第5話 心外

1/1
前へ
/31ページ
次へ

第5話 心外

 また自転車。  何も言わないで、僕の自転車を盗まれない、いい感じの場所に置いてくれる。こういうのは慣れないといけないのかもしれない。そう考えた。  貴史は男で、僕は今、女だから。  自転車をしまうと当たり前のようにSuicaを手に改札を通る。  少し急ぐ。  歩幅は男の時でも貴史のスライドが大きかったから、今は追いつくのは一苦労だ。今の僕は、小さい女子だ。  Suicaを出すのにちょっと手間取ると、もう小走り。 「純」  不意に立ち止まって振り向くと、僕が追いつくのを貴史は待っていた。じゃあ最初から気を使えよと思うけど、今までも、男だった時でもそうだったし、姉ちゃんは自然な流れが大切だと言っていた。 「スカート丈、良し」 「はぁ?」 「昨日、約束したから」 「アレって約束になる?」 「しつこい。約束は約束だ。よしよし」  バカにしてんのか、よりによって幼稚園児にするように、貴史は頭を撫でた。 「子供扱いすんなよ!」 「ほら、電車来る」  貴史は腕を横に上げて、黄色い線ギリギリのところに立っていた僕を下がらせようとした。  なんつーか。⋯⋯気が利く?  女子慣れしてない僕は、そういう貴史のジェントルな行動にすぐに慣れるのは難しかった。  そう、恥ずかしい。  自分が『弱い生き物』って思われてるのが、多分、恥ずかしいんだ。  電車は丁度僕たちの並んでいたところでドアを開き、押し込むように並んでた人たちが一斉に乗り込んだ。 「大丈夫か?」と訊かれる。電車は混んでる。やっぱり恥ずかしい。これ以上恥ずかしい思いはしたくないと思いながら「大丈夫」と答えた。  電車はいつも通り揺れて、早く2駅、過ぎないかなと気持ちが急いた。  ガタンと線路の繋ぎ目で大きく揺れる度、ふたりの身体がやや触れる。その度に「うわっ!」となる。  ◇ 「東堂くんはやっぱ普段からやさしい?」  さゆりんは好奇心でいっぱいの目で僕を見た。 「は? フツウにやさしいんじゃない?」 「またまたぁ!」 「なんでそんなこと聞くんだよー」  真佑が眼鏡の向こう、どこに焦点が合ってるのかわからない、どの強い分厚いレンズの向こうからボソッと言う。 「東堂くんは優良物件。みんなが欲しがってるから、でしょ」  さゆりんまで口を開いたまま、時が止まった。  僕の口もバカみたいに「え」の形で止まる。  ······モテるのは知ってたけど、「欲しがってる」って、露骨。 「いつまでも自分の隣にいるのが当たり前と思ってたら、それは間違いでしょう? 何の努力もしないで手に入るものほど価値のないものはない」  真佑は素知らぬ顔でスマホに目を戻した。どうやらスリーマッチングゲームが得意らしい。  気持ちよく、パネルが連鎖して消える。  ドミノ倒しみたいに。或いはカメラのフラッシュが点滅する時のように。  芽依ちゃんが取り繕うように「『もの』は失礼よねー」と、いかにもお嬢な感じの発言をした。  場の空気は変わらず、昼休みは終わる。  ◇  帰ろうと席を立つと、貴史も同じタイミングで席を立つ。隣同士だし、息は合わせやすい。  でもそれは機械的で、マニュアルに決められた通りの動作のようで、なんか違うんだよなぁ。  僕たちはもっとフラットだったはずなのに、そこには意識の違いみたいなものがあるように思う。 『優良物件』。  真佑の言葉を思い出す。そうかも。  努力しないで手に入るもの、確かにそうかも。  でも真佑の言ってたのとは意味が違う。  僕たちはいつかそれぞれソロになって、それぞれ好きな相手を優先するようになる。  僕には中学の時、ちょっとだけ付き合った子がいた。もちろん女の子だ。背の高さが同じくらいで、よくみんなにからかわれた。 『付き合う』ってことがよくわからなくて別れたけど、あの時、あの子は「東堂くんとわたしとどっちが大事?」と不思議なことを言った。  女の子ってわからないなぁ、そんなの明らかじゃないか、と別れ文句の書かれたスマホの画面をじっと見た。  入道雲の底が仄暗い。  雨が降るかもしれない。  ◇ 「よ、一緒に帰ろうぜ!」  僕たちの友だちだった鏑木(かぶらぎ)が後ろから軽快に走ってきた。  いつものことだ。 「おう」と答えると、貴史は渋い顔をして何も言わない。無口なのはいつものことなので、気にしない。 「東堂は愛想ってものを知らないよなぁ。ね、もそう思うでしょ?」 「え゛!?」  きもッ! 鳥肌立つから。 「鏑木、ウザ絡みすんな」  脳が硬直する僕に代わって、貴史がそう言った。 「なんだよー。まだなんにもしてないだろう?」 「これからするのかよ」 「なんでそんなに今日は怖いんだよー。純ちゃんからも何か言ってよ」  僕は懇願する鏑木に向かって、垂直に立てた右掌を見せた。 「⋯⋯あのさ、呼び捨てにして」 「え!? いいの!? マジ? 東堂だけの特権かと思ってた!」 「マジだよ、鏑木」  鏑木は目を点にして、僕を見て、貴史を見た。 「え? 俺も呼び捨て? なんか特別感高いなぁ。なんならさ、下の名前⋯⋯痛ッ」  貴史はあろうことかグーで鏑木の頭をゴツンとやった。 「狡いだろう、お前だけ純ちゃん、独り占め」 「狡くない。純のことは俺がずっと見てきたんだから」  その台詞には、いつも通り、何の感情も感じられなかった。ただ、貴史は僕と鏑木を置いてすたすたと昇降口の方へ歩いて行く。 「待って」  言葉は届かない。なんなんだよ。怒ってるのかよ。  ⋯⋯独り占め。  そう言えば昨日、姉ちゃんが同じようなこと、言ってたなぁ。『束縛系』? 違うだろう。そういうのは付き合ってる時に使う言葉で、友だち同士ではあんまり使わないと⋯⋯。 「大変だなぁ、純ちゃんも。アイツ、気持ち読むの難しいしなぁ。ま、悪いヤツじゃないことは保証するよ! 一途だし!」  ぽん、と肩を叩かれる。  鏑木は元々、ちょっと軽い。あんまり物事を深く考えないヤツだ。 「そういうんじゃないよ。今まで通り、変わらない友だちだよ、鏑木も」  ポスッと軽く、鏑木の腹を殴る。へへへ、と笑って「それはキツいな、アイツもヘソを曲げるはずだ」と言った。  ◇  駅までの道のりも、電車の中でも、貴史は何も言わなかった。呆れるくらい。 「お前ってホント、頑固だよな」と僕は、自転車を出してもらいながら言った。  僕の自転車のスタンドを下ろして貴史は「頑固?」とようやく一言発した。 「何が気に入らなかったのかわかんないけど、口きかないってのは子供っぽいんじゃないか?」  貴史は僕の方を見ると「お前こそ、自分のしたこと、考えてみろよ」と少し気持ちの入った声を出した。 「僕が何したって?」 「お前さぁ、俺の男友だちと友だちになるのはいいけど⋯⋯なんでもない。悪かった」 「おい、鏑木とのこと、怒ってんの? なんで? 俺だって友だちだろう?」 「俺の友だちだ。お前はクラスメイトかもしれないけど、一緒につるんでるわけじゃないし」 「何だよそれ? 僕の友だち関係に何で口出すんだよ? お前がなんて言っても、鏑木は友だちだ。アイツ、僕が困ってる時に助けてくれたこともあるし、悪いヤツじゃない」  それを聞いた貴史は自分の自転車のスタンドを跳ね上げて「心外」と一言いうと、サーッと呼び止める暇もなく、先に行ってしまった。  先に⋯⋯。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加