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第11話 傘に隠れて、キス
――ああ、青が目に染みる。
秀と話してみたら、学校から駅までの路線がまったく違うことがわかって、僕たちは毎朝、駅で待ち合わせすることになった。
心配性な秀は、僕に最初のプレゼントだと言って、日傘をくれた。濃紺の傘の縁周りには、白い糸で上品な刺繍が施されている。プリントじゃない、本物の刺繍。
こんな物を自分が持つことになるなんて、思ってもみなかった。
女子ってマジ大変。
UVと戦い続けなきゃいけないんだからさ。
姉ちゃんは僕にUVを防げる、新しいアイテムを与えた。知らんけど、それはコンパクトに入ったパウダーだった。
汗も吸い取り、美肌成分を含む優れものらしい。
美肌成分ってなんだ?
塗れば美肌になるなら、随分便利なアイテムだ。
◇
「純ちゃん、おはよう」
うッ、今度はその爽やかさが目に染みる。夏空より爽やかなお前の存在はなんだ? 前が見えなく⋯⋯。
「前髪、切った?」
「目ざといな。少しね。目に入るようになっちゃったから」
ふぅん、と一緒に歩き出す。雨でもないのに、僕たちは相合傘だ。もらった時に、持つのが大変だしと断ったら「ボクが持つよ」とサラッと言った。
そういうところがモテるんだよ。
自覚、持て。
――今まで付き合った女の子の傘も持ってあげたのかなぁ。
「雨の日はね。日傘は初めて。あげたのも純ちゃんが初めてだよ」
しまった! 心の声がダダ漏れ! これじゃあまるで、昔の女が気になるみたいじゃないか?
気にならないよ! 僕は男なんだし、そんなこと気にする必要もない。そうだろう?
「安心して。これからは純ちゃんにしかやさしくしない」
僕は櫻井の顔を見た。
茶色い瞳、色素の薄い、染めてるわけじゃない天然の日に透けるやわらかい髪。
ああ、女子だったら――。
女子だったらなんだって言うんだ?
日傘が何故か前に傾く。
やっぱり持ってるの大変なんじゃないかと思って、僕より大分、背の高いその顔を見上げる。
「傘持つよ」と言おうとして⋯⋯頬にキスされた。
通学路の真ん中で!!!
「ごめん、なんだかすごくかわいく見えて、理性のブレーキ、壊れたみたい。でも、まだ唇にはしてないから許して」
目尻がやさしく垂れて、それでなんか騙されるんだ。ムカムカしつつ、仕方ないなぁと思う。
もう! いつもそうなんだからって、いや、そういうんじゃないから、決して。
「ごめんね、耳まで赤くしちゃって」
「⋯⋯バカ。こういうの慣れてないって言ってるじゃないか」
秀は傘を持ち替えて、僕の汗ばんだ手を握った。
初めてのことじゃない。
でもなんだか心臓はすごいことになって、更に悪いことに、指が絡まった。
『恋人繋ぎ』ってヤツ。
⋯⋯女の子としたこともない。人生初体験だ。
◇
「すっごい噂! もうすっごい訊かれるもん。純ちゃんと櫻井は本気で付き合ってるのかって」
朝からさゆりんは血圧が高い。こんなに暑い日に血圧上がったら、倒れるんじゃないかと思ったくらい。
「本気も何も、見てれば事実は明白」
真佑はいつも通り冷静に、スマホの画面を見ながらそう言った。解けない面があって、このアプリももう終わりかも、と昨日は沈んでた。
そこで芽依ちゃんが、いつもの順番で口を開いた。
「純ちゃん、櫻井と付き合ってて大丈夫? あの人、きっと純ちゃんの思ってるような人じゃないよ」
どうして芽依ちゃんは秀に当たりが強いのか、わからなかった。芽依ちゃんは中学の時の秀を知ってる。ついでに言えば、僕が知り合う前の秀も知ってる。訳を知りたくなる。
「ねぇ、なんで芽依ちゃんはそんなに秀のこと、気にするの?」
普段からおとなしい芽依ちゃんは、僕の目を見て、そして視線を逸らした。何を考えてるのか、それだけじゃわからない。
「芽依さ、何を知ってるのかわからないけど、はっきり純ちゃんに教えてあげたら? ぼかして言ったって、何もわかんないよ。純ちゃんに別れてほしいなら尚更じゃん?」
進行役、さゆりんが話を促してくれる。
芽依ちゃんは、唇を噛み締めた。
そして意を決したのか、僕の目を真っ直ぐ見た。
「あのね、中学の頃、わたしの友だちが櫻井のことを好きで、告白して付き合ったんだけど⋯⋯櫻井が他の女の子にもやさしいのを気にして言ったんだって。『じゃあ、仕方ないから別れよう』って」
よくあることじゃん、と面クリアできなかったらしい真佑がスマホを置いて、呟いた。
「そうかな、酷くない? もっと他にあるんじゃないかな? わたしは櫻井を酷いと思ったし、それに」
「それくらいなら許してあげたら? 芽依ちゃんがいつまでも抱えて、苦しむことないよ」
さゆりんがそう言うと、芽依ちゃんは自分の左手首を見せた。
「友だちなんて嘘。本当はわたしが付き合ってたの。わたしは秀治くんのことが信じられなくて、疑って、別れることになっちゃって⋯⋯リスカしたの。心配してほしくて」
しーん、となった。
このメンバーでこういうのは初めてで、誰かが「ハッピーアイスクリーム!」という局面じゃないのは確かだった。
芽依ちゃんは泣いてたし、話は重かった。
「そんなの忘れなよ。たまたま合わなかったんだよ。芽依ちゃんにはもっといい男がいるよ」
さゆりんの気を利かせようとした言葉は、ぽっかり宙に浮いた。それじゃ、何も変わらなかった。
「あのさ、こんなこと言いたくないけど、純ちゃんは芽依ちゃんのことを傷つけたくて櫻井と付き合い始めたわけじゃないし、そもそも向こうから告ってきたわけじゃない? 芽依がそれ、言う必要ある?」
「そんな言い方しなくたって」
「純は黙ってな」
「振ったのにリスカして結果が良くなるなんて、そんなのないことわかっててやったんでしょう? それをここで話してさ、純が芽依を『かわいそう』、櫻井を『酷い男』だと思わせて別れさせたいってことなの?」
真佑が言ったのはキツいことで、僕はもう、こんなのはたくさんだと思った。
僕が降りて、それでみんなの日常が元に戻るならそれでいい。
だって僕は元々、ここに存在しなかったんだし。
⋯⋯秀の顔、急に浮かんだ。
今朝の、傘の中。
ちょっと照れくさそうに笑った。
消しゴムで簡単に消せそうにない。
「ごめん。芽依ちゃんが秀のことで辛い目にあったのはよーくわかった。それに、秀にそういう一面がきっとあることも。だけどさ、まだ秀の知らないところ、たくさんあるし、僕はそこを見てみたいと思ってる。だから」
「ヒュー、純ちゃんがそこまで言うと思わなかった! 恋って偉大だね。
はいはい、もういいでしょう? 女の友情がどんなに薄くたって、わたしたちはまだ友だちだよ。ほら、手を出して」
さゆりんはうちの天使よりずっと有能だ。
男だった僕が、さゆりんに気を惹かれたのは間違いじゃなかった。だって、こんなに素敵なんだから。
彼女は僕の手と、芽依ちゃんの手をそれぞれ持って、僕たちに握手をさせた。
「はい、仲直り。この話はここで終わり! 個別の相談は受け付けるよ~」
真佑も納得、という顔でスマホをまた持ち上げた。リベンジするのかもしれない。
⋯⋯芽依ちゃんは、涙を拭って教室を飛び出した。
誰も追いかけなかった。
さゆりんが「ひとりになるって大切なことだよ」と言ったから。大人だなァ。
◇
「来ないかと思った」
秀は屋上のドアの横に背中を預けて、昼寝モードだったらしい。うんと、背伸びした。
「秀こそ、迎えに来なかったじゃん」
「来てほしかった?」
僕は考えた。自分の気持ち。
「いつもと違うのは嫌かな」
その両手は用意されていたようにさっと伸びて、僕を抱きしめた。お日様の匂いがする。空の、匂い。
「話したいこと、ある? 訊かれたらなんでも答えるよ」
「話したいこと⋯⋯。そうだな、今までに何人くらいに告られたの?」
「うーん。中高で8人くらい?」
「8人!?」
その数には男の僕も、女の僕も吹っ飛んだ。
「有り得ないでしょう」
「告ってこない子もいるよ。でも視線でわかるじゃん。自惚れかもしれないけど。でも数は関係ないよ、関係あるのは自分から告ったのは純ちゃんだけだってこと。そこが大事でしょう?」
「あんなの、偶然じゃん。僕のこと、最初から好きだったわけじゃないくせに」
秀は僕をギューッと抱きしめた。
背中が日差しを浴びて、暑い。
「まさか純ちゃんの口からそんな言葉が出るとは思わなかったなァ。すごーくうれしい! もう1回、聞きたい。言ってよ」
「絶対言わない! 何しても言わないから」
「じゃあボクは言うよ。恥ずかしくてきっとまた赤くなるから覚悟してね。――ボクは付き合い始めてから、どんどん純ちゃんを好きになってる。現在進行形で。ボクも実は付き合うまで純ちゃんのこと、よく知らなかったんだけど、不思議だよね。
てっきり東堂と付き合ってるのかと思ってたし」
やめれ、と言っても僕は秀の腕の中で、汗臭かったらどうしよう、なんて、今までに思ったことのないことを考えてた。
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