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1.受難の道のり
――鷹だ。
女神の使いとも呼ばれる鳥の影に、ヴァネッサは気を取られた。
だが、立ち止まることは、首と手にかけられた鉄枷が許さない。
歩みの遅れた彼女の鎖を、刑吏は舌打ちして強引に引いた。
ウッと喉が締まり、ますます足がもつれる。
胸に提げた十字のアミュレットが、雑な扱いに抗議するようにかすかな音を立てた。
まるで獣扱いだ。いや、まさしく野の獣と思われているのだろう。
荒野の民の血をひくヴァネッサは、燃えるように赤い髪に浅黒い肌を持つ。
コロンドル公国の市民が、荒野の民を未開の野人と蔑んでいることは、よく知っている。
そのうえ、ヴァネッサは人殺しだった。
辺境で起こった元大司教殺しの一件は、この花の都でもすでに知れ渡っているらしい。
物々しい警吏一行に道を譲った民衆は、声を低めて囁きあっていた。
「あの気味悪い赤毛を見て。あれが魔女よ」
「ノイマン元大司教の遺体は、見るも無残な有様だったらしい……」
「ああ、情けない。あんな小娘一匹、辺境で処分すればいいものを。なぜ都を荒野の民の血で汚されなきゃならない」
「シッ、声を低めろ。不敬だぞ」
「即位の前だからだ。敬虔なフランチェスコ様は冠を戴く前に、コロンドル公国を清めようとしておられる」
「忌々しい魔女め!」
声と共に投げられた石を、ヴァネッサは肩に受けた。
もう何日も歩きどおしの足は、不意の一撃に耐えられない。
ヴァネッサは土に膝をついた。
刑吏たちの掲げた槍に阻まれながら、民衆が前へ前へと押し寄せて来ようとする。
「今すぐ魔女を殺せ!」
「そうだ、この槍は飾りか!」
「裁きなど待つまでもない。この薄汚い野人が死刑になることは、すでに決まっている!」
刑吏の壁をすり抜けた腕が、ヴァネッサのアミュレットを掴んだ。
「なんだ、魔女の分際でアミュレットなんぞつけやがって。信者になりすまして元大司教に近づいたのか!」
「汚い手で触るなっ」
ヴァネッサは男の腕を渾身の力で振りほどいた。
かっと見開いた獣のような瞳は、男が怯むには十分な覇気を放っていた。
刑吏たちが、民衆を押し返す。槍を高く掲げて号令をかける。
「整列、用意」
「整列!!」
ビリビリと大通りを震わせる大音声が民衆を圧倒する。
「勅命である! コロンドル公国の名において、フランチェスコ大公子に物申したければ請願を立てよ!」
「くっ……」
請願を立てよ、とはコロンドル公国に敷かれた法の一節だ。
ヴァネッサのような市民権のない異邦人には理解できないが、都に住む人々はこの文言を重要視しているらしい。
場を制圧した刑吏は再び高く槍を掲げた。
「道を開けよ。これより、罪人を裁きの場へと連行する!」
立たされたヴァネッサは、揺れるアミュレットを見つめる。
疲れきっていた。
これでやっとすべて終わるのだと思うと、体から力が抜けてしまいそうだ。
かたちばかりの裁判のあと、荒野の民であるヴァネッサは絞首刑に処される。
それは民衆の目にさえ明らかで、彼らが余計な手間を省こうとヴァネッサを殺そうとしたのも、もっともなことだ。
むしろ、自分が抵抗を示すほうがおかしいのだろう。
死ねば楽になれる。こんなアミュレットに意味などない。
そんなこと、わかりきっているのに。
ヴァネッサは刑吏に引きずられるようにして歩き続けた。
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