2人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ
「僕、高林って言います…」
少年は自己紹介をした。
そして、何で話しかけのか、その理由を述べた。
「…何で、いつもあの噴水、見つめているんですか?」
「…な、何でって、て」
やはり男の声には奇妙な吃りがあった。『吃音症』というやつかもしれない。高林少年はそれを知っていた。
男はそう尋ねられて、自分が初めて噴水を長く見つめていた事に気が付いた。
理由などない。
ただどうしようもならない現実を悲観したり、上向いたら、通りかかったあそこをただ何となく眺めていただけである。
それをこんな20才以上年下の高校生に話しても、仕方ない。
「あの女性は、知り合いですか?」
「じ、女性? し、知り合い、い?」
男は知らなかった。自身の隣にいつも似たような雰囲気の女性がいたことを。
高林に指摘され、初めて気付いた。
(…そう言えば、さっき?)
噴水前から歩き出した際、ぶつかりそうな若い女がいた。彼女の事か。もちろん知らない。
男は改めて、その女性を知らない事を述べ、「鈴木」と名前を名乗った。
そして、「び、病気で、ね。少し口がふ、不自由なな、んだ」と言った。
鈴木は十年ほど前に脳の手術をして、それから言葉が不自由だった。前の工場で他の社員らにバカにされていたのは、このもどかしい言葉のせいかもしれなかった。
だが、それは鈴木の一方的な見解だ。
そして、鈴木の言葉に時折「え?」と聞き返す高林に、その理由を話して置くべきだと思っていた。
「…そうなんすか?」
高林には同情と憐憫の念が見えた。
(…ま、そうなるよな?)と鈴木は思った。この十年、彼が幾度となくみたリアクションだ。
鈴木の症状や病歴を語ると、皆一様にそうした態度を見せる。そして、離れていく。関わろうとしない。
可哀想。大変そう。ご苦労してますね。
皆、そう言いながら、鈴木を避けた。
そして、結局は小馬鹿にした。
鈴木は改めて高林に自身の状況を話した。別に面白い話ではない。だが、同情の色を見せたら、高林が自分から離れると思ったからだ。
同情は“免罪符”だ。
「可哀想」だが「何もしてあげられません」となる。だから同情する。それで自分を満足させている。
『こちらには入って来ないで欲しい』と遠回しに言っているのだ。
そして、1度でも加わったら、差別し、もう“コキ使い”、最後には『嫌なら出ていけ』となる。
それを嫌がったり、反抗すれば、途端に“排除”に動く。
『お前は甘い』と罵る。
殴りたくなる衝動を何度も堪え、耐えに耐えていたのか、先月までの鈴木だった。
それを繰り返し味わってきた鈴木は、高林というこの高校生も同じだと思っていた。
「お、俺、し、仕事ある、か、から…」
「え? 仕事?」
「あ、あー、ひ、日雇いだ、だよ。近くのハンバーグの有名なレストランで、で、皿洗いの、の日雇い、仕事、と…」
「え!」
「今、そ、それで、な、何とかし、凌いでんだよ、よ…」
鈴木は鈍く笑った。
驚いた顔の高林がもう話しかけて来ないと確信したからだ。
だが、高林の驚きは違っていた。
鈴木の言っていた『ハンバーグの有名なレストラン』は店こそ違うが高林も皿洗いのバイトをしていたからだ。
まさか、二人に共通項があるとは思わなかった。
高林は足早に立ち去ろうとしていた鈴木を呼び止め、携帯電話の番号をきいた。
鈴木はかなり戸惑いながら、教えてくれた。「は、話すこと、な、なんて、な、ないと思うけ、けどさー」と何故か尋ねられた鈴木の方が言った。
一週間後、少年はスマホを得た。
未成年には保護者の同意が必要だが、それはケアワーカーが受け持ってくれた。
安い物だったが、少年は嬉しかった。
生活保護費や、祖母の介護認定、そして介護施設への移動は順調そうだった。
問題は父親の行方だが、ケアワーカーは幾度か連絡を付けているらしい。
しかし、父親は自宅には現れない。口実を付けて“逃げている”ようだった。
しかし、少年はどうとも思わなかった。
父が姿を見せなくなって、もう数年間。そんな感じであり、たまに来ては少ないお金を渡したり、逆に持っていったりするだけだった。
まるで“風”のような父親だった。
少年はそれよりも、もうすぐ始まる独り暮らしを想像していた。
掛け持ちしていたバイトは一つだけ辞めた。居酒屋の方だけである。レストランの皿洗いは週に2日ほどだが、まだ出勤していた。
あの鈴木という口の不自由な男性が、違う系列店で働いているからだった。
最初のコメントを投稿しよう!