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第12話 足りない成分、持て余す成分
あ、と思うと貴史が自転車を駅でしまってるところだった。
相変わらず、大きな自転車を軽々と動かして。
物事はそんなに上手く進むわけじゃなくて、僕と貴史はまず、登校が別々になり、それから学校に着いても少しずつ、挨拶をするだけの仲になっていった。
授業中、横目で見ても、いつものように丁寧に小さな文字を連ねているらしく、こっちを見ない。
なんだかなァ。
首周りが暑くなってきて、今朝、姉ちゃんにひとつに結ばれた。
「ハーフアップか? いやいや、ここはやはりうなじだね」と訳のわからんことを言って。
変な感じ。似合うのか、わからん。
担任の気まぐれで席替えがあって、僕はさゆりんと隣同士になった。
「前はさ、純ちゃんだけ島流しみたいだったから、皆と近くなって良かったよね~」
そうだね~と流す。さゆりんは別グループの女子と席を替わってもらってた。貴史みたいに。
思えば、僕のために席を替えるなんて。
皆はどう思ってたんだろう?
僕は貴史と一緒にいることに慣れすぎてて、その時は何にも思わなかった。
でも女子の隣にわざわざ座るなんて、尋常じゃないよなァ。
あの、無愛想な顔の下で何を考えてるのかわからない。僕を一番大切だと言ったあの口。
女子になった僕に言ったんだとしたら、僕の受け止め方は変わる。それがいい変化なのか、わからないけど。
◇
「席替えしたの? ドアから覗いたらいなかったからビックリした」
「あ、そうだね。LINEでもすればよかったかな?」
「直接、言いに来てくれてもいいんだけど」
秀は意地の悪い顔でにこにこした。コイツ、わかってるくせに。
「大丈夫、ボクたち、公認だよ。知らない人はほとんどいないんじゃない?」
「⋯⋯かもねぇ。だって秀がさ、人目を引くでしょ」
「そんなことないよ、純ちゃんだって小さくてかわいいことでいい線⋯⋯痛ッ」
僕はグーパンをその端正な横顔にキメた。
「小さい言うな」
痛い、痛いと頬を擦りながら、秀の目は笑っていた。
食生活と家事スキルを改善すべく、弁当をふたりで分担して作ることにした。なかなか斬新なアイデアだ。
秀の昼飯があまりに貧相で、酷い時は飲むゼリーひとつ。とは言え、自分のための弁当なんか作ろうと思ったことのない僕は、他のまめまめしい女子のように、コイツの胃袋を掴むことはできない。
あーだこーだ話して、秀はさらっとそう言った。
分担は、秀が主食で、僕がおかず。
と言ってもいきなり上達はしないものだから、ずいぶん雑い。
小さいタッパにウインナーとミートボール、表面の焦げた面積が大きい卵焼き。毎日が格闘だ。
「緑がないよぉ」と後ろから、姉ちゃんが覗いてくる。「うるさいな!」と言いながら、確かに秀の栄養が不安になる。
何しろ、ひょろっとしてる。
今日は秀はピーナツバターサンドを持ってきた。
食パンにピーナツバターを塗ったヤツ。
しかもパンは6枚切りで、重ねたそれは分厚い。
「ごめん、反省してる。米買うの、忘れてた」
「自分で買うの?」
「⋯⋯4枚切りより良かったでしょ」
秀は僕の作ったケチャップでベトベトの、ウインナーを口に放り込んだ。口の周りにケチャップがついてる。
「ランチバッグには保冷剤と濡れたおしぼり!」
厳しい姉の指導のお陰で、こういう時、助かる。天使だけあって、変な知識はちゃんとある。
濡れティッシュをシュッと取り出して、口の端を拭う。「子供じゃあるまいし」。秀は何故かまだ不貞腐れてて「ウインナーって、味付けなくても美味しいと思うよ」と言った。
ずーっとそう思ってたのかと思うとムカムカして「じゃあ母ちゃんに作ってもらえ」と憤慨する。
ああ、スッキリした、晴れ晴れしい気持ちになる。一応、がんばってるわけだからさ。緑のことも考えてるし。
「あー、ボク、実は父子家庭」
僕はゴソゴソ、使った濡れティッシュを始末していて、言われたことがすんなり頭に入ってこなかった。
「え?」
脇を抑えていたヘアピンをどこかで落としてしまい、右側の髪だけがほつれて顔にかかる。
「母親は子供の時に出て行ったから、よく知らない。最初からいないようなものだから、気にしなくていいよ」
秀の横顔をじっと見てしまって、それは不自然だよと思い、ウインナーをフォークで刺す。
確かにケチャップと油でギトギトだ。帰ったら姉ちゃんに相談しよう。
「なんか、空気壊してごめん」
「訊いたのは僕の方だし。――あのさ、大変だったら僕が全部作るよ。うちはお米、切れてることないし。僕が寝る前に炊飯器の予約さえ忘れなければ」
秀は僕の持っていたウインナーをパクッと食べた。ひとり2本て決めてたから、秀の分はこれで終わり。
と言っても、ピーナツバターサンドだけでも結構な量だけど。
「別に話すのはいいんだ。だけどそれで相手が悲しそうな顔するのが嫌なんだ」
時々、秀はすごく子供みたいな顔をする。不貞腐れた横顔。
傷つけた、と思っても、フォローができない。
困ったな。するり、と長い腕が僕をさらって、気が付けばいつも通り、もう腕の中。
「だからボクは女の子を摂取したいのかもしれない」
「⋯⋯本音が出たな。やっぱり僕じゃなくてもいいんじゃないか」
「冗談だって、わかってるくせに――」
唇だった。
僕たちは屋上の青い空の下、初めてのキスをした。秀は初めてじゃなかったんだろうけど、触れるだけの紳士的なキスだった。
⋯⋯男とキスするなんて、考えたこともなかったな。
でも、秀に不足してる緑成分を摂取させるように、不足してる僕が持て余してる女子成分を、持って行けるなら持って行っていいよ。
どうせ余ってるんだし。
空の色が薄くなってきたな、と秋めいてきた空を見上げて秀は言った。
まるでそれじゃダメなんだと言うように。
◇
「うなじ。うなじ効果だね!」
帰ってきたらいろいろ教わろうと思ってたのに、全部忘れた。
ひとの顔を見てすぐ、それか。
やっぱりお前なんか堕天使に降格だ。
「別にうなじなんて、なんの意味もなかったよ」
褒められもしなかったし。
ただ、屋上を出る時、秀は器用に僕の髪を結び直して「良し」と言った。満足そうで、鬱陶しいから切りたいとは言えなかった。
「まぁ、わたしとしては、なんでもいいから純にハッピーになってほしいわけよ。いいねぇ、これはいい流れ♪」
「⋯⋯適当だなァ。そんなことのために、うちに居座ってるわけ?」
「なによォ、助かってるって言ってもいいんだよ? 素直じゃないなぁ、純は。そんなんだから、大切なものもさァ」
宿題のプリントをしてた僕は、天使の方を見た。この天使、何か大切なことを言ってる気がする。
「あー、大切なものをね、見失う時があるじゃん、ほら。『恋は盲目』って言うし」
大して実りのある話じゃなくて、振り向いたことを損したと思った。
『恋は盲目』。
そもそも恋ってなんだ?
誰かを欲しくなること、真佑ならそう言いそう。
好きになったら恋だよ、さゆりんはそう言うだろう。
芽依ちゃんは⋯⋯わからない。二度としたくないと言うかもしれない。
その件に関して、僕は特に大切なことと思ってなかった。
確かに秀は誰にでもやさしかった。あざとく、秀の前に何かを落とした子がいても、目に見えて明らかなのにそれを拾ってあげた。
まったくもやもやしないわけじゃなかったけど、目くじらを立てることはない。
それは僕が元は男だったせいかもしれない。女の子にはやさしくする、基本だ。
なんかペラペラ喋ってる天使は、大学が面白くて仕方ないらしい。
サークルに入って(!)、帰りが遅いこともしばしばだ。
その天使を蹴飛ばして、部屋から追い出す。まったく「それでねー」ばかり聞いていられない。
◇
邪魔者は追い出して、そろそろいつものLINEが来る頃。
――秀は独りでいるのかと思うと、僕の方が息苦しいのはなんでだろう?
そうだ、明日の弁当のおかずを考えとかないとなァ。検索しようとして、スマホを持ち上げる。
あ、もう通知来てる。
待たせたかなァ?
『元気か? 俺は毎日、張合いがないな。毎日一緒にいたのに、全然話もしないってのは結構、思ってたより違和感』
貴史だった。
貴史のアイコンは、東堂家の番犬、かわいいビーグルのピョン太だ。僕の姿を見ると、近寄ってきてピョンピョン跳ねる。
貴史はピョン太を愛してる。
『席が遠くなったから、なかなか話す機会がないからな』
『それもあるけど。なぁ』
なぁ。呼びかけのところでメッセージが止まる。
続きを待つ。
言葉にするのが苦手なタイプだから、いつもこんな感じだ。
『なぁ、朝、駅までだけでもまた一緒に通わないか?』
そのことに意味があるのかわからなかった。
自転車で駅まで、10分ほどの道のりを走るだけ。口をきくような、時間があるわけじゃない。
『やっぱり浮気になるか?』
すぐに返事をしなかった僕に、そうメッセージは送られてきた。
浮気?
考えてみたこともなかった。僕の方が浮気するなんて。
秀がもし浮気をしたら、僕はすぐにでも秀を自由にしてやろうと、そう決めていた。もっと、女の子らしい、女の子成分の高い子に。
それは秀のことで、僕の場合じゃなかった。
『いや、別に幼馴染だってことははっきりしてるわけだし』
『幼馴染なんて、何の意味もないよ』
『そうかな? 他のヤロウとは違うってことくらい、アイツだってわかるよ』
『それならいいんだ。別にお前たちの仲を悪くしたい訳じゃないからさ』
ピロリン♪という音がして、別のメッセージが届いたことを告げる。
貴史におやすみを言う。なんだかグダグダだな。
慌てて新しいメッセージを開く。
『純ちゃん、おやすみ。スイートな夢を』
コイツ、マジで恋愛バカ!!
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