キャンプをしたいだけなのに 2

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 24 「暗い林を、明かりもなしにこんなに早く移動するなんて。すごいですね。どうやったんですか。なっちゃんさん」  白鳥は周りを見渡し、そしてまた私に向き直った。すぐ後ろにいる白いワンピースの彼女には気がつかない。  白鳥には見えないのだ。 「なにがなんでも私たちを殺すつもりなんだ」  そう言うと、白鳥は肩をすくめた。 「殺すなんて人聞きが悪いですね、旅立たせてあげるだけです」  白鳥はまたにやりと笑った。 「僕が救ってあげるんです。あなたも。紗奈子さんも」 「そう」  私は白鳥の背後を見る。彼女はもうこちらに向き直っていた。じっと白鳥を見ている。 「じゃあ、そうやって、絵美ちゃんも、あんたの親も、救ってあげたんだ」  白鳥の動きがピタリと止まった。 「あなた言ったわよね。『絵美ちゃんに次いで、両親も送り出した』って」  白鳥の顔から笑みが徐々にひいていく。 「そして、こうも言った。」 『僕の両親のように、最後まで生にしがみつこうとしてしまう人は、います。絵美ちゃんのように、自分一人では旅立てない人もいます。』 白鳥の笑みが完全に消えた。 「まるで、自殺を止められなかった、彼らが勝手に死んだ、みたいな感じで語ってたけど、言葉の端々に真実が出ちゃってんのよ。ふざけんじゃないわよ」 私はぎゅっと両の手を握りしめた。 「3人とも、あんたが殺したんでしょうが」    白鳥は答えない。 「そう。考えてみれば、あんたの両親が死んだタイミングがどうもおかしいわ。経営がどん底の、あんたの学生時代時に死ぬのならまだしも、息子が無事に就職して、立派に収入も得て、久しぶりに帰ってきたタイミングで自殺なんてする? あんたが両親を殺すために実家に帰ったのだと考えるとつじつまが合うわ。久しぶりに家族でロッジに泊まろうよなんて言えば、あんたの親は喜んでそうしたでしょうね。お酒でも勧めれば、うれしそうに飲んだでしょう。後は、両親が寝静まったタイミングで練炭に火を付けるだけ」 白鳥は、能面のような表情で私を見る。 「絵美ちゃんもそうなんでしょ」 白鳥の背後に立つ彼女は動かない。表情も変わらない。だが、彼女はじっと白鳥を見つめていた。 「あなたの中学時代の恋人、絵美ちゃんのことよ」 白鳥越しに、絵美の顔を見つめる。端正な幼い顔つきだった。月が出ているとはいえ、暗がりのはずだ。それでも彼女の顔は不思議とはっきり見えた。目の下の涙ぼくろまで、はっきり見える。そして、彼女のその頬に、赤黒いあざがあった。まるで、先が平べったい棒で思いっきり突かれたような。 さっきまで必死で使っていた先が片方折れたオールを思い出す。 「そっか。水中から浮かぼうとした絵美ちゃんを、あんた、オールで突いたんだ」  白鳥が目を見開く。  その目が、正解であることを語っていた。  あんな重い物で、恋人の顔を。 「わかるわよ。うざったくなったんでしょ。めんどくさくなったんでしょ」  私は、白鳥に語りかけながら、徹を思い出した。彼のメガネの奥に見えた、悲しそうな目を。 「自分がただでさえしんどいときも、自分より不幸な話なんてききたくないもんね」  なぜ、私は彼に優しく出来なかったんだろう。なぜ、一緒にいてあげられなかったんだろう。  徹はあんなにも、私に助けを求めていたのに。 「だからあんたは殺したんだ。あなたのことを心のよりどころにしてた、あなたに必死に助けを求めていた、まだ中学生の女の子を」  私は白鳥を睨み付けた。まるで過去の自分も同時に睨み付ける様に。 「あんたが殺したんだ!」  私の声が夜の山に響き渡る。   白鳥は、ゆっくりと日本刀を構えた。刀を頭の上に掲げ、上段に振りかぶる。白鳥の目は、私への殺意で染まっていた。  私も、負けじと白鳥をにらみ返す。 「なんでわかったか教えてあげようか? 後ろにいるからよ。絵美ちゃん。あなたのすぐ後ろ」  白鳥は動じない。私を見つめたまま、一分の隙もない構えで、じりじりと距離を詰めてくる。 「ショートカットがよく似合ってるわ。涙ぼくろが可愛い子ね」  白鳥の顔が驚きで固まる。反射的にであろう。一瞬、ほんの一瞬、白鳥は背後に視線を送った。  そのあるかないかの一瞬に、全てを賭けた。  私は体に残った力を一点集中させて、白鳥に向かって突進した。白鳥が即座に反応して、防御態勢に入る。  その白鳥を尻目に、私はその横を全速力ですり抜ける。  私が離脱に全振りしたことに気がついた白鳥が、驚くべき速度で体勢を変え、すれ違いざまに合わせて日本刀を振りかぶった。  切られる。  その瞬間、山中に甲高いクラクションの音が響き渡った。  白鳥がびくりと瞬間的に動きを止める。そこを私が走り抜ける。  抜けた。そう思った瞬間に、ぱんっと乾いた音が背後で響き、着込んでいたライフジャケットが背中で弾けた。中に詰まっていた発砲素材が散らばる。それを見て、振り向きざまに切り付けられたことを理解する。  私は足を止めなかった。走り続けられているということは、体はまだ繋がっているということだ。白鳥を見つめる絵美の隣をすり抜け、私は走り続けた。  一呼吸遅れて、白鳥が舌打ちし、私を追いかけて来るのがわかった。  だが、白鳥は日本刀を手に持っている。速度を出すには限界があるはず。  対して私も手負いで裸足である。逃げ続けるにも限界があるだろう。  クラクションは鳴り響き続けている。何度も、何度も鳴らされる。  どこから鳴っているんだ。  鳴り響くクラクションはどんどん大きくなっている。前方からか。  角を曲がったところで唐突に、目の前が明るく照らされた。進行方向にライトが点灯した赤いスポーツカーが見えた。無様にも左の後輪が溝にはまって大きく傾いている。その運転席のドアを開け、半分乗り込む形でクラクションを連打する赤い服の少女の姿が見えた。 「なっちゃん!」  紗奈子がドアから顔を出して私の名を叫ぶ。 「扉を閉めて!」  私も叫んだ。紗奈子は即座に運転席に完全に体を入れ、ドアを閉める。 私は今にも動かなくなりそうな両足の筋肉に発破をかけた。お願い。むこう半年動かなくてもいいから、今だけ頑張って。 私は一切スピードを緩めずにスポーツカーに突進した。ボンネットにぶつかる様に手を突き、そのまま回り込んで、飛び込むように助手席に滑り込む。即座にドアを閉め、叫んだ。 「鍵!」  紗奈子が急いでロックボタンを押す。次の瞬間、運転席のドアにバン! と白鳥が体ごとぶつかってきた。紗奈子が悲鳴を上げる。  白鳥は運転席のドアをガチャガチャと狂ったように開けようとする。しかし、流石に車のドアのロックはそう簡単に開く物ではない。白鳥がドアの窓ごしに私たちを睨み付けてくる。  紗奈子は半泣きになりながら、アクセル踏む。しかし、エンジンがうなっても車はかすかに揺れるだけで、タイヤが溝から出る気配はない。 私は何か見落としがないか操作系統を見回した。ハンドブレーキは下がっている。PからLまである少し古いタイプのシフトレバーはちゃんとDに入っている。ん? D?  坂道発進や、ぬかるみにはまったときはパワーが出るLを使うのが基本だ。教習所で習わなかったのか。そこで私は思い出した。紗奈子は無免許だ。  紗奈子がまた悲鳴を上げた。見ると白鳥の姿が見えない。白鳥の姿を探して、視線を巡らすと、白鳥のうれしそうな顔が前方にあった。白鳥がボンネットによじ登っていた。白鳥の重みに、ボンネットがぼこりと音を立てる。白鳥の額のヘッドライトが私たちを照らす。 白鳥はフロントガラスにへばりつくように私たちを見下ろし、日本刀の柄の頭を思いっきりフロントガラスに叩き付けた。ビシリとか湧いた音とともに、フロントガラスに大きなヒビが入る。 もう一撃やられたら、フロントガラスは木っ端微塵だろう。そうなれば、白鳥は私たちを刺し放題だ。 「なっちゃん!!」  紗奈子が半狂乱になりながらアクセル踏みしめる。 白鳥の顔が勝利を確信する。  私はその顔をまっすぐ見返した。  自動車の後輪が、ぬかるみや段差にはまったとき、対策はいくつかある。 例えば、Lなどの高出力なギアに切り替える。 例えば、後ろから押す。 例えば、前から引っ張る。もしくは、重しを使って車の前方に重心を移動させる。それこそ、ボンネットの上に人が乗ったりして。  私は無言でシフトレバーをLに入れた。    ガタン。  ゆっくりと、車体が前に進み、傾いていた車内が水平になった。  白鳥は急に揺れた車体にバランスを崩し、慌てて後ずさり、地面に降り立った。白鳥 の額の小さなヘッドライトとは比べものにならない光量の車のヘッドライトが、唖然とした表情の白鳥を照らす。  紗奈子もぽかんと口を開け、驚きのあまりアクセルから足を放している。  先に我に返ったのは、紗奈子だった。 「えっと、逃げなきゃ。Rでバックして・・・・・・」  逃げる? 冗談じゃない。  私はゆっくりと、シフトレバーをDに入れた。驚いた紗奈子と目が合った。私が頷く。  ゆっくりと二人で前を見る。 白鳥が背を向け、日本刀を放り出して、一目散に走り出した。 「やっちゃえ。さっちゃん」  紗奈子は叫び声を上げながら全力でアクセルを踏み込んだ。
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