キャンプをしたいだけなのに 2

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 25  紗奈子が叫ぶ。  私も叫ぶ。  白鳥も叫んでいた。  白鳥は全力で坂を駆け上がる。すごい速度だ。対して紗奈子はこれでもかとアクセルを踏み込む。スポーツカーのエンジンがうなり声を上げる。  秒読みでもするかのように、白鳥の背中が迫ってくる。  そこで、白鳥が一か八か林に逃げ込もうとしたのだろう。大きく左に体を向けた。 「逃がすかあ!」  紗奈子はここぞとばかりにハンドルを左に切った。  そこから先は、私の目にスローモーションのように再生された。  まず、鈍い音とともに、白鳥の体が宙を舞った。  そして、急ハンドルに耐えかねたスポーツカーが地面を滑りながら、ゆっくりと横回転する。ヒビだらけのフロントガラスの先の世界が上下逆さまになる。そして、その先には林の木々が回転しながら迫っていた。  私は、反射的に紗奈子の座席に身を乗り出し、彼女のお腹に抱きついた。  次の瞬間、車は横回転しながら林に突っ込み、これまで経験したことがない衝撃が体を襲い、私の意識は途切れた。 「なっちゃん! なっちゃん!!」  顔を無遠慮にぺちぺち叩かれ、顔をしかめる。散々殴られた後なんだぞ。少しは配慮してくれ。  ゆっくりと目を開けると、紗奈子がのぞき込んでいた。まだ車の運転座席のようだ。頭の後ろでプシューと空気の抜ける音がする。見ると大きな白いクッションが風船のように縮んでいっていた。どうやらエアバックが無事作動してくれたらしい。  ドアを開け、二人でもつれ合うように外に転がり出る。  車は、ちょうど見事に一回転したようで、タイヤが地面に着いている正常な上下関係で停止していた。しかし、車体は悲惨だった。 車体の後ろはそれほどでもなく、ガソリンが漏れているような様子もない。何なら、まだエンジンがかかっているのか、お尻の排気口からはどす黒い煙が音を立てて排出されていた。ひどいのは前方だ。フロントガラスが完全に消し飛び、白鳥が乗っていたボンネットは握りつぶした折り紙の様だった。ケンくんの愛車は確実に廃車だな。ざまあみろ。  頭痛と吐き気を押さえながら、私は周りを見渡した。そして見つけた。  白鳥はアスファルトの車道に転がっていた。這いつくばって、林に逃げ込もうと必死に体を引きずっている。私はその前に立ち塞がり、黙って見下ろした。  白鳥も車に負けず劣らず悲惨だった。片手と片足があらぬ方向に曲がっている。  白鳥は荒い呼吸で私を見上げた。 「いいですか。僕は・・・・・・」  そこで白鳥が悲鳴を上げた。私が白鳥の両手を、恐らく折れている方の手も含めて引っ張ったからだ。 「さっちゃん、手伝って」  紗奈子が困惑した顔で近づいてくる。 「両足持ってくれる? 運びたいの」  白鳥が「ひっ」と悲鳴を上げる。  紗奈子は白鳥の曲がった足を見て、数秒躊躇したが、意を決したように両足をむんずと掴んで持ち上げた。  白鳥の悲鳴が山にこだまする。私はそれを無視して白鳥の体を運んだ。スポーツカーの後輪のすぐ後ろまで来ると、ドサリと白鳥の体を地面に落とす。それを見て、紗奈子も両足からぱっと手を放す。  白鳥が目一杯首を伸ばして、私を睨み付けて叫んだ。 「こんなことして、何の意味が・・・・・・」  私はその後頭部を両手で掴むと、白鳥の顔面をスポーツカーの排気口に押しつけた。  どす黒い煙の中に、白鳥の頭部が包み込まれる。  数秒の沈黙のあと、白鳥が狂ったように暴れ出した。ごほごほと咳き込みながら、折れた手足にもかまわず、のたうち回ろうとする。それを白鳥の背中に馬乗りになり、渾身の力で押さえつけた。  白鳥の両親を思った。彼らは自分の愛する息子に殺されそうになったとき、途中で気がついたのだろうか。一酸化炭素が充満するあの部屋で、薄れる意識の中、最後に何を思ったのだろうか。   白鳥が一層激しく咳き込む。私も否応なしに煙を吸い込む。肺が痛い。それでも、私は手の力をゆるめない。   白鳥にここに誘い込まれ、自殺に追いやられた人たちのことを思った。 きっと紗奈子のように、途中で抜けようとした人もいただろう。思い直した人もいただろう。やり直したい、やっぱりもう一度生きたいと願った人もいただろう。   白鳥が暴れる。押さえつける私の後ろに、紗奈子が泣きながら立っているのが目の端に移った。そして、その隣に立つ白いワンピースの少女の姿も。  それでも、私は手を放さなかった。   彼女のことを思った。とっておきの一張羅だという白いワンピースを着て死んだ少女のことを。 あの、暗い冷たい水中で、唯一の信じていた相手に裏切られて。 冷たかっただろう。怖かっただろう。痛かっただろう。苦しかっただろう。死にたくない、生きたいと叫びたかっただろう。 「あんたが、やったのよ」  もがき苦しむ白鳥を押さえ付けながら、私はつぶやいた。 「あんたが、やったの」  自らも咳き込みながらも、紗奈子に後ろから抱きつかれながらも、私は手を放さなかった。  あんたがやったのは、こういうことなの。  ねえ、わかってんの。  わかってんの。  紗奈子が叫び声を上げながら、私を力尽くで白鳥から引き離した。 私は地面に転がり、白鳥はその場に突っ伏す。白鳥も、私も、激しく咳き込む。肺が突き刺されるように痛み、血を吐くのではないかというほど喉が痛んだ。 それでも、紗奈子を振りほどき、白鳥に迫る。「もうやめて」と泣く紗奈子を無視して、白鳥の髪を掴む。こいつにはわからせなければならない。こいつには。 「・・・・・・・・・・・・い」  白鳥が咳き込みながらつぶやいた 「・・・・・・・・・・・・ない」  白鳥幸男は消え入るような声を絞り出した。 「・・・・・・死にたくないよお」  連続殺人犯、白鳥幸男は繰り返した。ボロボロと涙をこぼしながら。むせび泣きながら。 「死にたくない。死にたくない。死にたくないよおお」  私の両手の力が、すっと抜けた。  すとんとその場に座り込む。紗奈子が後ろから抱きついてくる。  白鳥は私から身を隠すように、車体の下に潜り込んでいった。それ以上進めないところまで進むと、そこで身を丸め、わんわんと泣き続けた。子どものように。  その姿を、白いワンピースの少女が、側に立ってじっと見つめ続けていた。  遠くからサイレンの音が響いてくる。  まだ遠いなあと思っていると、いつの間にか周りは警察官に囲まれていた。 警察官が何やら話しかけてくるが、意識が朦朧として何を言っているのかわからない。紗奈子がまるで私を守るかのようにぎゅっと抱きしめている。そんな中、警察の中から見知った顔が私に駆け寄ってくる。美音だ。  美音は泣きはらした顔で、私の顔を両手で掴み、「お姉ちゃん! お姉ちゃん大丈夫? お姉ちゃん!」と叫んでいた。  あんたの姉はあかりでしょうが。そう思って笑ったところで、私の意識は完全に途絶えた。
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