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4.馬小屋の少女たち
夕刻。馬小屋の木戸を叩く音がした。
寝藁で身を休めていた馬のビビが、ぶるるっと鼻を鳴らす。
ヴァネッサはたてがみを撫でて、臆病な相棒をなだめた。
今が何時であろうと、仕事を選べる身分ではない。
ヴァネッサがランプを手に戸を開けに行くと、そこに天使が立っていた。
比喩ではない。
ゆるくウェーブした金髪を垂らした碧眼の少女は、まさしく天使そのものだった。
「こんばんは、ヴァネッサ」
天使は言った。
「わたし、レイというの。はじめまして……」
「……知ってる」
ヴァネッサは警戒しつつ返した。
セシリア村はもちろん、この近辺でレイを知らない者はいない。
それほど可憐な少女だった。
毎日、馬とともに村へ入るヴァネッサも、当然彼女のことを知っている。
姿を見かけるたびに驚かされた。
本当に同じ人間なのかと思うからだ。
以前、この村に立ち寄った音楽家が、戯れにレイの容姿を称えたことがある。
輝く巻き毛は太陽、透き通る白い肌は天上の雲。
両の眼に青空のかけらを宿した君よ。
歌っておくれ、セシリアに舞い降りた天使。
いかにも客商売らしい、歯が浮くような美辞麗句だが、レイに限っては一切の誇張を含んでいない。
ひるがえって、ヴァネッサは我が身をかえりみる。
艶のない赤毛、乾いた泥のようにごわついた肌。
狼さながらにギラつく目。
生まれついての厄介者であるヴァネッサと、誰からも愛されるレイは、なにもかもが真逆だった。
ヴァネッサは吐き捨てた。
「おじょうちゃんが、こんな時間に何の用」
「あなたに会いに来たのよ。ヴァネッサ」
「……へぇ、あたしに」
同い年相手への皮肉は通じなかった。
ヴァネッサはがりがりに痩せているのに、背ばかりが高い。
とがった顎を突き出してレイを見下ろす。
村一番の人気者が、人目を忍んで汚い馬小屋を訪ねてくる。
警戒心より好奇心が、あるいは加虐心が勝った。
ノコノコと現れた可愛らしい獲物を、退屈しのぎに虐めてやろうと思ったのだ。
「入れば。ただし……」
ヴァネッサは、片手に持ったランプで小屋のなかを照らしてやる。
「臭いよ。それに汚い。あの馬があんたを頭からバリバリとかじる」
嘘八百だ。
好き勝手言われたビビが、高くいななく。
そちらへ気を取られた隙に、レイは「いいの?」と言って、ヴァネッサの脇をするりと抜けた。
あっさりと小屋のなかへ入られて、ヴァネッサは動揺した。
レイは怖がるどころか自分からビビに近づいていく。
「中は意外と広いのね。ああ、大きな馬」
「待て、止まれ」
ビビはヴァネッサ以外に懐かない馬だ。
今も見慣れない人間に怯え、耳を倒して歯を剥き出しにしている。
そのことに、レイは気づいていない。
「おい、止まれって言ってんだろ、この……っ」
興奮したビビが、立って前脚を高く上げる。
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