守護神

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 「父親が仕事に行かなくなって、母親は狂ったみたいに毎日喚いてたわ。そのうち、アパートの家賃が払えなくなって、夜逃げするみたいにここに来たの。東京を離れるのは嫌だったけど、ここなら知ってる人は誰もいないから、きっと静かだと思った。……でも、本当に静かなのは、この部屋だけね。」  この部屋だけ。そう言って永遠子は、暗い部屋の中を濡れた黒目でぐるりと見渡した。  私は、たとえ必要とされているのが私ではなくて、この部屋だけだとしても、それでもいいのだと必死で自分に言い聞かせていた。うつくしい永遠子と、平凡な私は釣り合わない。永遠子に好かれたいだなんて、思い上がりもいいところだ。だとしたら、たとえ利用されているだけだとしても、私は永遠子といられればいい。  肘を枕に横向きに寝そべり、私に顔を向けていた永遠子が、ふわりと仰向けに姿勢を変えた。祖母の部屋は本当に静かで、永遠子の制服のスカートが立てる衣擦れの音さえしっとりと響かせた。  「私が眠るまで、手を握っていてくれる?」  永遠子がそんなことを言って、私に手を差し伸べた。白い狐みたいにきれいな手をしていた。  私はその手を大急ぎで、けれど余計な力を入れないように慎重にとり、そっと握った。永遠子の顔は見られなかった。三日月みたいなその横顔を眺めたいと、内心では擦り切れるくらい強く思っていたけれど。  永遠子は静かに目を閉じ、多分すぐに眠った。  私は眠れずに、永遠子の手を握っていた。  利用されているだけ。  私がそんなふうに割り切ろうとするたびに、永遠子は私に様々なものを与えた。例えば、左手だったり、唇だったり、肉体だったり。  愚かな私は、その度に永遠子を思いきれなくなった。恋心だけで、永遠子にしがみついてしまった。  今ならちゃんと分かる。永遠子は私の好意を利用していただけだ。私の心が離れないように、適切な時に適切な餌を振りまきながら。  だってこの時永遠子は、東京を離れなくてはいけなくなった理由の全てを私に話しさえしなかった。  援助交際と妊娠と堕胎。  その単語を、私は永遠子からではなく町の噂で知った。永遠子が、知ってる人は誰もいないから、きっと静かだと思ったこの田舎町は、決して静かではなく、常に永遠子にざわざわとまとわりついた。私はできる限りそれらを耳に入れないように注意していた。それなのに私が知るところまで鳴り響いてくるのだから、永遠子にまつわる噂は、町中の人が知るところとなっていたのだろう。  
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