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第二話
「お、ノクスお帰り~」
ノクスが寮の部屋に戻ると、左目に黒い皮の眼帯をした大男が主人の帰りを待っていた犬のように笑顔で駆け寄ってくる。
褐色の肌に少し癖のある伸ばしっぱなしのダークブラウンの髪、ノクスよりも10㎝以上背の高い、犬というより熊のような男だがこういうところが可愛いなと思ってしまうから恋とは厄介なものだ。
「……ただいま、リカルド」
ノクスがときめく気持ちを抑え込み、クールに答える。
4年間片思いした恋人は元から少し垂れ気味の目じりを更に下げてノクスを抱きしめ唇を寄せてくる。
また、これだ。ただいまのキス。
ノクスは未だにこれに慣れなかった。
両親ともほとんど挨拶のキスをしたことがないので出かける度、帰る度に行われるこの儀式が気恥ずかしい。
しかし拒否するのも気が引けて、ぎゅっと目をつぶってその時を待つ。
チュッと軽いリップ音を立てて触れるだけのキスをすると、リカルドが笑いながらノクスの頬を両手で挟んで顔を覗き込んでくる。
「何、まだ緊張してんの?もう1か月くらい経つのに、なかなか慣れねえなあ」
「しょうがないだろう……今までこういう習慣がなかったんだから……」
頬をはさまれているせいでしゃべりにくく、唇もとがっていてさぞ今の自分は不細工だろうとノクスが不機嫌になる。
ナルシストではないつもりだが、好きな男にはできるだけベストな状態の自分を見て欲しい。
「まあ、ゆっくり慣れていけばいいさ。照れてるのも可愛いしな」
「……いちいち可愛いとか言うな。恥ずかしいやつめ」
にやにやと笑うリカルドの手を無理やり剥がすと、ノクスは自分のスペースへと向かう。
独身寮の二人部屋は8畳程の部屋を衝立で2つに区切っただけの空間で、プライバシーというものはほとんどない。
部屋着に着替えようと備え付けの小さなクローゼットを開ける。
「ホントの事なんだからしょうがないだろ~。それに言わないとお前には伝わらなさそうだしな」
そう言いながらリカルドはノクスのスペースについてくると我が物顔でベッドに腰掛け、服に手をかけた恋人を眺める。
「……おい、今から着替えるんだが」
「いいじゃん、恋人同士なんだし。今更恥ずかしがるなよ」
「親しき仲にも礼儀ありと言うだろう。デリカシーのないやつめ」
「あ~、それ。よく言われる」
ノクスがギロリとにらむとリカルドはヘラヘラと笑いながらベッドに寝そべる。
これはもう動く気はなさそうだなとノクスはあきらめ、シャツのボタンに指を掛ける。
もう裸まで見られているのだから今更ではあるのだが、未だにこの距離感に慣れない。
付き合いだす前は無断でパーソナルスペースに入ってくることはなかったし、人のベッドに無断で寝転がるなんてことはしなかったが、付き合いだしてからというもの遠慮がない。
恋人同士というのはこんな距離感が普通のなのだろうか?
初めての交際なので何が正解なのかノクスには全く分からなかった。
今までたくさん本は読んできたが、交際の手引書は読んだことがないし、アドバイスをくれる友人もいなかった。
視線を感じつつ手早く着替えを済ませると、ベッドに寝転がるリカルドを仁王立ちで見下ろす。
「おい、そこは私のベッドだ。寝るなら自分のベッドで寝ろ」
するとリカルドが寝そべったままノクスに向かって手を伸ばしてくる。
起き上がる気になったのかと思ってその手をつかむとグイっと引かれベッドに倒れこむ。
「おい、何を……んぅ」
文句を言おうとしたところで唇を塞がれる。
今度のキスは先ほどの触れ合うだけのものとは違い、リカルドの舌がノクスの唇を割り、そのまま口内に侵入する。
上顎を舐められながら態勢を入れ替えられて、気がついたらノクスはリカルドに組み敷かれていた。
口の中をリカルドの舌が生き物のように優しく這いずりまわる。
最初、潔癖症の気があるノクスは口内に自分以外の物が侵入することに抵抗があった。
しかしこの舌に口中を撫でられ、口の中にも性感帯があることを教え込まれてから、ノクスはリカルドとのキスに夢中になっていた。
酸欠と気持ちよさにノクスの頭が霞がかってくると、口内を隅々まで蹂躙して満足したのかリカルドは唇を離し、最後に仕上げとばかりにノクスの唇をペロリと舐める。
ハッと正気を取り戻したノクスは頬を真っ赤に染めて、唾液で濡れた唇を手で拭う。
「いきなり何をする!」
「ん?恋人のキスだけど?」
「いきなりするな!驚くだろうが!」
「ええ~?なに?いちいちキスする前に『これからキスします』って言わないとだめなのか?」
「それが礼儀というものだろう。こっちにも心構えというか……その、都合がある」
「いやいや。こういうのは勢いと言うか……パッションだろ!」
「パッション……?」
「したいと思ったらする!それがパッションだ!」
そう言ってリカルドはもう一度ノクスの唇にキスをすると、そのまま首筋、鎖骨とキスを落とし、着替えたばかりのノクスのシャツのボタンを外していく。
この流れはまずい……!
慌ててノクスがリカルドの手をつかむ。
「おい、今日はやらないぞ!」
「ええ~。なんで?」
不満そうにリカルドが口をとがらせる。21歳にもなる大の大人が子供みたいで、ちょっと可愛くてノクスはつい絆されそうになる。
しかしここで甘い顔を見せたらリカルドの思うツボだ。
「……昨日したばかりだろ」
「でも、今すげえしたい。だめ?」
「駄目だ」
「どうしても?」
「駄目だ」
「お願いします!」
「駄目!」
土下座しそうな勢いのリカルドだったが、頑なに拒否するノクスに諦めたのか、はあと大きなため息をつき俯く。
諦めてくれたのかとホッとしつつも、もしかしたらあきれられてしまったのではないかとノクスの胸に一瞬不安がよぎる。
暫くしてリカルドが顔を上げると真面目な顔でノクスを見つめてくる。
普段馬鹿みたいにヘラヘラしてるくせに、こうしていると結構男前でノクスのドキリと胸がときめく。
南のエスタツィオーネと東のザラの混血だと聞いたが、ザラ人特有のエキゾチックな雰囲気がすごくセクシーだ。
それに深い森のような深緑の眼差しには有無を言わせない迫力がある。
「ノクス」
「な、なんだ………」
「お前を抱きたい。嫌か?」
「……」
「嫌か?」
「………………風呂に入った後、ちょっとだけなら……」
視線に根負けしてノクスが小声で答えると、リカルド先ほどまでの色気は消え去り、子供のように破顔する。
「やった!よし!じゃあ一緒に入ろうぜ!つっても俺はさっき入ったから2回目だけど」
「絶対に嫌だ!」
「ええ~」
「おとなしく待てないならやらないぞ!」
「う~~~ん……うーん……、分かった…」
リカルドは渋々納得するとノクスの上から体を退ける。
その様子がまるでマテをされている犬のようで、やはり犬みたいな男だなとノクスは心の中で微笑む。
ベッドから降りるとキャビネットからリネンと愛用の石鹸、クローゼットから替えの下着を取り出す。
「行ってらっしゃい~!」
ベッドの上で寝ころんだままリカルドが満面の笑みで手を振り見送る。
ノクスは何か負けた気がして悔し気に舌打ちをすると、重い足取りで1階にある浴場へと向かった。
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