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目を覚ますように、現実に引き戻された。
月さんは少し心配そうにこちらを見ていた。
手はまだ握っている。体温を感じない、ひんやりとした手。
月さんが見せてくれた雄大な海の景色に胸が高鳴っていた。
同時に、ぞくりと身を震わせた。
彼女の求めた不変のものは、俺たちの罪なのだから。
「ハルト、教えて。人間はどうしてあんなにたくさん、海に還らないものを生み出すの?」
その瞳に浮かぶのは純粋な疑問なのに、俺はひどく責められている気がした。
罪悪感で胸が苦しい。
「それは、便利だから」
「たくさん花火を入れられていた袋は、確かに便利そう。便利なものを作る人間は、すごい。ひょっとして人間も、永遠に生きられるようになるかも」
「無理だよ。俺たちは、きみたちみたいに美しくないから」
彼女は怪訝そうな目でこちらを見る。
俺は思わず顔をそむけた。
耐えられない。
「ああ、本当に。もう帰らないと。もっと人間のこと、知りたかったのに」
月さんの姿がどんどん薄れていく。
俺は何も言えずにその姿を見ていた。
「これを、ハルトに」
そう言って月さんが差し出したのは、クリーム色の貝殻だった。
ぼんやりと輝いている。
まるで、今見えている満月のように。
彼女も同じ形のものを持っていた。
こちらは赤茶色で、輝きもまた同じような色だった。
二つを合わせると、月日貝という貝によく似ている。
「受け取れないよ」
声を絞り出す。
「あなたは人間のことをたくさん教えてくれたから。そのお礼」
俺はおずおずと手を出す。
月さんはその手に貝殻をのせた。
ズシリと重さを感じた気がする。
善意がこんなにも苦しいなんて。
「あなたと過ごせて、よかった」
嬉しそうに、歌うように月さんは言う。
俺の胸は苦しいままだ。
「百回、また生まれ変わることができたら、空の月に祈ってみる。祈りが届いて私が人間になれたら、この浜辺にいる。あなたが私を思い出すことがあれば、ここに来て、また人間のことを教えて」
「覚えている。ずっと」
俺が言うと、彼女はかすかに笑った。少し哀しそうに。
俺はもう一度、疑問をつぶやく。
「君は、いったい――」
「うみの、つき。そう呼ばれている」
その言葉を最後に、彼女は消えた。
白く輝く髪も、赤い瞳も、もうない。
見えない。消えてしまった。
彼女は、いや、「彼女」は人間だったのか。
否、人間ではない。海の生物、だろう。
それすらも朧気で、もはや「それ」と呼称するしかない。
とにもかくにも、「それ」は消えてしまった。
波にさらわれたように。そうっと空気に還るように。
記憶すらあいまいで、「それ」は本当に存在していたのだろうか。
俺の産み出したまぼろしだったのかもしれない。
「忘れてはいけない」と頭のどこかで声がするのに、もはや「それ」に触れた感触すらおぼつかず、手の中には二枚貝の半身が自分の片割れを呼ぶようにほんのりと輝いていた。
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