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前編
なにかに思いつめてしまったときに、心の拠り所は必要だ。人でも、場所でも、なんでもいい。それがあればブレて倒れそうな心の芯は、ほんの僅か傾いても支えていられる。支え合っていられる。
俺は理想を求めてフラリと立ち寄ったコンビニで運命の出会いを果たす。ああ、彼じゃなきゃダメだと思った。
三ヶ月前に彼がいるコンビニを見つけてから、とても上機嫌でいることが多い。深夜のコンビニは案外物静かで、場所にもよるが俺にとってはアイデアに行き詰まったときの憩いの空間だった。深夜二時過ぎ。いつも決まった時間に向かうと彼は煌びやかなオーラを身に纏い、いつも笑顔でカウンターに佇んでいる。彼こそが理想の相手だった。ここでいう理想とは、絵のモデルとしてということなのだが、それにしても恰好いいと思ったのだ。
俺は三ヶ月かけてやっと勇気を出して彼に声をかけてみることにした。
「あの……君、モデルとか興味ない?」
「はい?」
「ずっと前から気になっててさ……そ、その、絵のモデルなんだけど……」
美津島蒼は辿々しく話しながら、両耳に銀色のリングピアスをした茶髪の青年に連絡先が記された名刺を手渡した。
「あー……絵のモデルねえ……」
「俺、こう見えて画家やってるんだ。興味あればそこに連絡してくれると嬉しいなあ……」
彼は俺の名刺をじっと眺めながら、なにか考えごとをしていた。顔を上げて俺の顔を見つめる。なんて言われるのか一瞬緊張の糸が張り詰めた。
「やろっかなあ……」
「え?」
「やってもいいっすよ、モデル。俺でよければ」
「本当に!?」
彼の返事の裏にはなにかあるのではないか、と一瞬耳を疑ったのだが、内心とても嬉しい。俺としてはこのまま家に連れて行きたい気持ちに狩られるのだが、舞い上がってはダメだ。「なにを考えているんだよ、このバカ」と自分を罵ってやりたい。
「それじゃ、俺のアトリエの場所送っとくね」
「了解っす」
彼とすんなり連絡先まで交換できてしまった。
なんで今日はこんなについているんだ。理想通りにことが運びすぎている気がしてならない。嬉しいけど。
「あなたの顔、いつもこの時間になると見てたんで、なんか頼みごとでもあるんじゃないかって思ってました」
「そ、そうだったんだ。なんか嬉しいな。ありがと」
彼の名前は柿島藍汰。名前を知って益々気に入った。
——素敵な名前だなあ。藍と書いて“らん〟と読むなんて。
スマートフォンを眺めながら、コンビニから立ち去る。
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