キャンプをしたいだけなのに 2

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 26  後日譚を語ろうと思う。  私は入院した。当たり前だ。あばら骨一本骨折。二本亀裂骨折。頬骨陥没骨折。左ひじの骨にも小さなヒビが入っていた。もっと言えば、両太ももの筋肉は軽度の肉離れを起していた。  担当してくれた医師は優秀な先生らしいが、かなり個性派で、よく言えばファンキーな老人だった。診察中に、「この状態で山道駆け下りたの? マジで? アドレナリンすげえ」となんか喜んでいた。 「右の拳もヒビはいってるよ。何をなぐったの?」と聞かれたときは、正直に「DVくず野郎の顔面」と答えた際は大いに受けた。隣の看護師はドン引きだったが。   件の「DVくず野郎」こと、石田勇気くんは、現在殺人未遂容疑で逮捕されている。 私とのしばき合いの後、燃えさかるロッジの中から自力で這って脱出したらしい。あれだけ「早く死のうぜ」とブーブー言っていたくせに、ちゃっかり頑張って生き残ってしまったらしい。聞いた話では、奥さんと完全に離婚が成立し、がっつり慰謝料も請求されるらしい。無論、自分で作った借金も自分で支払わされる。  彼は「やり返してみろよ!」と叫んでいたが、自死にまで追いやられているあの段階で奥さんにはすでにがっつりやり返されていたわけだ。さらに今回の件で、名実ともに奥さんの完全勝利が確定したわけだ。弱い者いじめはするものではない。  なんにせよ、包帯でぐるぐる巻きにされた私は二ヶ月近く入院する羽目になった。  見舞いには、美音と紗奈子が数日ごとに交代で来てくれた。  まず美音から。  美音は病室で、顔がパンパンに腫れ上がって、包帯で巻かれている私を見て、「親知らずを四本同時に抜いたみたいですね」と的確な感想をくれた。言い返そうにもまともに話せなかったので、美音が差し出したジュースをストローで吸いながら、仏頂面を作るにとどめた。この状態の自分の表情に違いが出ているかはわからなかったが。  美音はあの夜、私との電話が途中で途切れた後すぐに警察に駆け込んだらしい。 単に電話が途中で切れただけなので、大げさと言えば大げさだ。事実、警察もまともに取り合ってくれなかったらしい。それでも、虫の知らせのような者を直感で感じた美音は、自分の車を使って近隣のあっちこっちのキャンプ場を探し回ってくれたらしい。しかし、美音のスマホのナビでは白鳥湖キャンプ場はヒットしなかった。かなり前に閉鎖したから当然だろう。 「でも、そこで、不思議なんですよ。なんか、お姉ちゃんの気配がして」  こっちに行けばお姉ちゃんがいる。お姉ちゃんが呼んでる。そう感じたらしい。 「おかしいですよね。そもそも、探してるのはナツさんなのに。」  そう言って美音は照れくさそうに笑った。 「で、気配の方に進むと、なんか山火事みたいなのが見えるし。上の方からクラクション鳴り響いてくるし。」  これは事件だと思って改めて110番し、警察と合流して来てくれたらしい。  笑いながら話してくれてはいるが、美音にとっても不安で苦しい一夜だったのだろう。  改めて礼を言った。それから、本当のところどうだったかはわからないが、友人にも心の中で礼を言う。  ありがとう。あかり。  次に紗奈子だ。  紗奈子はしばらく同じ病院で検査入院した。どの怪我も軽度であること、そして、彼女が妊娠中であることが確認された。幸運にも、母子ともに大事はなかった。  妊娠の確定を伝えられてすぐ、紗奈子は義理の両親に連絡をとった。そこでどのような会話があったのかわからない。だが、数週間後、彼女は両親を連れて私の病室を訪れた。  紗奈子の両親は、温和そうな初老の夫婦だった。 若い頃に子どもを亡くし、その後は子宝にも恵まれなかったため、紗奈子を養子にとったらしい。しかし、何かの拍子に、紗奈子を亡くなった子どもの代わりにしてしまっているという思いを抱くようになり、今一歩、紗奈子に踏み出せなくなってしまったのだとか。 こうして聞くと単純だが、実際はたくさんの要因が重なった、当事者にしかわからない複雑な話なんだろうと思う。  紗奈子の両親は、どこで売っているんだと思うような豪華な果物のカゴを持ってきてくれた。その果物を美音がむいたり切ったりしたものを、紗奈子がぺらぺらしゃべりながら次々と口に放り込んでいく。 それを紗奈子の母が「あなたが食べてどうするの」と叱る。 「だって、食べれるときに食べとかないと。それに、私がたべてるんじゃないの。赤ちゃんが食べてるの」と紗奈子が梨を頬張って笑いながら返す。 父親も思わず笑い、母親が困った顔で私に謝る。 「ごめんなさい。昔から食い意地の張ってる子で」   紗奈子の話では、赤ちゃんを産むかどうかでも両親と一悶着合ったらしい。当然だ。紗奈子はまだ17歳。しかも相手はは紗奈子を犬か猫かのように捨てたくず大学生だ。 しかし、紗奈子の決意は固かった。なんと言われようと、産む。一人でも産む。と一点張りだった。その姿を見て、両親は紗奈子を全力で支えることを決意したらしい。そうと決まれば、両親の動きは俊敏だった。 まず、くず大学生のケンくんのマンションに突撃。紗奈子父の恐ろしい剣幕で実家の場所を吐かせ、ケンくんの首根っこを掴んだその足で、電光石火で実家に乗り込んだ。しかも、紗奈子の父は法律関係の仕事をしている人間であった。寝耳に水の話で慌てふためいているケンくんパパとママに紗奈子父がまくし立てる。 おたくのどら息子さんがうちの未成年の娘をかどわかして親の金で借りているマンションに、だまして一年以上軟禁したあげく、妊娠させて放り出しました。娘は心に傷を負い、自殺未遂をするまで追い込まれました。親御さんとしてどう責任をとるおつもりですか。 修羅場である。 その後、半ば一方的な話し合いの結果、ケンくんが紗奈子の子を認知しない代わりに、親から多額の和解金をもぎ取り、子が成人するまで毎月養育費をケンくんの親名義で支払い続けるという契約を取り付けた。そのついでに紗奈子が盗んで大破させたスポーツカーについても不問に付すよう約束を取り付けたというので見事である。 「嘘泣きしながら、後ろから見てたんだけど、すごかったよ。ケンくん。ケンくんパパに胸ぐら掴まれて、ケンくんママにビンタされまくって、ピーピー泣いてて、なんか面白かった」  そう言って紗奈子は愉快そうに笑った。タフになったなあ。  一連の動きを聞くに、紗奈子の両親二人は、もともと有能で行動力のある人たちなのだろう。ただ、紗奈子のために何をしてあげればいいのかわからなかっただけなのだ。  紗奈子がトイレに行くと病室を出て、美音が念のため連れ添って行った。病室には紗奈子の両親と私だけになった。両親は立ち上がり、私に改めて頭を下げた。 「このたびは娘を、命がけで救っていただき、本当にありがとうございました」 この初老の夫婦は、里親のチェックが厳しい日本で養子縁組が認められたぐらいなのだから、それなりに社会的立場もあるに違いない。そんな二人にそろって深々と頭を下げられ、私は慌てふためいた。 「本当は、私たちがしなければならなかったことでした。でも、私たちは紗奈子から嫌われたくないあまり、親として自信が持てないあまり、あの子から逃げてしまっていた。もう少しで、全てを失ってしまう所でした」  そう言って、父親は声を震わせた。母親も涙ぐんでいる。  私はベッドにすわったまま、どうしようかと戸惑っていたが、ふと、自然に言葉が口から出た。 「一緒に、いてあげてください。」  私は、顔を上げた二人の顔をゆっくり交互に見ながら繰り返した。 「一緒にいてあげてください。紗奈子が、楽しいときも、つらいときも、笑っているときも、泣いているときも、怒っている時も。何も言わなくていいので」  きっとそれだけでいいのだ。 「ただ、絶対に一人にさせず、一緒にいてあげてください」  それは、私が徹にできなかったことだ。 その日の紗奈子は、帰りに母親とマタニティ用品の買い物に行くのだと嬉しそうに言い、両親に連れ添われて帰って行った。 そこだけ切り取って見ても、実に仲睦まじい親と娘の姿であった。  ようやく終わったのだ。長く苦しいもがき合いを経て、一年の家出を経て、生と死の狭間をくぐり抜けて、新しい命を宿して。紗奈子は思春期を終わらせた。 現代日本の中高生の自殺者は年間500人を超える。そんな中、17歳の少女、藤原紗奈子は壮絶な思春期を生き残ったのだ。そして、逃げるのをやめて、改めて両親に向き合った。  この家族三人、いや、四人の関係はここから新たに始まるのだろう。  続いて、私自身の話だ。  退院した私を待っていたのは、警察の長い長い事情聴取である。無論、入院中も病室に幾度も警察官は現れて質問をしていったが、退院したその足で車に乗せられ、本格的に警察署の一室に缶詰にされた。 もちろん、容疑者として何か罪状がかかっているわけではないので、始終穏やかに話は進んだし、小まめに休憩も取らせてくれた。でも、いかんせん長い。何回も同じ事を聞かれて、流石にうんざりした。 「仕方ないんですよ。斉藤さん。事が事ですし、人が人ですので」  桜田と名乗る中年の刑事はそう言って頭をかいた。日々の疲れが目尻のしわに出ていると言った風貌の男だった。色々と配慮せねばならないのだろう。常に婦人警官も同席していたが、主にしゃべるのはこの桜田だった。作り笑顔が顔に張り付いてしまっている様なので、本当の笑顔か作り笑い自分でもわからなくなっているに違いない。  「事が事」というのは、今回の白鳥幸男容疑者が起したとされる一連の自殺幇助と連続殺人及び殺人未遂事件の事だ。 あのあと、湖は徹底的に捜索され、現在、計11名の死体が水底から引き上げられたという。齢60を超える老人から、学生まで、幅広い年齢層の人間が湖に沈んでいた。彼らは皆、ビニール袋で包まれ、レンガなどの重しを結びつけられて沈められていた。そのうちの一体が、偶然重しが外れて、偶然あの夜に浮かび上がり、偶然モーターボートの駆動部に偶然あのタイミングで挟まったという事らしかった。 「斉藤さんを助けようとしてくれたんですかね」 そう言って桜田は悲しく微笑んだ。 問題は、その11人の死体の何人が自殺幇助で、何人が白鳥の殺人なのか見当が付かないことだ。現在、白鳥幸男は完全に黙秘を貫いているらしい。 だが、その後、湖の裏手にある彼の実家から決定的な証拠が見つかった。白鳥自身が作成した日記である。さらに「旅立ちの記録」と称して、亡くなった直後の遺体を一人一人撮影したアルバムまであったという。その中には、明らかに争った形跡が読み取れる写真もあったらしい。 「狂ってます。本当に、文句の付け所のない異常者です」  そう吐き捨てたときの桜田の顔からはさすがに作り笑顔が消えていた。  次に、「人が人」というのは私の事だ。  警察の中では私は知る人ぞ知る有名人らしかった。一年ちょっと前、複数の女性キャンパーを猟銃で撃ち殺していた殺人鬼を手持ちのスキレットでボコボコにし、あろうことか木に縛り付けて凍死寸前まで追い込んだのはこの私である。話題にならない方がおかしい。 しかもその女がまた、歴史に残りそうな大事件の容疑者の手足をたたき折って警察に引き渡したのだ。そりゃあ、単なる関係者の一人ではすむはずがない。    「マスコミに囲まれるのは覚悟しておいてくださいね」  聴取が大方終わった後、桜田はまた笑顔を作ってそう言った。今回は同情してくれているのが伝わってくる、はげますような笑顔だった。  今回は大事件であったがために、流石に警察の情報規制にも限界があり、各メディアで大きく取り上げられた。「白鳥湖事件」と名付けられたこの一連の事件は集団自殺というセンシティブな内容であったことから、この事件に関する議論は白熱し、連日ニュースで取り上げられた。特番番組まで作られたらしい。 そんな中、注目を浴びたのはこの事件の生き証人である二人の女性である。しかも、その二人が連続殺人犯を自力で撃退したのだ。マスコミが食いつかない訳がない。  警察は威信をかけて、未成年の紗奈子の情報は守ってくれた。その代わり、そうせざるを得なかったのだろう。私の情報はダダ漏れになった。なんなら、過去の猟銃事件の生き残りであることすら暴かれてしまい、世間は大盛り上がりらしい。勘弁してほしい。 私の入院先は警察が隠してくれていたが、退院後はそうもいかない。職場もばれているらしい。入院中、職場には大変な迷惑をかけてしまった。復帰の際は高級な菓子を山ほど買っていこう。   「改めますが、警察一同、斉藤さんには本当に感謝しています。二度も我々が気づけなかった重大な事件を明るみだし、今回は人命まで救ってくださった。警察官全員を代表して、お礼申し上げます」  警察署を出て、送迎の車に乗ろうとした際、桜田は真顔を作り、私に頭を下げた。  そんな正義のヒーロー扱いされても困る。私はキャンプ場を間違えてしまったあげくに殺されそうになり、殴られたから殴り返し、日本刀をもって追いかけられたから車で追いかけ返したまでだ。なので、私は正直に思ったことを言った。 「そんなんじゃないです。私は単に、キャンプがしたかっただけなので」  桜田は笑った。
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