「なんで姉ちゃんだけ、僕を女の子じゃないみたいに扱うんだよ?」  姉ちゃんは僕の、貴史に直してもらったネクタイを、シュッと一気に引っ張った。勢いよくネクタイは飛ぶ。 「ベストと靴下くらいは自分で脱ぎなよ。ブラウスから先は手伝ってやるから」 「いや、そういうことじゃなくて」 「まぁ、鈍いアンタでも流されないか」  ふぅ、と姉ちゃんは僕のベッドに腰掛けた。  ブルーのチェック柄だったはずのシーツは、ピンクのチェック柄になっている。  神様が本当にいて、何かわからない理由で僕は死んで(?)、女になって生まれ変わった。  として⋯⋯この姉はおかしくないか?  しかも僕に姉がいたという記憶がない!  ⋯⋯僕はそのことに思い当たり、ぺたりと床に座り込んだ。 「バレたら仕方ないね。神様がさ、アンタに悪いことしたからわたしに助けてやれって。まぁ、一応、身分は天使。下っ端だけどね」  足を組んだ姿勢で、『下っ端』のところを苦々しい顔をして、姉ちゃんはそう言った。  なるほど、とは思えなかった。天使がいることも信じられなかったし、自分が女の子になっちゃったのは夢ではないらしい。  受け入れられなくてフツウだろ!!! 「何アンタ、わたしの言うことが信じらんないの?」 「フツウにおかしい」 「頭固いなぁ。確かに不慮の死はさぁ、神様の手違いだから受け入れるの難しいとは思うよ、わたしだって。  でもこうなっちゃったんだもん。仕方ないじゃん。神様的には男のままにしてやりたかったらしいんだけど、なんだか難しいホニャララで性別、変わったんだわ。  まぁ、女子ってものは教えてやるから安心しな」  すげー説得力ないんですが。  こんな姉に女の子らしさを教えてもらうのは怖いだろう? 正しい知識がホントに教えられるんか? 「おっぱい、とりあえず自分で揉んだ?」 「揉まねーよ!」  前途多難⋯⋯。  でもこの身体と付き合っていかなくちゃいけないわけかぁ。思ってたのと全然違うんだが。初めから、つまり生まれたところから始まるもんだとばかり思ってたよ。とほほ。  ◇  姉ちゃんにとりあえず、着替えを手伝ってもらう。朝とは違って、よくわからん女子の作法について教わる。  ブラウスの下にはタンクトップかキャミソール着用。体育のある日は体操服でも良し。  ネクタイの巻き方は流行りがあるから、友だちのを見て、わかんなかったら「上手な結び方、教えて~」と頼む。大体、教えてくれる。  スカート丈も友だちに合わせればOK。所属するグループによっては、校門出たらウエストの部分をまくって短くする。多分、さゆりんたちはこのタイプだ。  それから、短いスカート履くなら、体操服のパンツか、今朝、姉ちゃんが出てきた短いスパッツみたいなの、着用。  ほえ~。  着る、学校行く、じゃダメなのか。難しいだろ、いろいろと。 「トイレとか疑問は?」 「⋯⋯あー。仕方がないから行っちゃったよ」  顔が赤くなるのは仕方あるまい。まじまじと見たりしなかったけど、あるべきものは姿を消し、見ちゃいけなかったものに姿を変えて。 「まぁ、この歳ならHィ動画のひとつやふたつ見てるだろうから、そんなに抵抗ないっしょ」 「ないわけない!」  あらそう? 姉ちゃんは洗濯に出す物と出さない物の選別を始めた。手慣れてる。まぁ、そうか。天使とは言え、女子なんだな。 「言うまでもないけど、全部、アンタが生まれた時から女の子だったって設定になってるから。そこんとこ、安心していいよ」 「なんも安心なんてないよ!」  神様はもう少し、丁寧な天使を送るっていうのはできなかったのか? この姉ちゃん、雑すぎるんだが。 「天国には帰んないよ。この世を満喫するんだから」  この世の何を満喫するのかは聞かなかった。知りたくもないわ!  ◇  姉ちゃんと同じようなパーカーにショートパンツのルームウェアに着せ替えされて、とりあえず自由時間だと部屋に閉じ込められる。  姉ちゃんからのありがたーいアドバイスは「慣れな」だった! いちいち癇に障る!  ベッドでごろごろスマホでマンガを読む。  SNSは、自分の知らない自分の過去がそこにあるのかと思うと、見るのはちょっと怖かった。  まだ見てない。  マンガは素晴らしい文化で、好きなマンガを自分の好みで読める。⋯⋯ちなみに履歴にあったのは『彼氏まで15センチ』とか『このわたしが悪役令嬢なら偽物聖女を懲らしめてあげます!』なんて謎マンガがズラっと並んでた。とりあえず、見なかったことにした。  と、LINEの通知が入って、女子友だったらどうしようと思いながらメッセージを見る。  貴史からだ。  珍しい。  マメとは言い難いタイプで、リアルと変わらず愛想も良くない。 『ノート持ってきた。お前、世界史寝てただろう? コピーするのにコンビニにいるから』  から? 来いってことか?  んー、こういうの今までとパターン違う気がして、違和感覚える。  大体、今まではテスト寸前にまとめて⋯⋯だったよな?  あ、何、着てったらいいんだ? 「姉ちゃ〜ん!」 「ちょっと待ってよ! リンクが死ぬ!」 「姉ちゃん、僕の世話係デショ!?」  ポーンとゲームを放り投げて、明らかに機嫌悪そうにこっちを向いた。よく見たら、あれ、僕のSwitchじゃん! パクりかよ! 「何よ! やっとギミック解けそうだったのに」 「これ、どうしたらいい?」 「見せてみなさいよ!」  眉間にシワを寄せて姉ちゃんは僕のスマホのディスプレイをじっと見た。  それで指を出すと「了解」の女の子のスタンプを押した。あの、『いつでも使えるかわいいスタンプ』系。一生縁がないなと思ってたヤツ!  にっこり微笑むイラストの女の子の周りに、四つ葉のクローバー。げ。 「勝手に返事しないでよ」 「だって行くでしょ? 既読無視はダメでしょ」 「⋯⋯まぁ、そうだけど。とりあえずさぁ、何、着たらいいのか教えてくれよ」  姉ちゃんはじーっと、ジト目で僕を見た。 「わかった、ゼルダやっていいよ! 姉ちゃんにはこれから世話になるんだし、ゲームならスマホにもあるしさ」 「わかってんならいいのよ。じゃ、手持ちの服を見るか」  ふふふ~ん、とか鼻唄うたいながら、部屋を移動する。クローゼットをバーンと開けて、ポイポイと服を投げる。 「まだ明るいからこれでいいんじゃん? アンタ、背が低いから似合うよ、きっと! じゃ!」  あ、と呼び止める間もなく、ゼルダの世界に帰って行った⋯⋯。  ベッドの上にバラバラな服。半袖のかぶるタイプのピンクのパーカー。それから⋯⋯なんだよこれ、ショートパンツかよ?  女子のショートパンツ、ヤバい。太もも見えたらどうすんだよ?  姉ちゃんの部屋からは気持ちよくゲーム音楽が流れてる。邪魔したら多分、酷い目に遭う。  ⋯⋯仕方ない。  僕は着ていたピンクのルームウェアを脱いで、デニムのショートパンツを履いた。
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