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クジラがこちらに向かってくる。
大きい、と思った時には、そのクジラが起こした水流で遠くに流されていた。
クジラは最期に歌い、やがてゆっくりと動きを止める。
海底に、沈んでいく。
私はぼんやりとそれを見ていた。しばらくクジラの上に浮かんでいると、魚たちが集まってきた。
巨大な生物の死骸に、魚たちが群がる。
クジラは一生を終え、自身より小さな生き物たちの一部となり、海に還った。
そしてそのクジラに群がっていた生き物たちもまた寿命を迎え、あるいは捕食され、海に還るのだろう。
対して私は、老いたら若返る。
生まれ変わる。
半永久的にこの姿のまま海を漂い、若返りを繰り返す。
小さな蟹の友ができた。
彼女は脱皮を幾度も繰り返し、あっという間に私より大きくなった。
彼女と海底を旅した。
やがて彼女にパートナーができて、卵を産み、守り、旅立つ子らを見送った。
それから友はどんどん老いていった。
ある日、「あなたは若返ることができてうらやましい」と言ってプクプクと泡を吐き、彼女は動かなくなった。
私は友が海に還るのを見届けてから、流れに身を任せて海中を漂った。
――若返ることができてうらやましい。
友の言葉を思い出し、そうだろうかと自問する。
私はあなたに、もう二度と会えないことが悲しい。
ふと、影が横切る。
魚かと思ったけれど、それは海面にぷかぷかと浮かんでいて、私の姿に似ていた。
でも、生き物ではなかった。
たまに流れてくる、人間が作ったもの。
いつもは気にも留めないけれど、今回は、漂うそれの後を追いかけてみようと思った。
どのように海に還るのか、興味があったから。
一緒に海面を漂う。
朝も夜も、何度も廻った。
やがて海に浮かぶものが増えてきた。
追いかけてきたものと似ているものもあれば、もっと透明で、巻貝のような形をした硬そうなものもある。
まん丸で、重そうに見えるのに沈まないもの。
触手が無数に絡まったように見えるもの。細かくなったカラフルな何かのカケラ。
雲が空を覆うように、それらは海面を覆っていた。
このあたりの水は暗く濁っている。
海流が滞るところだからだろうか。
海底を歩いている蟹に尋ねる。
「ここは、何?」
蟹は歩みを止めて、しわがれた声で答える。
「ここは墓場さ。周りを見てごらん」
言われるまま、辺りを見渡す。
茶色く堆積した藻のようなものに埋もれて気づかなかったけれど、よく見れば大小さまざまな魚の死骸が転がっていた。
朽ちかけているものもあれば、まだ新しく見えるものもある。
海に還る速度が遅い、のだろうか。
「ここにいるとみんな死んじまう。あんたも早くここから離れたほうがいいぞ」
「あなたは大丈夫なの?」
「俺は慣れているからな」
蟹はコプコプと泡を吐いた。
それはよどんだ水の中を、ゆっくりと昇って行った。
私は海面を覆うものを示して訊く。
「あの浮かんでいるものは、いつからあるの?全部、人間が作ったもの?」
「そう。人間が作ったものだ。いつからあるのかは知らない。俺が生まれるずっと前からあるって話だ」
「海に、還らない?」
「みたいだな」
蟹は「もう行ってもいいか?」と目で訴えるので私は「ありがとう」とうなずくと、彼は去っていった。
私も蟹の忠告通り、この場を離れる。
離れながら、海面に浮かぶものを眺めた。
これらは、海に還らない。
私と同じように、ずっと海を漂うのだろうか。
変わらないものを作る人間のことを、知りたいと思った。
もしかしたら、私はもう寂しく思わなくて済むかもしれない。
だから、空の月に願った。百回生まれ変わったら、人間にしてくださいと。
月は応えた。
少しの間だけ人間の姿にしてやると。
そうして人間の姿にはなれたけれど、日の光と乾燥に弱く、夜しか陸に上がれなかった。
誰にも会えないと思った。
だから、こちらに向かってくる少年に、どう話せばいいのかわからなかった。
うれしくて。
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